第21話 魚屋と八百屋の本気の鍋
――菜々
雪合戦の次の日。
朝からずっと考えてた。
「本気で鍋、作ろう」って。
昨日の汐の「魚はブリ、持ってく」って言葉が頭から離れなかった。
魚屋の本気を見せてもらおうじゃないの、と思いつつ、
八百屋の本気も見せたい。
仕事終わり、私は白菜と蕪を抱えて汐の家に向かった。
冬の夜の空気は冷たくて、指先が少し痛い。
でも、その分、家の灯りがあたたかく見える。
「おじゃましまーす」
「いらっしゃい、八百屋さん」
エプロン姿の汐が、もう台所に立っていた。
まな板の上には鰤の切り身がずらり。
光の加減で金色に見える脂。
さすが魚屋。包丁の角度からして違う。
「すご……美術品みたい」
「彫刻じゃなくて、料理。――今日は本気だから」
「ふふ、こっちもね」
私は白菜と蕪をまな板に並べた。
汐がちらっと見て、にやりと笑う。
「白菜、いいやつ」
「でしょ。黒い点々があるでしょ? あれ糖分が多い証拠」
「なるほど。甘くなるやつだ」
「そうそう。見た目で捨てる人多いけど、もったいないんだよ」
「八百屋のうんちく、出たね」
「そっちこそ、ブリの切り方、完璧すぎる」
汐が腹の部分を見せながら説明する。
「腹のほうは脂が多いから、煮てもパサパサにならない。
だから大きめに切って、しっかり火を通す。
背のほうは脂が少ないから、しゃぶしゃぶが向いてる」
「なるほどね……やっぱり魚屋のプロは違う」
「八百屋もでしょ。蕪の処理、どうするの?」
「筋のとこまで皮むく。もったいないって思うでしょ? でもね、そこまで剥くと口溶けが全然違うの」
「そういうこだわり、好き」
「ちょっと、なにサラッと照れさせること言うの」
「事実を言っただけ」
「またそれ〜」
⸻
まな板の音と、出汁の湯気。
美味しそうな香りが、部屋いっぱいに広がる。
「昆布出汁に、酒とみりんを少し……」
「そこに少し生姜を入れて。魚の臭みがまったくなくなる」
「了解。汐、味見して」
「ん……うん、優しい味」
「でしょ? 白菜入れたらもっと甘くなるよ」
私たちは無言でしばらく鍋に集中した。
お互いの手の動きがぴたりと合う。
包丁のリズム、食材の順番、
まるで同じ台所で何年も料理してきたみたいだった。
⸻
「菜々、火、弱めて」
「うん」
「ブリの腹、入れるね」
「はい、蕪も投入」
湯気がぶわっと上がる。
湯気越しに見える汐の顔が、少し赤い。
たぶん、私も。
「……美味しそう」
「まだ味見禁止」
「なんで?」
「完成まで我慢。それがプロ」
「ふふ、厳しい」
⸻
しばらくして、鍋がぐつぐつと音を立て始めた。
蓋を開けると、湯気の中からブリの艶めいた香りが立ち上る。
黄金色の脂が表面に浮かんで、
白菜が透き通って、蕪はふるふると柔らかい。
「……これ絶対美味しい」
「完成」
汐が火を止め、しゃもじで具材をすくった。
器に盛って、柚子皮をひとつまみ。
冬の香りがぱっと弾ける。
「いただきます」
口に運ぶと、
蕪がほろっと崩れて、ブリの脂が舌に乗る。
出汁がそれを優しく包んで、
白菜の甘みがあとから追いかけてくる。
「……おいしい」
「だろ」
「うん。悔しいけど、完璧」
「悔しがらないで」
「だって、八百屋負けた気がする」
「いや、菜々の野菜がなかったらこの味にならない」
そう言って、汐が箸を止めた。
少し真面目な声で、
湯気の向こうから笑う。
「魚と野菜って、似てるよね」
「え?」
「扱い方ひとつで、良くも悪くもなる。
だけど一緒にすると、どっちも引き立つ」
「……うん」
「だから、菜々と料理してると落ち着く」
「……それ、ずるい」
「事実を言っただけ」
「もう、そればっかり〜!」
⸻
笑いながら、私はしゃぶしゃぶ用のブリをお皿に並べた。
薄切りの身が、半透明に輝いている。
菜箸で一枚すくって、鍋の出汁にくぐらせる。
しゃぶ、しゃぶ、しゃぶ。
脂が表面にとろりと溶けて、
ブリが花びらみたいに開いた瞬間、
私は汐の箸にそっとのせた。
「はい、魚屋さん。八百屋からの差し入れ」
「……ありがとう」
汐がそれを一口食べて、目を細めた。
「……菜々が作ると、ブリまで甘い」
「それ、褒めてる?」
「うん。すごく」
⸻
食後、二人で鍋の残りを見つめた。
出汁が金色に透き通っている。
魚の旨味と野菜の甘味が完全に溶け合っていて、
まるで、ひとつの料理人が作ったみたい。
「ねぇ、汐」
「うん」
「この出汁、雑炊にしてもいい?」
「もちろん。最後まで美味しくしよう」
私は卵を割って、
ご飯を入れて、ゆっくり混ぜる。
汐が火を調整して、
トロがこたつの横で丸くなっている。
やがて、ふわっと香ばしい匂いが立ち上った。
私たちは器を並べて、静かにスプーンを動かす。
「……ねぇ汐」
「ん?」
「また作ろう、これ」
「うん。本気の鍋、第二弾」
「魚屋と八百屋の共同作品ね」
「名前つける?」
「“なべととなり”」
「なんか、可愛い」
鍋の音と、笑い声。
冬の夜が、やわらかく溶けていった。
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