第七話 第15師団地区防衛 雪焔と唯花

パチパチと乾いた音が規則的に鼓膜を叩く。

 周囲を高い木に囲まれた円形の場所。中央には煌々と灯る赤が揺れる。

 小さく燃える赤の光に照らされ、3つの影が動くこともなく大木に投影されている。

 手近な枝にかけられているのは、丁寧に解体され肉を取った後に残った野兎の毛皮。我ながら上出来だ。鞣せば手袋にはなるか…と逡巡するが、肝心の道具がないことに思い至った霆華が、それでも廃棄できずに導き出した結論の産物がこれだった。

 一日だけ眺めれば諦めもつくだろう、と自分に言い聞かせ、寝床を毛皮のすぐ横に陣取る。

 円形の縁から全体へ視線を滑らせる。中央の焚火では馬順が何かを期待するかのように、時折、自分と自分の対角線上にいる静焔を交互に見ているらしいことが分かる。馬順を挟んで向かいの端に静焔がこちらに背中を向けて静かに腰を下ろしている。

 眠っているのか?と思えるほどに挙動は小さい。ふと顔を上げ、行く末にある見えないはずの前線砦を、まるで覗き込んでいるような動作をしていなければ、誰しもが同じ勘違いをするだろう。

 この場に流れているのは一見では緊張の糸が弛緩し、無形の安穏を形どったような空気感。屋外であるにも関わらず外界から切り取られたような閉塞感が霆華の感覚を徐々に曖昧にしていく。流れるのは火の音。その規則正しさゆえに時間感覚が狂う。この場の、この一幕が悠久に続くのではという考えさえも霆華は抱く。

 ブルンッと霆華は大きく頭を振り、思考の微睡を払う。未だに―といっても、どのくらい経っているのかは判然としないが―焚火の近くでせわしなく動く馬順から目を離すわけにはいかない。

 つい先刻まで、自分に向けて致死の一撃を数十発撃ち込み、静焔をもあと一歩で葬り得るほどの力を持つ馬順を、霆華は警戒する。今は敵意を感じられないが、そもそも静焔にならいざ知らず、自分如きを馬順は“敵”として見做さないだろう。

 それほどまでに圧倒的な実力差の乗り越えた死闘の後、唐突にこの馬順は同行者になった。そうして洞窟を出てからここまでの道中を霆華は回想する。道に沿い、この場所を目指して進んできた。ここは、前線砦へと続く道に作られた野営地の一つだが、館からの最短経路からはやや外れ、予定よりも到着が遅れている。

 それでも、この先に砦はある、と霆華はそこで今も魔軍の襲来に備える仲間へ思いを馳せた。そして、単騎で魔軍が根城としている大森林へ乗り込んだ雪焔。未だ知れぬ彼女の動向、安否はどうなっているのか。幾度も自問を繰り返しては返らぬ答えに耳を澄ませる。いったい何度同じ結果に心を乱されれば気が済むのか、と自戒の念を込めて霆華は小さく、自傷的に笑う。

 そう、いつものことだ。自問の後のやるせない静寂は―。そう己へ言い聞かせる霆華の静寂に、しかし今回は別のものが介入した。

 「そういえばよ、ちょっと聞きてぇんだけど…」

 音の主は探るまでもなく目の前にいた。馬順は先ほどの問いかけの後、小さくなった火種に新たな薪をくべる。再び燃え上がる赤は、先ほどまでの規律を失い、方々に光と音の粒子をまき散らし始めた。その力強い一揺れのたびに、太く逞しく伸びる老木に移る3つの影もまた、大小左右にその様相を絶え間なく変化させる。

