04 神の使徒

 翌日日曜日。


 那乃ちゃんの練習に付き合った後、俺は車で昼飯を食いに出た。


 独身男の休日なんてすることはほとんどない。社にも俺と年齢の近い独身は数名いるが、話をすると土日の予定はパチンコか温泉スパか家で寝てるかの三択である。そう考えると那乃ちゃんに相手をしてもらっている俺は幸せ者なのかもしれない。


 向かったのは行きつけのラーメン屋だ。美味い店なので土日の昼は並ぶが仕方ない。


 食い終わって店を出て、それからスポーツ用品店に行く。体形が変わりすぎて、今使っているスポーツウェアが合わなくなってしまったのだ。


 なるべく地味なウェアをピックアップしていく。山岳用品のコーナーを見ていたら薄い目だし帽バラクラバが売っていた。これを付けていれば何かあったときに正体を隠しながら行動できるかもしれない。思考が犯罪者のそれと同じことに苦笑いしつつカゴに入れる。


 買い物を終えて店を出て、駐車場に停めてある車に向かう。


 その途中で、後ろから急に呼び止められた。


「すみません、そちらの強い力を持つ男性の方」


 妙な呼ばれ方だったが、明らかに俺に向けられた声であり、さすがに振り返るしかなかった。


「呼び止めて申し訳ありません。少しお聞きしたいことがあります」


 そう言って慇懃いんぎんに頭を下げるのは、美しい金色の髪を背に流した妙齢の美人であった。


 雰囲気としては北欧系の人間に見えるが、話す言葉は完全にネイティブな日本語だ。


 穏やかな顔立ちで、修道女のような服装とあわせて、どことなく聖母という言葉を使いたくなる女性である。もっとも明らかに俺より20近く年下に見える女性に聖母などと言えないが。


 ちなみにその修道服もどきはなぜか胸の部分だけぱっくりと開いていて、男の目をくぎ付けにしかねないものがのぞいている。まあそこも含めて聖母……などと言ったら各方面からお叱りが来そうである。


「ええと、なんでしょうか?」


「わたくしはシアラウニと申します。神の使徒であり、これから起きる悪魔の降臨に備えて、神に選ばれた戦士を探しております」


「はあ……?」


「貴方様からはとても強い力を感じます。もしや神に選ばれた戦士様ではございませんか?」


「はい……?」


 う~む、「神の使徒」とか「神に選ばれた戦士」とか、ある種の男子中学生が聞いたら喜びそうな言葉である。しかもこんな美人が真面目な顔でそんなこと言ってきたら、二つ返事で「そうです。自分が神に選ばれた戦士です」とか即答してしまいそうだ。


 まあ残念ながら、こちらは擦り切れた中年男なんですがね。


「もし神に選ばれた戦士様であれば、わたくしと共に悪魔と戦って欲しいのです」


 両手を胸の前で組み祈りのポーズを取ってくるシアラウニさんだが、俺は首を横に振った。


「いえ、私は普通の人間ですし、戦士どころか一度も喧嘩したことのない腰抜けですよ。残念ながらご期待には応えられません」


「しかしお力を……強いお力を持っていらっしゃいます。それは違いますか?」


「もしかしたら持っているかもしれませんが、悪魔と戦うための力ではありませんし、自分にそのつもりもありません」


「そうですか……とても残念です」


 そう言うと、彼女はそこで初めて目を開いた。というか彼女はずっと目をつぶっていたのだ。他のイメージが強烈すぎて気づいていなかった……というのはともかく、その目に輝く瞳を見て、俺は少なからず驚いた。


