第六章 嫌いな後輩と憧れの先輩

第19話 この女は煽りスキルが無駄に高い

 数日後のある日の朝会。


「来月の出張は、田村、浅海、花森。この三人でお願いします。」


 営業部長から、出張の通達があった。

 今回の地方出張は、新サービスの大口契約を狙う重要な商談だ。

 先方は業界でも名の知れた企業で、ここで契約が取れれば今期の営業目標は大きく前進する。


 このメンバー構成、なるほどと思った。

 まず花森。入社一年目で、今回は新人育成も兼ねているんだろう。大口商談の現場を見せて経験を積ませる。

 そして田村さん。受注率とクローズ力は部内でもトップクラス。ここぞという商談には欠かせない存在だ。この二人が選ばれたのは納得できる。


 ……で、私。


 表向きの理由は花森のOJTの先輩、といったところだろう。でも実際は、男女二人だけで泊まりの出張に行かせるわけにはいかない、という会社側の配慮だ。

 とりわけ花森は要注意人物。田村さんに媚び媚びなのは社内でも有名だし、変な噂が立つのを防ぐために女の私も一緒に、ということなんだろう。


(花森、絶対後で文句言うんだろうなあ。)


 私は心の中で苦笑いした。「田村さんと二人が良かった」だの「当日休んでくれ」だの。

 目に見えるようだ。


***


 営業車にて。


「はあぁ。出張、なんで浅海さん来るんですか?田村さんと二人が良かったなー」


 花森がわざとらしく大きな声で言った。


 はい、出ました。

 予想通りすぎて、逆に清々しいくらいだ。このパターン、何度目だろう。花森テンプレ集でも作れそうだ。


「あのさ、そんな本人の目の前で残念そうに言わないでくれる?」

「浅海さん、当日仮病で休んでくださいよ。突然の腹痛とかで」

「はあ?」​​​​​​​​​​​​​​​​

 

