第18話 冬のはじまり、2人の台所

――菜々


 窓の外に白い息が浮かんで、朝の光がやけに澄んで見えた。

 寒い季節のはじまり。

 八百屋の店先には白菜や大根、金時人参が並んで、

 どれも冬支度を始めているみたいだった。


「鍋、しよっか」

 私がそう言うと、隣の魚屋から顔を出した汐が笑った。

「いいね。魚は任せろ」

「じゃあ野菜は私ね」

「当たり前」

「えへへ」


 たったそれだけで、胸の奥がぽっとあたたかくなる。

 こんなに寒いのに。



 夕方。店を閉めたあと、私たちはいつものように魚屋の厨房を借りて夕飯を作ることにした。

 台所に立つと、汐の動きはいつも無駄がない。

 包丁の音が小気味よく響いて、私はその音を聞きながら野菜を切っていた。


「汐、白菜の芯って、どのくらい薄く切る?」

「うーん……あんまり薄いと煮崩れるから、これくらい」

 そう言って、汐が私の手を取って包丁の角度を直した。

 指先が少し触れる。

 その瞬間、息が止まる。


「……こう」

「う、うん」

「緊張してる?」

「してない!」

「してる」

「してないもん!」

「ふふ」


 笑われて、余計に顔が熱くなった。



――汐


 菜々の手は小さい。

 包丁を持つと、指先が少し震えているのがわかる。

 その不器用さが、妙に愛しい。


「汐、これ見て。切り方、合ってる?」

「うん。ちょっと厚いけど、味が染みると思う」

「ほめた?」

「たぶん」

「またそれ」


 笑いながら、湯気の上がる鍋を覗く。

 魚の切り身が白くなり、野菜の香りが混ざり合っていく。

 部屋の中に、静かな温かさが満ちていった。


「汐って、料理してる時だけ優しい顔するよね」

「そう?」

「うん。なんか……好き」

「え?」

「え?」


 目が合って、二人とも慌てて視線を逸らした。

 味噌の香りが少し濃くなる。

 沈黙が、どこか心地いい。



――菜々


 鍋が煮える音を聞きながら、私はお玉でそっと味見をした。

「……おいしい」

「ほんと?」

「うん、優しい味」

「菜々が作ったからでしょ」

「半分は汐だよ」

「じゃあ二人の味だ」


 そう言って、汐が微笑んだ。

 なんでもない言葉なのに、胸の奥にじんわりと響く。


「……なんかね」

「ん?」

「こうして一緒に作ってると、昔からこうだった気がする」

「うん。小学校の時、焼き芋作ったじゃん」

「懐かしい! あの時、汐が焦がしたやつ?」

「違う、菜々が落としたやつ」

「違うもん!」

「ふふっ」


 笑い声が重なって、湯気が二人の間をゆらゆらと包み込む。



 鍋を食べ終えたあと、片付けも二人で。

 汐が食器を洗って、私が拭く。

 肩が何度も触れて、手が少しだけ重なる。


「……汐」

「なに?」

「今日も楽しかったね」

「うん。こういう時間、好き」

「私も」


 外は冷たい風が吹いているのに、

 部屋の中はずっとあたたかかった。

 ストーブの音と、食器の音と、心の音が静かに溶け合っていた。



――汐


 菜々が笑って「また一緒に作ろうね」と言った。

 私は、うなずくだけで精一杯だった。

 その笑顔がまぶしすぎて、言葉が出なかった。


 たぶん私は、もうずっと前からこうだったのかもしれない。

 ただ、気づかないふりをしていただけ。


 “菜々と作るごはん”が、私にとっての幸せの形。

 それを言葉にする勇気は、もう少し先の話。

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