 なんとその瞳は、髪色と同じ、金の色をしていたのである。




 夕方、家に帰って買ってきたスポーツウェアをタンスにしまっていると、スマホのメッセージアプリに着信があった。相手は那乃ちゃんだ。


『夕ご飯まだだよね?』


『これからだよ』


『じゃあ待ってて。6時に持って行くから』


『よくわからないけど了解』


 これはもしかして手料理差し入れイベントであろうか。


 きっかり6時に那乃ちゃんが入ってくる。もはやチャイムすらなしである。自分が子どもだったころのご近所さんの距離感を思い出すな。


「お待たせおじさん。これ、おじさんが好きだって言ってたグラタン」


 テーブルの上に置かれたのは、確かにおいしそうなグラタンである。いやこれ嬉しいけどどう反応していいのだろうか。


「ええと、ありがとう。もしかして那乃ちゃんが……?」


「かなりお母さんに手伝ってもらったけどね。次は一人で作れるから大丈夫」


「あ、ああ、そう。それはいいけど……いやまあ美味しそうだし、ありがたくいただくよ」


「うん。どうぞ食べて」


 と言って俺の対面に座る那乃ちゃん。なんかこっちをじっと見てるし、差し入れ置いたら帰るんじゃなかったのだろうか。


「あ、じゃあ早速いただくかな。那乃ちゃんはご飯は?」


「今お母さんが作ってる。おじさんが食べ終わったら食器もってくから、気にしないで食べて」


「そ、そう」


 なんかいきなり妙なイベントが始まってしまった。


 とはいえ食べないという選択肢はないので、フォークを持ってきてグラタンをいただく。


「これすごく美味しいね。昔店で食ったのより美味しいと思うよ」


「だよね。少し味見したら美味しかったし。それでおじさんの好きな味かな?」


「好きな味だよ。那乃ちゃんは料理が上手なんだね」


「今日は手伝ってもらったから。でも上手になるよ」


 那乃ちゃんはいつもより上機嫌なようだ。まあ自分のやったことを褒められて悪い気にはならないか。


 しかし俺が食べているところをじっと見てくるのは困る。正直この年頃の女子の行動はまったく読めない。しょうがないので適当な話をすることにする。


「そういえば今日、店に行ったら変な人に話しかけられたんだよ」


「どんな人?」


「自分を神様の使徒だって名乗る人」


「神様のシト? シトってなに?」


「使いのことだね。神様の使いなんだって」


「ええ……? それって何かの冗談なのかな。それとも本気?」


「本気みたいだったね。それで俺が神様に選ばれた戦士なんだって言うんだ。さすがに違いますって言ったけどね」


「だよね~。なんか危ない人そう。でもおじさんが強いって見抜いたってことは、普通の人でもないのかな」


「いや、適当に誰にでも同じこと言ってるだけだと思うよ」


「あ~、そういう系。もしかしたらSNSに出てるかも」


 スマホを取り出して操作を始める那乃ちゃん。その指先のスピードは恐ろしく早く、デジタルネイティブなんて言葉の意味を実感してしまう。


「あっ、これかな。神の使徒……ええと、シアラウニさん……?」


「あ、それだ。シアラウニって確かに名乗ってたね」


「ふぅん……」


 なぜかそこで急に不機嫌そうな顔になる那乃ちゃん。スマホの画面を見て口をへの字に曲げている。


「しかしネットに出てるってことは有名な人なのかな」


「多分そうじゃない? それでどんな人だったの?」


「どんな人って……修道女みたい格好の若い女の人だったね。外国の人みたいだったけど、なんであんなところにいたんだろうか」


「知らないけど、おじさんから見て美人だった?」


「あれは誰が見ても美人とは思うんじゃないかな。それよりも不思議な人って感じが強かったけどね」


「ふぅん……」


 今度は機嫌が少し回復した気がする。なんかよくわからないが、那乃ちゃんとしては美人に鼻の下を伸ばす男が嫌だとかそんな感じなのかもしれない。


 俺がグラタンを食べ終えると、那乃ちゃんがその皿を持って自分の家に戻っていった。


 グラタンは確かに美味しかったのだが、後半味を感じなかった気がする。那乃ちゃんとの会話に微妙な緊張感があったからだろうか。


 ともかく、俺もスマホを取り出して、昼に出会った自称神の使徒シアラウニさんのことを調べてみた。


 確かに彼女は自らSNSに記事を上げていて、神に選ばれた戦士を探していると声明を発表していた。しかも彼女は実際に『アポステル』という組織を北欧で立ち上げていて、信者も数十人いるらしい。


 もちろんそこには昼に出会ったシアラウニさん本人の写真もあった。ただ目は閉じていて金の瞳は確認できない。


 問題は胸元が開いた服もそのままであったことで、那乃ちゃんはそれが気になったのかもしれない。


「まあ俺には関係ないか」


 と言いながら、そのシアラウニさんの最新記事をちらっと見てみた。そこには『神に選ばれた戦士を極東で見つけた』という言葉が載っていて、少し背筋が寒くなってしまった


 しかしさらに気になったのはその日付だ。


 その記事は北欧のとある国において発信されていたのだが、なんとアップされていた日時はその国で今日の朝、日本で言うと今日の3時ごろ、ちょうど俺がスポーツ店から出た時間であったのだ。

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