第2話 バズの誕生


1週間が過ぎた。

美沙の投稿は、相変わらず誰にも見られていなかった。

フォロワー:0

平均いいね数:5

それでも、美沙は毎日投稿を続けた。

夫の様子を観察し、自分の感情を文字にする。

誰も読まない日記のように。

でも、ある日——美沙は戦略を変えた。

「悲劇」だけじゃ、誰も振り向かない。

人が求めているのは、もっと分かりやすいもの。

共感できる「健気さ」。

怒りをぶつけられる「悪者」。

美沙は夫の好物を作ることにした。


午後4時。

美沙はキッチンに立ち、カレーを作っていた。

玉ねぎを炒め、肉を煮込み、ルーを溶かす。

夫が好きな、いつものカレー。

美沙はスマホを取り出し、カレーの写真を撮った。

湯気が立ち上る鍋。

丁寧に盛り付けられた皿。

そして、投稿文を入力する。

『今日の夕飯🍛

誰も褒めてくれないけど、頑張りました』

シンプルな文章。

絵文字は一つだけ。

美沙は投稿ボタンを押した。


夜7時。

夫が帰宅した。

「ただいま」

「おかえり。今日はカレーだよ」

夫はテーブルに座り、無言で食べ始める。

美沙は向かいに座り、夫の様子を見ていた。

「……美味しい?」

「ああ、うまい」

それだけ。

夫はスマホを見ながら、黙々と食事を続ける。

美沙は自分の皿に目を落とした。

誰も褒めてくれない。

それは、事実だった。


夜10時。

美沙はソファに座り、スマホを開いた。

いつものように、投稿の反応を確認する。

いいね:8

いつもより少し多い。

でも、相変わらずコメントはゼロ。

美沙は画面を閉じようとした——その時。

通知が鳴った。

『あなたの投稿がリツイートされました』

美沙は目を見開く。

タイムラインを開くと、自分の投稿が誰かにシェアされている。

リツイートした人物のコメントには、こう書かれていた。

「#サレ妻の健気さ こんなに頑張ってるのに報われない人がいる。みんな見てほしい」

美沙は息を止めた。

そして——。

通知が止まらなくなった。

『いいね!されました』

『いいね!されました』

『フォローされました』

『リツイートされました』

画面が次々と更新されていく。

美沙は震える手でフォロワー数を確認した。

フォロワー:127人

数秒後。

フォロワー:584人

さらに数秒後。

フォロワー:1,203人

止まらない。

美沙の心臓が激しく鳴っている。

何が起きてるの?


