眠らぬ街で名前を捨てたホスト

相良一征

第1話 偽りの夜の街

氷の音が、ガラス越しに軽く響いた。

香水とアルコールが混ざった空気の中で、

男たちは笑い、女たちは酔っていく。


シャンパンの泡がはじけるたび、

誰かの嘘が甘く香る。


ここは、歌舞伎町のホストクラブ

「Luxt《ルクスト》」。

眠らない街で、もっとも華やかで、

もっとも孤独な場所。


神崎海斗かんざきかいと──


いや、入店してすぐに決めた源氏名の

“カイン”という名前の方が俺には合っていた。


テーブルの向こうで、客の女が笑っている。

その笑い方も、目の潤みも、全部知っている。

何人も見てきた、“惚れたふり”の仕草。


「カインくんって優しいー!」


「カナさんが俺に優しくしてくれるから

 俺もカナさんに愛情を返してるだけだよ」


女が笑う。

俺も笑う。

その瞬間だけ、二人とも嘘を信じている。


店内のモニターに映る売上ランキング。

今月は6位、恐らく今日の会計と

週末の来店予定をプラスすれば

今月も4位くらいだろうか。


毎月のように指名は安定している。

だが、それ以上を狙うつもりはない。


ランキングの調整は人間関係の調整だ。


1位になれば、先輩たちに目をつけられる。

2位になれば、同僚に足を引っ張られる。

いい位地取りは4位か5位。


ランカーとしてはこのあたりが一番

“安全”で、“自由”だ。


「カインくん、彼女とかいないの?」


「いませんよー!カナさん立候補してくれる?」


そう言うと、女は嬉しそうに肩を寄せてきた。

こういう言葉を投げるたび、

心のどこかが少しずつ乾いていく。

その乾きを客が大金を使って注文する

シャンパンで潤す日々。


愛を売るのは簡単だ。

信じるフリをするだけでいい。


本当に難しいのは──

自分の嘘を信じ続けること。


***


「ようお疲れ、カイン」


閉店時間の1時を過ぎて店内が空になった時、

背後から俺を呼ぶ声がした。


振り返るとLuxt《ルクスト》のナンバーワン

龍ヶ崎麗也りゅうがさきれいやさんが立っていた。

派手なスーツ、完璧な笑顔。

だが、その目には警戒の色がある。


「今月も6位…いや、4位くらいいくか?

 相変わらず器用なやつだな、お前は」


「いえ、麗也れいやさんには到底かないませんから」


「はは、お前らしいな。ま、頑張れよ」


麗也は肩を叩いて去っていく。

その手の感触が嫌に冷たかった。


(だるい絡みして来やがる…)


残ったグラスの氷が溶け、

水面に淡い光が揺れる。


夜はまだ長い。

先ほどの客とのアフターに出かければ

帰るのは朝か昼前くらいにはなる。

だけど俺の中の何かは、もう終わっていた。


外の雨音が、店の音楽よりも優しく聞こえた。

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