「こんにちは。黒猫ヤマトです」

@usagi_racer

第1話 手紙

 カラーン……カラーン……カラーン……。

 教会の鐘が鳴った。

 3時間ごとに鳴らされる鐘の音は、その回数で時刻を知らせている。

 今のは3回。午前6時だ。


「おはようございます、クロ」


 男は目を覚まし、腹の上に乗って丸まっている黒猫に声をかけた。

 黒猫が目を開け、尻尾を揺らす。


「おはよう、ヤマト。

 今日もいい天気だな」


 ヤマトはクロをどかして体を起こし、ベッドの上から窓の外を見た。

 青空8割、白雲2割。なるほど、いい天気だ。

 空気を入れ替えるために窓を開けると、通りを急ぐ冒険者たちの姿があった。


「急げ急げ! 早く行かねーと良い依頼を取られちまうぜ!」


「分かってるよ……先に行ってくれ。オエッ……気持ち悪い……走れそうにないぜ」


「まったく……飲み過ぎるからだ」


「その通り。アホは放っといて先に行こう」


 4人組の冒険者が、1人を置き去りにして走っていった。

 ヤマトは室内に視線を移し、ベッドから出た。

 ブーツを履き、革鎧を装備して、剣を帯びる。その動きはのんびりとしたものだ。ヤマトは慌てない。なぜなら、ヤマトが受ける依頼は、どうせ取られる心配がない。ちなみに剣は飾りだ。冒険者である、と示すための装飾にすぎず、実際に使う予定はない。


「クロ、水をお願いします」


 テーブルの上に、水差しがあった。

 中の水は、昨日ヤマトが井戸から汲んでおいたものだ。この国では生水は飲めない。だが煮沸するには燃料が必要で、しかも有料だ。水魔法を使えれば飲める水を出せるのだが、あいにくとヤマトもクロも水魔法は使えない。

 だがクロは闇魔法を使える化け猫だ。


「はいよ」


 前足で顔を洗っていたクロが、ちらりと水差しに視線を向けた。

 瞬間、水差しが黒い炎に包まれた。

 即死魔法だ。黒い炎は一瞬で消え、これで「水に含まれる有害なもの」は全て死に絶えた。


「ありがとう」


 ヤマトは水差しからコップへ水を移して、ぐびっと1杯飲み干した。

 それから残りの水を桶へ移し、顔を洗う。

 水道なんて上等なものはないので、桶に残った水は、窓から外へ捨てる。そっと垂らすように流すのがマナーだ。勢いよく流すと、下を歩いている人にかかって怒られる。雨樋に収まるように流さなくてはならない。


「それじゃあ、行きましょうか」


「うむ」


 ヤマトが声を掛けると、クロはジャンプしてヤマトの肩へ飛び移った。

 それから頭の上へよじ登り、ずり落ちないようにバランスを整えて、準備完了だ。

 ぐでーっと垂れるように乗っているクロだが、実は後ろ足でヤマトの服に爪を立てて落ちないように踏ん張っていたりする。


「いらっしゃい! 安いよ安いよォ~!」


 ヤマトは朝市の喧騒へ踏み込んだ。

 朝市の雑踏に冒険者の姿はほとんどない。多くは近所の奥様たちだ。

 ヤマトはここで1時間ほどのんびりと買い物を楽しんだ。

 それから冒険者ギルドへ向かう。


「おはようございます。早くからお疲れ様です」


 冒険者ギルドに到着すると、すでに冒険者の姿はまばらだった。

 ギルド職員に挨拶しながら掲示板の前へ行き、依頼書を剥がして受付カウンターへ。


「これをお願いします」


「また配送依頼ですか。そろそろ討伐依頼をやってみては?」


「いえいえ、とんでもない。怖くてとても戦えませんよ」


「ですがランクアップには討伐依頼の成功が必須でして……実際のところ、ヤマトさんは討伐自体はもう経験済みですし」


「いえいえ、そんな……襲われたから仕方なく、というのばかりでして。

 自分から行く討伐は、怖くて無理ですよ」


「そこは勇気を出していただいて……実力も人柄も十分なんですから、あとはランクを上げる条件だけなんですよ? 報酬も配送依頼より多いですし」


 食い下がる受付嬢。

 クロがため息をついた。


「諦めろ。こいつの臆病は筋金入りだ」


「……従魔にまで言われちゃってるじゃないですか」


「いやぁ……ははは……」


「もう諦めて、さっさと手続きをしてくれ。飯抜きは困る」


「……わかりました。

 ライト教会からの依頼ですね。配達していただくのは、修道女をやっているシヌーレという女性から家族への手紙です。ライト教会へ行って手紙を受け取ってください。配達先はイナカ村です。報酬は銀貨5枚ですね。受領サインを貰うのをお忘れなく」


