第14話 鏡の湖



 政陽は自分の羽馬に桜華を乗せた。

 桜華は羽馬に乗ったことが嬉しいらしく政陽の手を借りて羽馬に乗ると笑顔になる。


 政陽の羽馬は羽馬の中でも大型種で二人乗せたぐらいではビクともしない。

 そしてゆっくりと羽馬が浮かび上がる。



「わあ、すごい!」


「ちゃんと捕まっていなさい、桜華。あんまり羽馬の上ではしゃぐと落ちてしまうよ」



 政陽は手綱を引きながらゆっくりと進んで行く。

 後ろには側近の流星が同じように羽馬に乗ってついて来ていた。


 羽馬はそれほど高度を上げていないので「神霊の森」の様子がよく分かる。

 森は木々が生い茂っているがやがて前方に湖が見えて来た。



「セイ、あれが鏡の湖?」


「そうだよ。あの湖は湖底から水が湧き出していてね。いつも綺麗な透明な水なんだが「災い」が起こる時には水が濁ると言われているんだ」



 政陽は羽馬を湖の畔に着地させた。

 桜華は政陽の手を借りて羽馬から降りる。

 後から来た流星も地面に降り立った。



「流星、馬を頼む。私たちはボートに乗るから」


「承知しました。ごゆっくりどうぞ」



 流星は政陽の羽馬の手綱を掴む。



「桜華、おいで。この先にボート小屋があってボートに乗れるようになっている。一緒にボートに乗ろう」


「うん」



 桜華は素直に頷いて政陽の後を歩き出す。

 政陽の後ろを歩きながら桜華はキョロキョロと森の様子を見ていた。


 カークお爺さんと住んでいた森とは違う植物がいっぱいある。

 その植物たちに桜華の好奇心が刺激された。



「ねえ、セイ。これはなんていう植物?」


「これは「邪教花じゃきょうか」と言って花の蜜に毒があるから不用意に取ったりしないようにね」



 邪教花は魔界ではその辺に咲いているありふれた植物だ。



「こっちは?」


「これは……」



 桜華の興味津々の問いに答えながら政陽たちは湖のボート小屋に着いた。

 小さな小屋と小さな桟橋があり桟橋にはボートが括り付けられている。


 政陽は慣れた手つきでボートの準備をした。

 時々気晴らしのために政陽はこの湖でひとりでボートに乗ることがある。

 魔界とはいえ自然に溢れるこの湖を政陽は気に入っていた。



「おいで桜華。ボートに乗せてあげよう」



 桜華が政陽の手を借りて恐る恐るボートに乗り込む。

 ユラユラ揺れるボートに慣れなくて桜華は怖くて身が竦んでしまう。

 オールを巧みに使い二人を乗せたボートは湖に滑り出した。



「桜華、大丈夫だよ。周りを見てごらん」



 桜華は恐怖で目を瞑っていたが目を開ける。



「すご~い!」



 赤い月の光を反射して湖は赤く光っている。

 そして湖畔の緑の植物の数々。

 その光景は素晴らしい。



「あんまり身を乗り出すなよ。危ないからな」



 桜華はボートから手を出して湖の水を触ってみた。



「冷たいけど気持ちいいな」



 湖に連れてきてくれた政陽に桜華は感謝の気持ちでいっぱいになる。

 自分は政陽の客扱いだが客が政陽を拘束していい理由はない。


 政陽だって仕事があるだろうしカークお爺さんも大人になるとやることが多くて忙しいのだと言っていた。

 それでも自分のために政陽は時間を作ってこの湖に連れて来てくれた。

 そのことがとても嬉しい。



「今日は湖に連れて来てくれてありがとう、セイ」



 笑顔で桜華は政陽に礼を言う。



「このくらいどうってことない。でも俺も誰かとボートに乗ったことは無いがな」


「一人でボートに乗っていたの?」


「一人になりたい時にボートに乗っていた」



 一瞬。政陽は遠い目をした。

 桜華はその一瞬の政陽の表情を見てしまい胸が苦しくなった。



(セイが一人になりたい時ってどんな時だろう)



 桜華はカークお爺さんと二人暮らしでカークお爺さんが仕事をしている時は大人しく山小屋で一人で待っていた。

 一人は寂しい。

 でもセイは敢えて一人になりたい時があると言う。



「セイは桜華と一緒に居るより一人の方がいい?」


「桜華に心配されてしまったかな。大丈夫、今は桜華といる方が楽しいよ。桜華には理解できないかもだけど私はいろいろと背負うモノが重たく感じる時があるんだ」



 政陽は苦笑しながら答えた。



「じゃあ、桜華がその重いモノを半分持ってあげる。桜華は力持ちだから重い水も持てるよ。いつも水汲みに行ってたもん」



 政陽を見つめる桜華の目は真剣そのものだった。



「これじゃまるで求婚を受けているようだな。大丈夫だよ、桜華の笑顔を見てると重いモノが少し軽くなる」


「じゃあ、桜華はいつも笑顔でいるね。セイが苦しまないように」


「ああ、ありがとう」



 桜華は微笑む。



 本当に不思議な娘だ。

 天使族だとは思うが天族の者が品行方正かというとそうではないことを政陽は知っている。


 そもそもそんな良心的な一族なら魔族と何度も戦いになることはない。

 政陽はもちろん古の神だから三界がどのような道を辿ってきたか知っている。


 その長い歴史の中で天界と魔界は大きな争いを3回ほど起こした。

 いずれも天帝飛翔と魔王九曜の力で休戦条約が結ばれて現在に至る。

 休戦条約の証人は政陽が務めてきた。


 そんな天族に生まれた桜華はどうやら幼少期は人間に育てられその後は天界にいたと思われるが天族のずる賢さとは無縁な娘だ。

 桜華の言う育ての親である人間のカークお爺さんが桜華を純粋な愛情を持って育てた結果だろう。


 先ほどの言葉は噓偽りなく桜華の笑顔を見ると政陽は元気が出てくる気がする。


 桜華はボートから湖の中を見ている。

 透明度が高いこの湖は湖底まで見通せるぐらい水が澄んでいるからそれが珍しいようだ。


 この湖のように心が綺麗に澄んでいる桜華は政陽の心を乱す。

 自分は人界神レオン。

 一時の感情で恋愛ができる立場ではない。


 桜華の横顔を見ながら政陽は自分が抱いてはいけない感情が大きくなりつつあるのを感じていた。


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