第10話 夕立のあと、2人の影
――菜々
午後、急に空が暗くなった。
風鈴の音が遠くで途切れて、次の瞬間、ざあっと雨が降り出した。
私は慌てて店先の野菜を奥に運びながら叫ぶ。
「きゃーっ、トマト避難ー!!」
隣の魚屋から声が返ってきた。
「おい菜々、傘!」
「持ってない!」
「バカ!」
気づけば、汐が魚箱を抱えたまま走ってきた。
肩まで濡れてる。
そのまま無言で、私の店のビニール屋根を引っ張り出してくれる。
「汐、風邪ひくって!」
「いいから動け!」
「命令口調!」
「店長だから!」
「八百屋のほうが格上!」
「意味わかんねぇ!」
雨音の中で言い合いながら、二人で必死に屋根を固定する。
腕と腕がぶつかって、水しぶきが顔にかかる。
気づいたら、私の手が汐の手を掴んでいた。
「……っ、ごめん」
「いや」
汐が息をつく。
雨の中、近すぎる距離で目が合った。
頬に貼りついた髪が、ちょっと艶っぽく見えて、
私は慌てて視線を逸らした。
この距離、心臓に悪い。
⸻
――汐
夕立ってやつは、いつも突然だ。
けど、菜々の慌てっぷりはそれ以上に突然。
トマト抱えて走り回る姿、なんか必死で笑える。
「なに笑ってんの!」
「いや、おまえ濡れすぎ」
「しょうがないでしょ!」
そう言いながら、菜々が腕まくりする。
濡れた髪が頬に貼りついて、
そのまま手の甲で拭う仕草が妙に女っぽかった。
ほんと、ずるい。
私は無意識に声を落とした。
「……風邪ひくぞ」
「汐もね」
「私は丈夫」
「そういうとこで張り合わないの」
言葉のテンポはいつもと同じなのに、
なんか空気が違った。
雨の匂いのせいかもしれない。
⸻
少しして、雨が上がった。
商店街のアスファルトが夕陽を映して、橙色に光る。
遠くでカモメの声。
風鈴が、また小さく鳴った。
「……きれいだね」
菜々がぽつりと言った。
私はその横顔を見た。
濡れた頬に光が当たって、きらきらしてた。
「菜々」
「なに?」
「前から思ってたけど」
「え?」
「おまえ、なんかずるい」
「な、なにそれ!?」
「見てると、落ち着かない」
「そ、そんなこと言われても!」
「だから、困る」
自分でも、何を言ってるのか分からなかった。
菜々は真っ赤になって、しばらく黙ったあと、
小さく笑った。
「……ありがと」
「なんでお礼?」
「なんか、褒められた気がしたから」
「褒めてない」
「はいはい」
言い合いながら、空を見上げる。
雲の切れ間から、夕陽がのぞいていた。
その光が地面の水たまりに反射して、
ふたりの影が並んで揺れている。
⸻
――菜々
風がまた吹いて、風鈴が鳴った。
ふと横を見ると、汐が空を見上げている。
頬に光、瞳にオレンジ色。
やっぱり、この人、かっこいい。
でもその“かっこよさ”の奥にあるものが、
少しずつ分かってきた気がする。
ただの幼なじみじゃなくて、
ただの隣でもなくて。
私の世界に当たり前みたいに居続ける人。
その存在が、
最近やけに眩しい。
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