 「何だよ、突然」

 普段とは異なる結末。しかし、不思議と悪い気がしていない自分の思いを認知しながら霆華は馬順の言を急かす。

 「いや。お前らって何でわざわざこんなところまで出張ってきてんのかな、と思ってさ」

 「はぁ?ここに来る途中に簡単に説明しただろうが」

 「いや、でもよ。お前らが追うその雪焔って女を俺はよく知らねぇし。だからお前らがそいつを追う理由もよくわからねぇ」

 そういうものか、と疑問に思いながらも、霆華は馬順が言わんとすることも何となく分かる気がした。霆華と静焔は雪焔の救出という名目だけでどれほどの旅路でも進む覚悟がある。しかし馬順は違う。彼は訳あって一時的に行動を共にしている“同行者”であり、雪焔に対しての思い入れは皆無だ。もしこの旅が思いもよらず延びた場合、馬順はこの行軍を抜けるだろう。吹きガラス並みに薄い動機でもって今ここにいる。

 「なぁ、その雪焔ってやつのこと教えてくれよ。どうせ俺を警戒して、寝る気なんてねぇんだろ?」

 悪びれる様子もなく狙いを看破され、肩を落とす霆華の耳に、いつの間にか近くまで来ていた静焔の言が届いた。

 「ほぉ、俺の娘にそんなに興味があるのか」

 「別に、ただ当てもない旅路なら他をあたろうかと思ってただけだ。…なんでニヤついてんだおっさん」

 「そりゃあ堂々と愛娘の話ができる機会なんて滅多にないからな。嬉しいに決まっている!さて、何から話そうか…」

 「あんまり長くなるのは勘弁だぜ、おっさん」

 あれが産まれたのはちょうど初雪が降った頃で…と話し始めた静焔の出鼻を馬順は挫く。

 「お。そうか…。それじゃあ、先の大戦中、第15師団地区でのことを話してやろう」

 15師団地区と聞いて、隣で二人の会話を聞いていた霆華がヒュッと息をのむ。そして何も言わずに静焔の顔をじっと見つめた。

 「なんだ?聞いちゃまずい話か、それ?」

 何も知らない馬順は、霆華が刺すような視線を静焔に向けていることに大いに違和感を感じている。

 「いや、いいんだ―」

 静焔は一言置くと、霆華の方へ向きなおし、その言を続ける。

 「雪焔を知ってもらう上で一番なのは15師団地区の仔細を話すことだ。そして馬順にも、この旅路が有意味であると知ってほしい」

 あぁ、この人は覚悟をもってこの話をするのだ、と霆華は悟り、引き下がる様に視線を燃え盛る火のもとへそむけた。

 「さて、と。じゃあ話すが、正直あんまり気持ちのいいもんじゃない。それと最初に断っておくがうちの娘は―」

 話し始めて早々、静焔は一拍のためを作る。興味津々といった表情で話を聞く馬順も思わず息をのんだ。

 「うちの娘は、―超がつくほどのお人好しだ」 

 雪焔を形作る言葉の数々…その第一声は、この言葉から始まった―。


 日が高く昇っている。

 「そろそろみんなは昼食かな…」

 背の低い草花が小さく揺れる小高い丘の上に立つ雪焔は、鼻腔をくすぐる美味なる匂いを感じ、その元にある建物群を見下ろす。

 第15師団地区。ここには自軍を支える科学技術の工房が軒をそろえる。最重要防衛地区の一つであり、“防衛部隊長補佐”を任せられた雪焔の職責は大きく、重い。

 「今日もどうか穏やかな一日に…」

 思わず零しながら、雪焔は自分のもとに駆けてくる小さな影を視界の端に認める。

 「せつえんさまぁ~~!」

 相手も自分のことを認知したのか、距離が離れているにも関わらず大きく手を振りながら、無邪気さをまき散らして彼女は近づいてきた。

