第7話 泡の下

週明けの営業は、

週末の余韻と焦燥が入り混じる。


照明が落ちると同時に、

シャンパンの泡があちこちで弾けた。

笑い声、グラスの音、

そして作られた愛。


その中で、俺はいつも通りの

笑顔を貼り付けていた。


「カイン!今月の売上、すごい勢いじゃん」


隣で優斗が言った。


「もう少しで麗也さんに届くかも」


「よせよ、いつも言ってるだろ?

 この店のナンバーワンは麗也さんだよ」


「なんでだよ、お前なら絶対いけるのに…」


優斗は呆れたように笑った。


だが、俺の目の奥にある

“静かな防衛線”までは見抜かせない。

あくまでうまくやる、これが一番なんだ。


その時、真田さんが店内を一瞥して声を上げた。


「カイン、A卓。お前指名だ」


「了解。誰ですか?」


「二度目のご来店だ。名前は…美穂さん」


一瞬、空気が止まった気がした。

優斗が眉を上げる。


「お前、やるなぁ。あんな可愛い子が

 2日も続けて来店なんてさ」


「いや…まあ…うん」


心臓の鼓動が、ほんの少し速くなる。

照明の奥で、あの白いドレスが揺れていた。


「こんばんは」


席に着くと、美穂は淡く微笑んだ。


「また“偶然”ね」


「ああ、偶然だね」


「うふふ、お互いいきなり嘘ついてる」


また探り合いのような時間が過ぎていく。

俺たちは中身のない会話を楽しんだ。


20分ほど経っただろうか。

ふと、彼女はグラスを持ち上げ、

中の泡を見つめた。


「この泡、見てると私、悲しくなるんだ」


「どうして?」


「泡って一瞬で消えるでしょ?

 でも、消えるときがいちばん綺麗」


「夜の人間がよく言う台詞だな」


「あなたも夜の人間でしょ」


美穂は笑いながら俺の頬を突く。

その時、急に店内がライトダウンした。


「カインさんの素敵な素敵な姫より

 クリュッグ、いただきましたー!!」


突然内勤スタッフの声が響いた。

次の瞬間、店全体が盛り上がる。


「さすがカイン!またか!」


「いや〜、やっぱ人気あるわ」


周囲の声が、遠くに聞こえた。


「美穂…いつのまに?」


「ここにわたしが座ってすぐに。

 いいでしょ?一緒に飲んでよ」


店中のホストが数人、美穂を囲んで

そこそこに息の合わせたシャンコを始める。


美穂がこちらを見て、小さく呟いた。


「この世界、疲れない?」


「疲れないよ、これが楽しみなんだ。

 疲れたなんて言ったらバチが当たるよ」


「あ、また嘘ね」


まただ。

彼女はまるで、心の奥を覗いているようだった。


シャンコが終わってすぐ

麗也が近づいてきた。

ナンバーワンの男だ。


整った笑顔の奥に、冷たい光がある。


「へぇ、カイン。大人気じゃないか。

 2回目でクリュッグか…」


「ああ、麗也さん。ほんとにいい姫です。

 こんな風に一緒に楽しく飲んでくれて」


「そうか?…でも気をつけろよ。

 ホストクラブってのは男と女の交差点だ。

 …くれぐれも事故を起こさないようにな」


その声は冗談のようで、

冗談には聞こえなかった。


美穂が麗也の前で微笑みを絶やさなかった。

だがその笑みは、挑むようでもあった。


「へぇ…あなたがここのナンバーワン?」


「ええ、Luxtの麗也と言います。

 カインは僕の弟みたいなもので…」


麗也がいつも通りの自己紹介をしようとしたが

美穂はそれを遮った。


「あなた…泡の下で生きてるんだね。

 まるで安いシャンパンみたい」


その一言に麗也は表情を強張らせた。


「…どういう意味でしょう?」


「上にあるキラキラした泡が消えると、

 底に沈んだ本音だけが残る、ってこと」


そう言うと美穂はグラスを煽る。

少し喉を鳴らしてから麗也を見つめ直した。


の麗也さん?

 気の抜けたシャンパンはお好きですか?」


そう言って美穂は空になったグラスを

目の前にそっと置いた。


その瞬間、何かが弾けた。

シャンパンの泡ではない。

夜の均衡だった。


──泡の下。

そこに沈んでいるのは、

誰の“本音”なのか。


ただ一つ言えるのは

いよいよ俺の平穏が脅かされ始めた、

ということだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る