第3話 誰にでも朝は来る
滅びかけの世界でも朝は来る。太陽は今日も律儀に昇り、空はどこまでも青い。
最も近い奈落から50km以上の距離にあるこの街では、ゾンビに襲われることは無い筈なんだがね。
俺はシェアオフィスで待ち合わせをしていた。少し古ぼけているが暖かい日差しの入るオフィスだ。
服が少々ぼろぼろになっているが、あまり人がいないから多分大丈夫だ。
「ゾンビにも縄張り意識があるはずなんだが」
仁はコーヒーを啜りながら思う。
ゾンビは奈落から数十km以内でしか行動しない。
奈落からゾンビを長距離離す実験をしたことがあった。だがゾンビにはなんの影響も見られなかった。
奈落から離れないのはゾンビの習性に過ぎないのだろう。
事実は不明だが、現在判明しているのはこの習性のおかげで人類がまだ生きていられるということだけだ。
ラグナが新聞を持って入って来る。
「……戦ったのか?」
さすがに気づくか。
「……ちょっとしたアルバイトだ」
いや本当にちょっとしたアルバイトだった。まさか街中でゾンビを飼うアホがいるとは思わなかった。
「……そうか」
ラグナは気にしないようにしたようだ。気楽な関係だ。または信頼してるか。
「新聞なんて珍しいな……」
「辺境の方が残っているぞ」
中央だとほとんど潰れている。世界崩壊で余裕が無くなったから代替出来るものは潰れたんだよ。
「地方新聞は規模が小さいから検閲もゆるい。ネットより尖った情報があるな」
「ほー。面白い話はあったか?」
「ご当地アイドルが人気らしい」
……確かに尖ってはいるな。仁は苦笑する。
「人類はまだ余裕があるな」
「伊達に長い歴史を生き延びていない……しぶといよ」
ラグナは新聞を見ながら続ける。
「滅びかけてもルールを作る。しかも平等ってやつを」
面白くもなさそうに紙面を指で弾く。
記事には『亜人の権利保護法、施行5周年。一般市民より優遇されているとの声も』とある。
新聞を覗き見ながら仁は小さく口笛を吹いた。
「本当に尖っているとはね……俺たち関係の世論って出せない筈なんだが?……まぁ亜人の扱いが良すぎるのも問題だろう」
亜人関係ってかなりセンシティブな問題だからな。ところでセンシティブってエロい言葉だと思ってなかった? 俺は思ってた。
「ゾンビより危険な連中に敵対行動は出来ないだろう」
ラグナが肩をすくめる。
「一般人から見れば亜人もゾンビと同類。ゾンビは殺してもいいが亜人は保護。理屈に合わないだろう」
「挨拶代わりに噛み付く連中と、コミュニケーションを取れる連中。対応を変えるのは当たり前さ。人間は愚かだが賢い……最悪の組み合わせだがな」
ラグナがどこかを見ながら言う。人間だからか、ラグナは人間に絶望している。
仁はカップを傾ける。コーヒーの香りが立ち昇る。備え付けのコーヒーだ。味はたぶんいいのだろう。違いは分からないが。
「おはよう。仁くん、ラグナさん」
光さんが挨拶しながら部屋に入ってきた。
「また服をボロボロにして」
俺の服を見て母親のような怒り方をする。
「ゾンビに惚れられてな。情熱的過ぎるのも困りものだよ」
仁が巫山戯て自慢気に言うと、光は呆れたように微笑んで指先を軽く動かす。
布地から破損と汚れがゆっくりと無くなっていく。まるで時間が巻き戻るように。
「……何度見ても。無機物が再生するのは驚くな」
ラグナが感心したように言う。
「いや有機物が再生するのも大概だが」
仁が呆れたように突っ込とラグナも苦笑した。
「仁の身体は勝手に治るけど、服は直らないでしょ? だから私がやるしかないのよ」
身体も勝手に治るのも……以下同文。
「助かる。裸で出歩くとゾンビが魅了されて寄ってくるからさ」
「うん、お願いだから裸で出歩くのはやめてね」
光は少し笑って言った。
「ゾンビ限定でモテるのか……悩みを聞こうか?」
ラグナが哀れんで見る。
「ありがとうな光さん。おっさんは寝てろ」
軽い笑いのあと、ラグナが少し唇を歪める。
「さて……前回のゾンビの大量発生だが。報告書はどうする?」
報告書を仕上げたいのでオフィスを借りた。相談も外で出来るようなものではないからな。
仁が眉を上げた。
「ラグナはどうしたい?」
「限界汚染圏の厳重警戒の要請をするか」
「まぁ、出来るのはそれくらいだろうな」
仁はコーヒーを含んでから
「最初の間引きは100体強、数日で新たに100体弱……ちょっと多すぎるな」
「他の地区ではどうなってるんだろう?」
光さんが不安そうに呟く。
ラグナが新聞を畳み、無言で仁を見る。
「あの限界汚染圏は私たちの管轄だ。本当に放っとくのか?」
仁は少し考え、カップをテーブルに置いた。
「依頼がなければ動かない。警告だけで充分だろう……勝手に首を突っ込んで死んでも、間抜けなだけだ」
「静観か……」
「ああ。何かあったら上が判断するだろう。呼ばれたら行く。それまではコーヒーでも飲んで待つさ」
俺たちは正義の味方ではない。国から委託を受けて動いているだけだ。
光は小さく頷いた。安心したようにも、少し寂しそうにも見えた。
生き残った人類が今日も働いている。食料を分け合い、発電機を修理し、奈落との境界線を測り続けている。終わることのない。終わらせることの出来ない戦い――それが「生きる」ということだ。
「光さん……人間はしぶとい。俺たちが動かなくても問題ないだろう」
「そうだな。この世界の主役は人間だ」
ラグナも頷く。
「動く方が問題ですか……」
光さんは沈痛な表情を浮かべた。
「……まぁそういうことだ」
バランスを崩すほど亜人は強い。たった2人でも亜人が勝手に動いたら影響が大きい。
太陽は今日も微笑む。だが遠く奈落の呻き声も聞こえる。この世界は不安定でいつ完全に壊れるかも分からない。
それでも朝は来る。この世界がまだ終わりきっていない証として。
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