35.メイド
「まず、お前の名はなんだ。」
「……ワギトだ。」
「ならばワギト、この檻と獣人はなんだ。
彼らはなぜここにいる。」
「奴隷として売るために捕まえさせた。
今日の夜、貴族たちが参加する
闇のオークションに出品される。」
「先程、注文を受けたと言っていたな。
お前と繋がっている貴族の名を教えろ。」
「……それは言えない。」
凛太郎はワギトの背中を更に強く踏みつける。
彼は小さくうめき声をあげるが、
どうしてもそれは答えられないようだ。
これが忠義によるものなのか、
悪人としてのプライドなのか。
どちらにしても厄介なことだ。
凛太郎がここに来た目的はあくまでも
他の種族を奴隷として売り捌いている
貴族とやらを特定して粛清することなので、
ここで彼に黙られる訳にはいかない。
凛太郎は心を鬼にして、
たとえ少し手荒なことになろうとも
彼の口を割らせることにした。
収納から匕首を一本取り出し、
雷属性を付与してから
ワギトの右手のひらを刺した。
「答えろ。お前と繋がっている貴族は誰だ。」
ここまでしてしまうのは拷問の域だが、
目的のためには仕方ない。
一度やった以上、彼の命が尽きる寸前まで
簡単にはこの手を弛めることなどできない。
「……たとえ全てを奪われようとも、
それだけは言えない。」
しかしワギトも強情な様子だ。
ただ、ここで凛太郎は少し疑問に思う。
彼や彼の仲間が束になったところで、
凛太郎に勝つことはできない。
先程の一方的な凛太郎の蹂躙は
それだけで十分印象に残っているはずだ。
今の彼はまさに手も足も出せない状況で
凛太郎に逆らうメリットなどない。
それでも言わない。いや、言えないのは
彼の後ろにいる貴族が
凛太郎よりも恐ろしいということだろうか。
凛太郎に逆らうことよりも
その貴族に逆らう方が恐ろしいことになると、
彼はその身で体験しているのではないか。
なんとなく思っただけだが、
ワギトの表情に浮かんでいる恐怖は
全てが凛太郎のせいだとも思えない。
「…最後にもう一度だけ聞く。
お前の後ろにいる貴族は───っ!」
凛太郎の前髪を氷の刃が僅かに削った。
反応するのがもう少し遅れていたら、
きっと凛太郎の額には
あの刃が突き刺さっていただろう。
凛太郎が武器を構えて
刃の飛んできた方を睨むと、
一人の女が姿を現した。
地下水路なんて場所には
到底似合わないメイド姿の女だ。
そして、見下すような視線で
地面に倒れているワギトたちを見ている。
「誰だ。」
ワギトたちを制圧してからも、
凛太郎は気配察知を解除していない。
誰かがこの場所に近づいてきたら
気配察知に引っかかるはず。
なのにその女は凛太郎のスキルを掻い潜り、
しかも凛太郎相手に先手を取ったのだ。
この女、ただのメイドではない。
「……っ!む、ムーン!?
どうしてこんな所に!?」
陰から現れたその女を見て、
ワギトは驚愕の声をあげている。
そして、ガタガタと震え始めた。
その瞬間に凛太郎は直感する。
目の前にいる女はワギトと知り合いで、
奴隷商売の貴族とも繋がっている。
更に言えば、貴族の用心棒か護衛の類いだ。
メイドの格好こそしているが、
彼女の強さはただのメイドに留まらない。
凛太郎が先手を取られるとは、
それだけで強いという証明になり得るのだ。
「ワギト様、私は落胆しています。
決して楽ではない仕事と言えど、
時間も軍資金も十分にご用意致しました。
それなのにこの体たらくは何ですか。」
ムーンと呼ばれた女は周囲を見渡すが、
すぐに視線をワギトへ戻した。
「エルフ族どころかラミア族もいないですね。
集めているのは非力で貧弱な獣人だけ。
たったこれだけでご主人様が満足して下さると
本気で思っておられるのですか?」
ムーンの言葉には圧がある。
彼女が言葉を発する度に
ワギトの震えが加速しているようだ。
しかも彼女本人には全く隙がない。
少しでも隙を見せればその瞬間に
気絶させてやろうと思ったが、
どうやらそれは上手くやれそうにない。
そして、この状況をどう打破すればいいか
凛太郎が頭を働かせていると、
ムーンの目が凛太郎を捉える。
「あなた様が邪魔をしたのですか?」
凛太郎の頬を冷や汗が伝う。
理由や理屈はさっぱり分からないが、
彼女からの問答に間違えると
この場で殺されてしまいそうだ。
凛太郎の足とスキルがあれば、
普通の相手ならまず逃げられる。
だが、彼女から無事に逃げ延びる未来が
凛太郎には全く見えなかった。
だからここは素直に答えるしかない。
「あぁ、そうだ。」
「冒険者のようにお見受けしますが、
職種を伺ってもよろしいですか。」
「職種は暗殺者だ。一応、魔王を倒すために
冒険者をやっている。」
「ここへいらっしゃったのは
単なる正義感からですか?」
「そんなところだ。」
「左様でございますか。」
言い終わった瞬間、
彼女から放たれた氷の刃が
ワギトたちの体を次々と貫く。
彼らの体から冷たい血が流れ、
次第に体も冷たくなっていく。
凛太郎も身構えたが、
彼女の刃が飛んでくることはなかった。
そして、用は済んだと言わんばかりに
背中を向けて去って行こうとする。
「…待て。」
凛太郎が呼び止めると、
高いヒールの靴音をピタリととめて
ムーンは振り向いた。
猛禽類さえ射殺すような視線に
思わず怯みそうになる凛太郎だが、
ここで退いては全てが無駄になる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます