第19話 信じたい気持ち

営業時間が終わったあとも、

店の空気は不気味な重さを纏っていた。








誰も何も言わない。








言葉ひとつで火がつくような緊張が漂っている。








更衣室のロッカーを閉めると、

中に小さなメモが挟まっていた。







──【屋上で待ってる】








真田さんの字だった。














屋上に出ると、夜風がまだ

冬の匂いを残していた。



街の光がビルの窓に映り、

無数の“仮面”みたいに揺れている。






「…来たか」







真田さんが柵にもたれ、煙草を吸っていた。

その表情は昼よりもずっと鋭い。







「真田さん…麗也はやはり…」


「ああ、どうやら俺とお前のクビを

 綺麗さっぱりすっ飛ばしたいみたいだ」


「あいつは間違いなく、何か仕組んでます。

 俺は誓って爆弾なんてしてません」


「ああ、俺もそう思ってるよ。

 ただ、証拠を出すには“内部”の声が要る」


「内部?」


「つまり──麗也の側にいた人間だ」


「…沙耶…とか?」


「いや、違う。“みなみ”だ」







真田は煙を吐きながら続けた。








「彼女、元々は麗也の店の“客兼協力者”だ。

 でも最近、店に来ても上の空。

 多分、麗也との事で悩んでるんだろう」







俺はその言葉に、微かな希望を感じた。







「みなみに、会えますか?」


「行き先を探っておいてやる。でも気をつけろ。

 もう俺もお前も完全に“狙われる側”だ」


「分かってます」














夜の街を歩く。





雨上がりのアスファルトが、

街灯を鈍く反射していた。




どこかで笑い声がしても、

今日は遠く聞こえた。





スマホが震える。

美穂からだった。







──「会える?」


──「いいよ。どこにいる?」








返信を送ると、数分後に住所が届いた。






見覚えのあるバー。

初めて外で美穂と会った、あの店だった。
















扉を開けると、カウンターの奥に美穂がいた。





白いブラウス。ノーメイク。

彼女が“夜”の顔をしていないのを初めて見た。








「…あ、やっと来てくれた」


「美穂が協力してくれるって…聞いたんだ」


「真田さんに聞いたんだね」






俺は小さく頷く。







「麗也のこと、わたしにも話してくれた。

 あなたが嵌められたって」


「信じるのか?」


「信じたい、じゃなくて──“分かる”の」






美穂はゆっくりとグラスを回す。

氷が、静かに溶けていく。






「今日、店の外で女の人を見たんだ。

 “みなみ”って名乗ってた。

 あなたの名前を出して──“もう限界だ”って」






息が止まった。







「どこにいる?」


「分からない。

 でも、“明日の夜、楽になれる”って言ってた」








(…あまり時間はなさそうだな)








麗也の仕掛けた“駒”が、

今度は彼自身を向いて動き始めた。







「美穂、ありがとう。

 俺──もう逃げない理由ができた」


「逃げるつもりなんて、

 最初からなかったくせに」





その一言に、心臓が静かに熱くなる。







「…俺、今回で嘘を終わらせるよ」


「終わらせたらどうするの?」


「“本当の俺”を始める」






美穂が微かに笑った。

その笑顔に、ほんの一瞬、夜が柔らかく見えた。















外に出ると、風が強くなっていた。

夜が裂けるような音を立てて吹き抜ける。







スマホの画面には、未読の通知。










──【麗也:明日、幹部会だ】







(…上等だ…やってやる)









──眠らぬ街で、最後の夜が始まる。

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