 「あら、唯花。どうかした?」

 唯花と呼ばれた齢7つ頃の少女は、駆けてきた勢いのまま雪焔の腰へ抱きつく。手入れされた長い髪を優しく撫でながら、雪焔のは優しく問いかけた。

 「あのねー。お母さんが、せつえいさまにご飯を持っていけって…。いつも私たちを守ってくれて、ありがとうございます」

 そう言って唯花は、綺麗に編み込まれた籠を雪焔の前に突き出す。その籠の奥にある少女の顔からは、感謝と何よりも憧憬の念が濃く表れている。

 「ありがとう、うれしいわ。良ければ、あなたも一緒に食べる?」

 「え?い、いいんですかぁ~!食べたいです!一緒に!」

 じゃあ、準備するね、と言うと、雪焔は草原の上に布を広げ、一人分の食事スペースを作る。

 「さぁ、どうぞ、座って唯花」

 「あ、せつえんさまこそ、どうぞ」

 「私はいいわ。このまま座るから」

 「でも……」

 遠慮なのか憧憬からくる敬意なのか、まったく座ろうとしない唯花と目線を合わせるように、雪焔は膝を折りながら語り掛ける。

 「あなたがこれを持ってきてくれなかったら、私はあのいい匂いに絡みつかれながらお腹が空くのを我慢しなきゃいけなかった。だからこれは私からあなたへのお礼よ、それに―」

 雪焔は少女の全身を一瞥する。

 「こんなに綺麗な服を汚すなんてしたら、私、あなたのお母様に怒られてしまうわ」

 そう言って見せた雪焔の微笑みは少女の緊張を溶かし、自然と彼女の顔にも笑みを浮かばせた。

 ありがとうございます、と言って、唯花は誂えられた布の上に腰を下ろす。布の上からでも草花が柔らかく自分を受け止めてくれていることを感じる。この感覚に包まれていると、まるで争いなどないかのような錯覚さえしてしまう。穏やかでどこか清々しさを覚えている。隣で腰を下ろした雪焔も同じことを感じているのだろうか、と唯花はチラリと雪焔を横目で覗く。

 綺麗だ、と思う。端正で凛とした顔立ち。それでいて刺々しさはなく、その目は優しさと愛情に溢れている。いつからだろうか、自分がこのお方に強く惹かれたのは。少しでも近づきたくて、髪を伸ばしてみた。でもまだ、軽やかであり艶めかしくも感じさせる、この光沢を伴った黒髪には遠く及ばない。強く、美しく、優しく。そんな雪焔を羨望ではなく憧れの目で見れている自分を、唯花は誇りに思う。

 「ん?食べないの?どこか具合が悪い?」

 「あ!い、いえっ!大丈夫です!!」

 ぽーっと見惚れていた唯花は慌てて籠の中のおにぎりを両手に持ち頬張る。はっ!と、らいりょうふでふ…と繰り返しながら自分が無心に食いついていることに気づいた時には既に、雪焔がニコニコと自分を見つめていた。

 「す、すみません!私、こんなにたくさん…」

 「いいのいいの。私も十分食べたから。おいしかったね」

 「はい!お母さんのお料理はなんでもおいしいです!」 

 「唯花も貴女のお母さんみたいに、料理上手で素敵な人になれるわね」

 お母さんみたいに、と言われ唯花は少しだけ複雑そうな表情を見せた。何か悪いことを言ってしまったか…と雪焔は逡巡する。

 「ごめんね。お母さんみたいに、って言っちゃマズかったかな…」

 「い、いえ!そんなことはないです、ただ…」

 そこでまた言い淀みそうになるが、唯花はキッと雪焔を見つめ、口を開く。

 「私は、せつえんさまみたいに、綺麗で強くなりたいです。私は、せつえんさまみたいに刀を扱うことはできないけれど…。でも、弓になら自信があるんですっ!私も、この場所を守りたいです」