翌朝、6時。

美沙は一睡もしていなかった。

スマホを握りしめたまま、ソファに座り続けている。

画面には、信じられない数字が表示されていた。

フォロワー数:10,453人

たった12時間で。

投稿には、何百ものコメントが殺到している。

『あなたは何も悪くない!』

『旦那最低すぎる』

『応援してます!』

『続きが気になる……』

『浮気相手は誰?』

『証拠見せて!』

美沙は画面をスクロールし続けた。

知らない人たちが、自分のことを心配している。

知らない人たちが、夫を責めている。

知らない人たちが、自分の味方になってくれている。

美沙の唇が、ゆっくりと歪んだ。

これだ。

これが、私の武器。


夫が起きてくる前に、美沙は顔を洗い、化粧を直した。

鏡の中の自分は、いつもと変わらない。

でも、目の奥に何かが宿っている。

期待。

興奮。

そして、確信。

朝食の準備をしながら、美沙はスマホを確認する。

フォロワーは11,000人を超えていた。

コメント欄には、新しいメッセージが次々と届いている。

『続き教えてください!』

『浮気相手って誰ですか?』

『あなたの味方です!』

美沙は深く息を吸った。

人は、他人の不幸を見たがっている。

彼らが求めているのは、美沙の幸せじゃない。

もっと悲惨な話。もっとドラマチックな展開。

それなら——。

美沙は新しい投稿を作成し始めた。

『皆さん、たくさんのコメントありがとうございます。

正直、こんなに反響があるとは思っていませんでした。

実は……夫の浮気相手のこと、少しだけお話しします。

彼女の名前は言えませんが、

私の知り合いです。

夫の会社の後輩で、

何度か家にも来たことがあります。

私が彼女にお茶を出して、

笑顔で話していたあの日。

二人は、もう……』

美沙は文章を途中で止めた。

焦らす。

それが、一番効果的。

投稿の最後に、こう付け加える。

『すみません、ちょっと辛くなってきました。

また後で、続きを書きます』

投稿ボタンに指を置く。

美沙は鏡を見た。

そこに映っているのは、涙を浮かべた「被害者」ではなく——。

冷静に、すべてを計算している自分だった。

美沙は、笑った。

そして、投稿ボタンを押した。


午前8時。

夫が出勤した後、美沙は再びスマホを開いた。

投稿から30分。

いいね:8,472

コメント:1,203

リツイート:2,894

コメント欄は、阿鼻叫喚だった。

『続きが気になりすぎる!』

『知り合いって最悪じゃん』

『絶対許せない』

『旦那と浮気女を晒せ!』

『応援してる!負けないで!』

美沙はソファに深く座り込んだ。

画面を見つめる。

これが、私の居場所。

誰も私を見てくれなかったリアルとは違う。

ここでは、何万人もの人が私を見ている。

私の言葉を待っている。

私の痛みを共有したがっている。

美沙は投稿を続けることにした。

でも、今度はもっと慎重に。

もっと計算して。

彼らが求める「物語」を、私が作ってあげる。


午後3時。

美沙は新しい投稿を作成した。

『先ほどは取り乱してしまい、すみません。

少し落ち着いたので、続きを書きます。

夫の浮気相手——彼女を「Kさん」としておきます。

Kさんは、私より7歳年下です。

綺麗で、愛想がよくて、

夫の会社でも人気があるそうです。

私が初めて彼女に会ったのは、

半年前の夫の会社の飲み会でした。

「奥さん、綺麗ですね!」

「旦那さん、いつも奥さんの話してるんですよ」

そう言って、笑顔で話しかけてきた彼女。

私は、何も知らなかった。

その時すでに、二人は……』

美沙はまた、文章を途中で止めた。

そして、こう付け加える。

『ごめんなさい。

やっぱり、まだ辛いです。

でも、もう隠すのはやめようと思います。

真実を、少しずつ話していきます。

支えてくれる皆さんがいるから、

私は戦えます』

投稿する。

瞬時に、反応が殺到する。

『泣いた』

『絶対許せない』

『あなたは強い!』

『続き待ってます!』

美沙は画面を見つめたまま、静かに笑った。

簡単だ。

彼らは、私が「被害者」でいる限り、味方でいてくれる。

私が「健気」でいる限り、応援してくれる。

そして、私が「真実」を小出しにする限り、離れていかない。

美沙はコメント欄に返信を始めた。

『ありがとうございます』

『皆さんの言葉が支えです』

『一人じゃないって、初めて思えました』

一つ一つ、丁寧に。

感情を込めて。

演じる。

それが、美沙の新しい役割だった。


夜11時。

夫は今日も遅かった。

「ただいま」

「おかえり。ご飯、温めようか?」

「いや、いい。もう食った」

夫はシャワーを浴びに行く。

美沙はスマホを開いた。

フォロワー数:14,328人

たった一日で、4,000人近く増えた。

美沙は画面を見つめながら、夫の背中を見た。

あなたは、まだ何も知らない。

私が、何を準備しているのか。

美沙は新しい投稿を作成し始めた。

『今日も、夫は遅く帰ってきました。

「仕事で遅くなった」と言っていますが、

本当でしょうか?

私、もう信じられなくなってしまいました』

投稿する。

すぐに、何十ものコメントが届く。

『GPS追跡アプリ入れろ!』

『絶対嘘ついてる』

『浮気確定じゃん』

美沙は静かに微笑んだ。

みんな、ありがとう。

あなたたちが、私の武器になる。


翌朝。

美沙が目を覚ますと、スマホには50件以上の通知が届いていた。

フォロワー数は、18,000人を超えていた。

そして——ある一通のDMが届いていた。

送り主は、企業の公式アカウント。

『突然のご連絡失礼いたします。

弊社は女性向けライフスタイルメディアを運営しております。

@revenge_flower様の投稿を拝見し、

ぜひ取材させていただきたく思っております。

よろしければ、ご検討いただけますでしょうか』

美沙は画面を見つめた。

心臓が高鳴る。

取材。

メディア。

もっと多くの人に、私の存在が届く。

美沙は返信を書き始めた。

『ご連絡ありがとうございます。

ぜひ、お話を聞かせてください』

送信。

美沙は鏡の前に立ち、自分の顔を見つめた。

そこに映っているのは——。

もう、ただの「被害者」ではなかった。


【第2話 終】


次回予告:第3話「偽りの天使」

フォロワー8万人。

美沙は完璧な「哀れな妻」を演じ続ける。

企業案件、メディア取材——すべてが美沙を持ち上げる。

一方、夫の会社には匿名の通報が殺到し始める。

「不倫社員がいます」

美沙の復讐は、静かに、確実に進行していく。

そして、夫がついに美沙を問い詰める——。

「お前、何かやってるだろ?」

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