第4話:色を失くした約束

 朝の光は柔らかく、海斗の部屋にゆっくりと広がった。

 だが、彼の視界に映る世界は、まだモノクロのまま。色を失くした風景は、心の奥の空白と重なる。


 Lensの声が静かに響く。


「今日は、あなたの写真の中に潜む“色の欠落”について解析を進めます」


 欠落――。海斗はその言葉に胸をざわつかせた。

 ずっと避けていた、誰かの存在。名前も顔も思い出せないまま、ただ影として残るその人物のこと。


「あなたが意識的に写さなかった人物は、美桜ではないでしょうか」


 Lensは淡々と言った。だが、その一言が胸を刺す。

 美桜――確かに、過去の写真の影の中で、微かに彼女の存在を感じていた。

 しかし、彼女を撮れなかった理由は、記憶の底に深く沈んでいた。


 事故前、海斗は何度もカメラを向けようとしては、シャッターを押さなかった。

 理由は、覚えていない。覚えたくなかったのかもしれない。

 Lensは続ける。


「あなたは、記憶の痛みを避けるために、“ある色”を封印していたのかもしれません。それは、感情そのものの色です」


 色――感情の色。海斗はカメラを手に取り、過去の写真を一枚ずつ見返す。

 すべてが美しい光景だが、どこか寒々しく、温度を失っていた。

 それは、彼が自分自身の心を閉ざしていた証だったのかもしれない。


 そして、Lensが初めて語った。


「涙の概念は、AIには再現できません。感情の色を正確に写すことも難しい。しかし、あなたの記録の中に残る光と影は、心の動きの断片を映しています」


 涙――。海斗は、事故以前のある日の光景を思い出した。

 美桜が微笑みながら手を伸ばしてくれた瞬間、彼はカメラを構えた。

 だが、シャッターを押せなかった。恐らく、写してしまえば、その瞬間が過去になってしまうことを、無意識に恐れたのだ。


 窓の外で、夕暮れの光が街の建物をオレンジ色に染める。

 海斗はカメラを構え、ファインダーを覗く。モノクロの世界に、わずかに色が差し込む。

 Lensの解析によると、それは彼の心が微かに動き始めた証だった。


 夜、部屋の明かりを落とすと、海斗はベッドに座り込んだ。

 Lensの声が、柔らかく、しかし確かな響きで届く。


「色を失くした約束を、あなたは覚えていますか」


 その言葉に、海斗の胸が締め付けられる。

 約束――。記憶の奥底で、彼は思い出した。

 美桜と交わした、小さな約束。カメラを通して、互いの存在を確かめること。

 でも、色を取り戻す勇気が、当時の彼にはなかった。


 深呼吸をひとつ、そしてカメラを手に握り直す。

 今度は、恐れずにシャッターを押すつもりだった。

 モノクロの中に色を取り戻すために。

 美桜の存在を、影ではなく光として、写真に残すために。


 夜が深まる。窓の外には、静かな光が揺れている。

 海斗はファインダーを覗き、そしてそっと微笑んだ。

 色を失くした約束は、今、少しずつ蘇ろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る