 受注手続きを終えて。

 ヤマトはライト教会へ行き、差出人の修道女から手紙を受け取った。やせ形だが元気ハツラツといった様子の女性だった。

 イナカ村までは、およそ15km。順調に進めば3時間半ほどの距離だ。

 その途中、ちょうど中間地点あたりに、大きな川がある。周辺の川がすべてそこへ合流する。


「クロ」


「駄目だ」


 川を見て声をかけたヤマト。

 クロは話も聞かずに拒絶する。


「濡れたくないんですよ」


「駄目だ!」


「能力を使えば一瞬じゃあないですか」


「駄ぁー目ぇーだッ」


「今回の荷物は手紙ですよ? 濡らすわけにはいかないでしょう?」


「駄目ったら駄目だ! 手紙にだけ能力使えばいいじゃねーか」


「そう言わずに。私だってここを泳いで渡るのはちょっと……ましてやクロだけでは、ねえ?」


 結構な川幅だ。

 しかも深い。

 下流の地形が天然のダムみたいになっているせいだ。

 ヤマトは泳ぐのは苦手ではない。だが服がぬれると乾かすのが大変だ。


「駄目だっつってんだろ、てめぇ! 祟るぞコラ!?」


 シャーッ、とクロは毛を逆立てて威嚇した。


「どうしても駄目ですか?」


「駄目だ」


「はぁ……。

 闇魔法を使う化け猫が、暗所恐怖症って、どうなんですかね」


「うっせーわ」


「……仕方ありませんね」


「そうだ。仕方ないんだ。諦めて泳いで渡れ」


「いえいえ。もっと簡単な方法がありますよ」


 ヤマトはクロをむんずと掴んだ。

 そして川へ向かって、思い切り投げた。


「ギニャアアアア!?

 なんてことしやがる、てめぇ!? これ着地どうすんだよォォォ!?」


「大丈夫ですよ。私にはコレがありますからね『Lost in the echo』」


 ヤマトは能力を発動。

 自分自身の質量をゼロにした。

 重力を、ではなく――質量を、だ。F=maと聞いてピンと来る人なら分かるだろう。質量をゼロにするということは、光の速度で移動し続ける。そして質量ゼロなので光の速度で移動しても重さが増えてブラックホールになる事はない。

 この効果でヤマトは一気に川を越えた。

 そして能力を解除。


「はい、キャッチ。空の旅はいかがでしたか?」


「ふざけんな! 最悪だわ!」


「お気に召しませんでしたか。

 では、やはり一緒に幽霊化して渡るほうが……」


「もっと最悪だわ! 絶対やるなよ!?」


 質量ゼロということは、物体をすり抜ける幽霊みたいな状態になるのだ。もちろん光も音もすり抜けるため、無音の暗闇である。暗所恐怖症のクロには発狂ものの恐怖体験だ。

 ちなみにヤマトは能力の副次効果で周辺の質量を感知できるため、外界の様子がわかる。臆病なので暗闇は怖いが、あらゆる攻撃がすり抜ける無敵状態だから安全だということは分かっているし、怖さレベルは「新月の夜に明かりを持たずにトイレに行く」ぐらいである。

 とにもかくにも川を超えて、支流のひとつを遡るように進み、イナカ村へ到着。村人に声をかけて届け先を聞き出し、無事に受取人を見つけたのだった。


「こんにちは。黒猫ヤマトです」


「あら、冒険者さん。もしかしてお手紙?」


「はい。ライト教会の修道女シヌーレさんのご両親、シーレさんとヌーレさん御夫婦のお宅はこちらでしょうか?」


「そうです。楽しみに待ってたんですよ」


「こちらです」


「どうもありがとう。

 あの子は3ヶ月に1回こうして手紙を送ってくれるのよ。うふふ……楽しみだわ。あの子は元気でしたか?」


「はい。元気ハツラツのご様子でした」


「そうですか。よかったわ」


 片道3時間半。午前中に、あるいは午後から出発しても夕暮れ前には到着できる距離だが、実際のところはそう頻繁に往来できるものではない。半日つぶれてやっと片道なのだから、まず泊りがけになるのは間違いない。しかも魔物や盗賊に襲われる可能性だってゼロではないのだ。

 嬉しそうにする受取人に、受領サインを貰って――


「どうもありがとうございました」


 なるほど、この母親がシーレか。じゃあ父親がヌーレだな。

 などと1人で納得しながら、イナカ村を立ち去った。

 途中で川魚を獲って、朝に買った野菜とともに焼いて食べる。


「焼きたては最高だな!」


「ええ。美味しいですね」


 そして夕暮れ前には街へ戻り、完了手続きを終えて報酬を受け取った。

 銀貨5枚。宿屋に1泊したら、ほとんど使い果たしてしまう金額だ。残ったお金で明日また野菜を買えば、一文無しの素寒貧である。


「焼き冷ましは最悪だな……」


「何でしょうね? この冷えただけで妙に味が落ちるのは……」


 夕食は、昼の残りで済ませることになった。

 あるいは銀貨5枚を夕食代にすれば、お酒と料理をしっかりと味わえるのだが。

 野宿して風邪でもひいたら後がない。


「安全で快適な生活は遠いですねぇ」


「討伐依頼を受けろ」


「それは嫌です。怖いので」

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