05 予感と再会

 その週は、金曜の夜までは特になにもなかった。


 なにもないのが普通のはずなのだが、ここのところ色々イベントが起きているせいで妙に物足りなく感じてしまう。これはよくない兆候かもしれない。


 那乃ちゃんはあれから何も言ってこないので身体能力はそこまで上がらなかったようだ。まああれだけで超人になってしまったらそれはそれで大変である。


 午後7時、俺は隣県の営業所からの帰り道、国道を車で走っていた。向かうは家なのだが、腹が減ったので適当なファミレスにでも入ろうかと考えた時、急に妙な感覚に襲われた。


 それは「あっちの方に何かがあるぞ」という強烈な思い込みというか、予感というか、強迫観念というか、そんな感覚だ。那乃ちゃんを助けた時や、ダンジョンに近づいた時に感じたものと同種の現象だろう。


「これも超人化の影響……か?」


 という言葉は、むしろそうあってくれという希望も含まれていた。さすがに自分の精神がおかしくなってきてるなどと思いたくはない。


 ともかくその感覚に従って俺は交差点を曲がり、市街地に向かってしばらく車を走らせた。どうやら信号の向こう、左に見えてきたファミレスが謎の感覚の目的地のようだ。


「単にここに来たかっただけ、なわけないよな。こんなところにファミレスがあることすら知らなかったしな」


 これで単にコスパのいい店を第六感で引き当てた、とかなら平和なのだが、残念ながらそのファミレスはよく知っているチェーン店だった。


 店は金曜の夜ということもあって満席に近かった。


 店員に案内され2人席に座る。周りは家族連れや男女のペア、学校帰りらしい高校生4人組とか、そんな客が多い。もちろん俺と同じ一人客もいる。


 適当に注文して待つ。「なにかがあるぞ」という感覚はかなり強まっている。新しい客が来たようなのでふとそちらを見ると、長い黒髪をポニーテールにしたスーツ姿の眼鏡美人が入ってくるところだった。


「……あれは間違いなく練川さん、だよな」


 彼女も一人らしく、案内されて2つ横の2人席に案内されてきた。


 一瞬尾行でもされてるのかとも思ったが、そもそも彼女は美人過ぎて尾行には向かないし、もし尾行なら同じレストランに入ってくるなどということはしないだろう。


 とすればここで会ったのは完全に偶然であるはずだ。しかし俺が妙な感覚に従ってここにいることを考えれば、そして彼女も超人なのだとすれば、偶然と考えるのは無理だと思われた。


「もしかして渡さんですか?」


 顔を背け気味にしていたのだが、さすがに練川さんに気づかれてしまった。


「あ、練川さん。この間はどうもお世話になりました。奇遇ですね」


「ええ本当に。渡さんは仕事の帰りですか?」


「今日はたまたまこちらの営業所に用事がありまして、その帰りです」


「そうですか。で2回も会うのは縁を感じますね」


「ははは、そんな縁は捨ててしまって結構ですよ」


 どちらも隠し事がある同士なので、腹の探り合いみたいな会話になってしまう。


 間の席にカップルが案内されてきて、練川さんとの会話はそこまでになった。


 さらに数分して、俺の料理が運ばれてきた。箸を取ろうと手を伸ばした時、窓際の席に座る客がにわかに騒ぎ始めた。


 彼らの視線を追って窓の外を見ると、そこには外灯に照らされていた駐車場や、通りの向こうに並んでいた店舗の看板の光などがいっさいなくなっていた。


 代わりにガラスの向こうに見えるのは、闇の中にオーロラのような光のヴェールがうねる不思議な空間だった。


「え、なにこれ? この窓ってモニターになってるの?」


「どう見てもただのガラスっぽいよ。外になにかあるんじゃない?」


「キレイだけどちょっと気持ち悪い景色かも」


 と声が聞こえてくる中、練川さんがやや厳しいで立ち上がった。


「皆さん、窓から離れてください。なるべく店の内側に移動をお願いします。危険なものが飛び込んでくる恐れがあります」


 その声が真剣だったからだろうか、それともこの間感じた不思議パワーがこもっていたからだろうか、ほとんどの客はぶつぶつ言いながらも窓際の席から離れていった。


 窓の外から、いくつかの気配が近づいてくるのが感じられる。練川さんも当然それを感知しているのだろう。窓の方に近づきつつ、手をスーツの内側に入れてかすかに腰を落とし、それから再び声を出した。


「皆さん、これから何があってもこの店から出ないでください。外に出た場合、命の保証はありません」


「え、なに言って……」


「ちょっと、これってなにかの撮影よね?」


「店の人に聞けばわかるんじゃないか」


 という声が聞こえるが、この状況を真剣に受けとめるのは普通には不可能だろう。


 しかしこの現象はいったいなんなのか。練川さんがいることを考えれば、間違いなく先日のスーパーの一件と同根の出来事と予想はつくのだが。


 ただ問題なのは、もし予想通りだとすると、窓の近くにまで迫っている気配もスーパーの時と同じであるということだ。


 ガシャン!