 はいこれも当たり。

 思わず苦笑い。呆れた声が出る。


「できるわけないでしょ、仕事なんだから。しかも大口のお客様相手なんだよ?」

「『お腹痛いですぅ』って電話一本入れるだけじゃないですか。演技力あれば余裕です」


 冗談なのか本気なのか、花森が肩をすくめながら、ケラケラ笑いながら言ってくる。


「遊びじゃないんだから。こんな大事な商談で穴開けたら、会社にどんだけ迷惑かかると思ってるの」

「そうですけど。浅海さんがいると、せっかくの出張なのに田村さんと二人きりで話せないじゃないですか」

「あー、はいはい。また田村さんね」

「ですです。折角近づけるチャンスなのに浅海さんがいたら進展できないじゃないですか」


 花森がにっこり笑う。目は笑ってない。

 悪いことを考えている時の笑みだ。


「……はぁ」


 小さくため息をついた。

 まったく、こいつは。

 やっぱり田村さんのこと本当に好きなんだな。ここまでハッキリ邪魔者扱いされると、なんだか複雑な気分になる。

 でも、ここでムキになったら負けな気がする。

 もうこっちが大人になって煽ってやることにした。


「わかったわかった。じゃあ私、めちゃくちゃ元気に出張行くね。体調管理バッチリで」

「えっ」

「花森さんが田村さんと二人きりになれないように、ずっと花森さんにベタベタするね。朝から晩まで、ずーっと一緒」


 わざとふざけて意地悪に言うと、花森の顔が一瞬赤くなった。 


「は?急になんですか気持ち悪い。絶対嫌です」


 即答。予想通りの反応に、口角が上がる。


「意地でも出張行って、花森さんと田村さんの邪魔しまくってあげるね」

「まじでやめてください」

「あれ〜?花森さん顔赤いよ?もしかして照れてる?」


 花森がにらんでくる。


 しかし、少し考えたような表情の後、花森がニヤリとしてこう言った。

 嫌な予感がする。


「ってことは…、お風呂も一緒ってことですよね?」

「え……」

「だって朝から晩までずっと一緒なんでしょ?」


 思わず動きが止まる。


 一瞬、ほんの一瞬、変な想像が浮かんでしまう。


 花森は助手席から身を乗り出して肩を寄せてくる。近い。


「あれ?どうしました?固まって」

「い、いや……」

「もしかして、何か変なこと想像しました?」

「してない」

「本当ですか?じゃあなんで顔赤いんですか?」

「赤くないから」

「大浴場ですよ?みんなで入るお風呂。何を想像してたんですか、浅海さん」

「だから何も…」


 必死に否定するけど、花森はニヤニヤ笑っている。


「……浅海さんって、やっぱり変態ですよね」

「変態じゃない!」

「でも何か考えて固まってましたよ。明らかに」

「……うるさい」


 思わず顔を背ける。顔が熱い。


「同じ会社の後輩と普通にお風呂入るだけなのに、何想像してたんですか?教えてくださいよ」

「何も想像してない!花森さんこそ、人を変態扱いして楽しんでるんでしょ」

「わたしは別に、普通のことを言ってるだけですよぉ」


 涼しい顔で言い返してくる花森。


「もう……知らない……」


 自分の顔がみるみる赤くなるのが分かる。思わず両手で顔を覆った。

 それを見た花森が、ケラケラ笑い出した。

 さらに畳み掛けるように煽ってくる。


「あ、部屋で一緒に過ごすなら、浅海さんの寝顔も見れますね。いびきとか歯ぎしりとかしてたら、月曜日に社内で報告しちゃおうかな」

「しないから!」

「本当ですかー?この前のお昼休み、椅子で寝てるときヨダレ垂らしてましたけど」

「垂らしてない!」


 顔が熱くなる。花森を煽ってやろうと思ったら、完全に形勢が逆転した。


「あれ、浅海さん顔赤いですよ?もしかして照れてますー?」


 私が花森に言った言葉を、そのまま返される。


「照れてないし」

「でも赤いですよー。可愛いですね」

「可愛くない!」


 思わず声を荒げると、花森がケラケラと笑い出した。


「勝った」

「はあ?」

「浅海さん、やっぱり弱いですねぇ」

「……花森さんってまじで性格悪いよね」

「お互い様じゃないですか」


 にっこり笑顔で言い返される。完敗だ。


「……もういい。さっきの話、なかったことにして」

「えー、ダメですよ。浅海さんが先に言い出したんじゃないですか。出張の間、朝から晩までずっと一緒なんですよね?」

「うぐ……」

「楽しみだなー出張」


 そう棒読みする。私は言葉に詰まる。自分で言い出したことだから、今更引っ込められない。

 花森がクスクスと笑って続ける。


「浅海さん、揶揄うのとか煽るの、下手すぎません?」

「は?」

「だって、ちょっとわたしが言い返しただけで真っ赤になっちゃうし」


 花森がまた笑い出す。その笑い声が、なぜか妙に可愛く聞こえた。


「……私は花森さんみたいに腹黒くないからね」


 顔を逸らしながら、精一杯の強がりで言い返す。


「あはは、それ負け惜しみですよ」

「負け惜しみじゃない」

「完全に負け惜しみですって。でも、そういうところ可愛いですよ」


 さらっと言われて、心臓が跳ねる。


「……もうこの話終わりにしよ」

「はいはい。楽しみにしてますね、浅海さん」


 花森が勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

 完全にやられた。

 心臓がバクバクしているのは、悔しさのせいだと思いたい。


 でも、笑っている花森の横顔が、妙に眩しく見えた…気がする。


 最近は、車内で花森と二人、こうやって冗談を言い合う時間が楽しいと思ってしまう自分がいる。

 軽口を叩き合って、笑って、また言い返されて。


 なんだかんだ言いながら、こういう他愛もないやり取りが心地いい。


 ほんの少しだけ、いやかなり、この時間がずっと続けばいいなと思った。​​​​​​​​​​​​​

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