第4話 先生と生徒を繋ぐもの

 強烈なあいを感じたことがあった。

 先生から生み出されるその色は、とても深く鮮烈でそして、美しかった。心の奥底に秘めている宝石を、僕は見つけてしまった。先生にとってそれは深い傷でしかなかっただろうけれど、僕にとってはただ一つのよすがだった。

 藍、それは黒橡くろつるばみ※に染まってしまった僕のいつかの姿であったから。


「ああ、またあの色だ」


 あの日も現れた色の意味を、僕はすでに知っていた。それなのに、教室から逃げ出した。窓から見える夕暮れ、いつもは優しいと他人事に感じるのに今日は泣き叫ぶ瞬間に見える。燃えるような赤色は、空に管がはち切れて血が飛び散る刹那。


「どんな気持ちで血を、涙を、ひとりで流していたの?」


 先生の手首に刻まれ一生消えることのないであろうその傷痕から目を背けたかった。

 過去に何があって、どんな傷を負って、何を思い浮かべながらその行為をしていたのだろうか。何故それを止めようとするどころか、先生を独りにしてしまったのだろうか。

 体中に張り巡らされていた糸がぷつぷつと切れていくのを感じていた。泣きわめきたかった。自分勝手な行動で先生を傷つけてもなお、被害者面をし逃げようとしている無責任な自分が怪物のように思えてならなかった。

 古びた教室に隙間風が吹きこむ。糊のついたざらざらとした制服もさらに寒さを増幅させた。


「もう冬だ」


冬の彼方へ思いを馳せると、「あお」だった頃の自分が語りだす。


冬月とうきはあおだ!」


 突然そう言われた。初対面にもかかわらず、急に僕のことを「あお」にしてへらへらと笑っている変な人。けれど席が隣だったせいで彼とはいつも一緒に行動していた気がする。

 授業中に話しかけてきて何も悪くない僕まで一緒に怒られた時。

 絵が上手で僕のために絵を描いてくれた時。

 人を誰よりも観察していて、わざと軽く振舞っていると知った時。

 彼が独りで泣いているのを見てしまった時。

 決定的な瞬間はなかった。ゆっくりと少しずつ「あお」になっていった。それは運命のようだった。少し照れたような、はにかんだ笑顔を向け言われた「ずっと一緒だよ」


「もうそんな日はこないけれど」


 珍しく真剣な面持ちで言われた言葉は今でも憶えている。

「結末は始めから決まっているんだ。小さな行動が何千何万と積み重なって、一つの方向を向いていく。何一つ欠けては結末は成立しないけれど、今の行動も前の行動によってそうなることは決まっている。例えるのなら、数式かな。計算した瞬間から、一つの正解に向かって演算が始まっている」

 こうなることは最初から決まっていたのかもしれない。君は、それを知っていたのかもしれない。僕は、それを止めることは不可能だったのかもしれない。


 僕はその藍を忘れたくなかった。君が残してくれた、最後でそして一番深いだったから。

 もう一度、笑いかけてほしい。

 に、僕を赦してほしい。

 自分がいつか誰かの大切な誰かだった時を思い起こしていた。




※黒橡:青みがかった黒色。喪服に用いられる。

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