 練川さんの正面にある窓がいきなり粉々に割れ、そのまま外に吸い出されるように吹き飛んでいった。代わりに飛び込んできたのはやはり黒いサーベルタイガーもどきだった。


 練川さんは、まだ空中を飛んでいるサーベルタイガーもどきに向かって、懐から抜いた刃を一閃させた。その一撃で首と胴体が泣き別れになり、光の粒子になって消えていくサーベルタイガーもどき。

  

 もちろんその一連の出来事に客たちが一斉に悲鳴を上げる。女性の中には床にへたり込んでいる人もいる。


 さらにガラスが2枚割れ、2匹のサーベルタイガーもどきが飛び込んでくる。


 その2匹も練川さんは難なく倒すが、次の瞬間その顔が険しさを増した。


 新たな気配が店の端と端に現れたのだ。しかも片側に3匹、もう片方は2匹。さすがに電光石火の体技をもってしても両方に対応するのは難しそうだ。


「反対側の皆さん、できるだけこちらに寄ってください!」


 練川さんはそう叫びながら、3匹が来る方に移動をした。


 客たちは戸惑いながらも、言われたとおりに移動を始めた。しかし一部まだアトラクションだと思っている人間がいて、スマホを構えて撮影などを始めている。


 さすがに目の前で誰かが犠牲になるのを見過ごすわけにもいかなかった。俺は悩みながらも席を立って、練川さんとは反対の方向、2匹のサーベルタイガーもどきが近づいている方に移動をした。


 するとほぼ同時に店の両端のガラスが破れ、そこからそれぞれ3匹と2匹の黒い獣が飛び込んできた。


 3匹の方は練川さんがすぐに倒すだろう。


 俺は近くにあった椅子を手に取り一匹の頭めがけて振り下ろした。椅子が金属製だったこともあり、その一匹は脳天を砕かれその場に倒れ伏した。直後にもう一匹が俺の首を狙って躍りかかってくる。


 椅子でその牙を受け止めようとするものの、サーベルタイガーもどきの顎は金属製の椅子を簡単に嚙み砕いた。そのまま喉元を狙おうとしてくる牙を体をひねってかわし、その首に素早く右腕を巻き付けた。


 横からそいつの首を絞めつけつつ、床に倒れこむようにして押さえつける。暴れるサーベルタイガーもどきをなんとか押さえ込んでいるというていである。


 見ると三匹を倒した練川さんが、こちらに向かって走ってくる。


「こっちもなんとかしてください!」


 と俺がギリギリ頑張っていますという振りをすると、練川さんは急に足を止め、眼鏡を光らせて言った。


「渡さん、その異層体は普通の人間が力で押さえ込めるものではありません」


 練川さんの目は冷徹さを帯びていて、すべてわかっているという風だった。


 だがそんなブラフに引っかかるほど俺も若くはない。もちろん超人化による思考の高速化もその判断を助けてくれる。


「だからもう限界なんです!」


 と叫びつつ、首に回した腕の力を緩めるふりをして、サーベルタイガーもどきを練川さんの方へと押し出した。


 サーベルタイガーもどきは狙い通り練川さんに狙いを定め、飛び掛かった末首を切り落とされた。


「ふぅ……、練川さん、ああいうタイミングで脅かすのはやめてくだい」


 俺は立ち上がって、多少とがめるようにそう言った。


 練川さんは疑わしそうな目でしばらく俺を見てくるままだったが、遠くからパトカーの音が聞こえてくるに及んで頭を下げた。


「申し訳ありません。渡さんならご自身で倒せると思いました」


「確かに1匹は偶然倒せましたが、あれは本当にたまたまですから勘弁してください」


「1匹を倒していただきありがとうございました。お陰で怪我人が出ずに済みました。渡さんはお怪我はありませんか?」


「ええ、探せば打撲くらいはあるかもしれませんが大丈夫です。それよりまたお話をするんでしょうか?」


「そうですね、渡さん以外の方にはしないとなりません。渡さんは前に一度お話をしているので、あの時と同じだと思っていただければ」


「分かりました。特に誰かに話したりはしません」


「よろしくお願いします」


 練川さんは一礼して、ざわついたり腰を抜かしたりしている客たちの方に向かってこの間のような話を始めた。


 俺は自分の席に戻り料理を食べようと思ったが、さすがにこの騒ぎの中で食うほど神経は太くなく、結局コンビニに寄ってから家へと戻ることになった。

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