 突然の告白に、雪焔は少し驚くが、自分の働きがこうして認められたことも嬉しく、誇らしく思う。

 「そう。ありがとう。それじゃあ、まずはもっともっとお勉強しないとね!」

 「うぅ…がんばります…」

 どうやら、勉強は好きではないらしい、と目をそらし肩を落とす少女に、雪焔は苦笑いを浮かべる。

 「あ!そろそろ午後の学校が始まるので、せつえんさま、私は失礼いたします」

 「そう、行ってらっしゃい」

 行ってきます、と手を振りながら唯花は駆け足で戻っていった。その影が見えなくなる場で、雪焔は手を振り続ける。

 「―さてと。もう出てきてもよろしいですよ」

 雪焔がそう投げかけると、さっきまで草原に伏して隠れていたものが立ち上がり、巨大な影を落とす。

 「まったく。別に隠れないで堂々と出てきたらいいじゃありませんか」

 「いやぁ~。でも俺が出ていくと子供は皆泣き出しちまうからなぁ…」

 体についた草花をぱっぱと払いながら、熊のような顎鬚と体躯の“防衛部隊長”豪角が近づいてくる。

 「きっと話し方の問題ですよ。軍以外の人前だと急に『のじゃ』とか『誠か!』とか話し方変えるんですから…。あれ、偉そうでとっつきにくさ満点です」

 「むうぅ。しかし、ああでもしないと素行の悪いやつだと誤解されちまうからなぁ。いっそこの顎鬚を剃っちまえば…」

 「それだけは、ダメです!」

 豪角の言を遮るように、雪焔が発する。

 「その顎鬚を剃るなんてダメです。カッコいいのに」

 「そ、そうか…。じゃあ、今後も学校とか、子供の世話はお前の担当でよろしくな」

 「それは、喜んで。でも、ご自身でも子供に泣かれない努力をしてくださいね!」

 一応、俺は上官でお前の師なんだが…と豪角は考えるが、雪焔に気圧されて何度も頷くことしかできなかった。

 その夜。日付が変わったことを確認し、雪焔は見張り場から宿舎へ戻っていた。

 窓の外に見える工房にはまだ煌々と明かりが点いている。日中は魔軍の襲撃があればここにいる職人やその家族は何をおいてもまず避難をすることになる。だからこそ、時間がかかったり、集中が必要な細かい作業はこの時間にきてようやく本格化する。

 「彼らもみな、私たちと肩を並べて戦ってくれているのだな…」

 砲撃部隊の最新兵器と言われる“川蝉”の噂は別部隊の雪焔まで届いている。唯花が成長した頃には、もっと改良と量産が進んでいることだろう。最近では、魔軍が使う“魔崩”を切り裂く刃なんていうのも研究されているらしく、この地の重要度は日に日に増していくばかりだ…。

 守らなければならない。この場所も、子供たちも、すべて。自分が手にした力で、自分の刃が届く限り…。

 明日は市中の見回りか…、つぶやきながら雪焔は床についた。

 

 「あ!せつえんさまだぁ~!」

 その姿を認めるなり、唯花は駆け寄り、抱きついてきた。

 「こらこら!今はお勉強の時間ですよ!戻りなさい」

 女教員に引きずられて、渋々といった様子で唯花は席に着く。彼女ほどではないにしても、15名ほどいる子供たちは一様に、雪焔のことが気にかかるようでチラチラと見られていることが伝わってきた。

 雪焔が訪れているのはこの地区の教育機関だ。軍の科学的な中枢を担うこの場所には、当然教養がある者が多く、その者たちの中で交代にこうして子供たちの教育をしている。

 授業が終わると、子供らは一目散に雪焔の元へと駆け寄ってきた。

 もみくちゃにされながらも、彼女は膝を落とし、子供たちと同じ目線で会話をする。

 「いつも来てくれてありがとうございます」

 そういってきたのはこの学校の校長である初老の女性であった。

 「この子たちも、雪焔様にお会いできるのを楽しみにしているのですよ。一緒に何をして遊ぼうか、なんてしょっちゅう話しています」

 「それは、とても光栄なことです。この子たちが未来のこの世界を支えてくれる。私はしっかり守ってみせますよ」 

 自分を見つめる輝く瞳の奥に、この子たちに託す未来を想像しながら雪焔は自分に言い聞かせるように言を返した。

 「なーなー雪ねーちゃん。あっちで俺たちとあそぼうぜー」

 「むー。瑠斗くんズルい!せつえんさまは私たちとコッチで遊ぶの!」

 あーだこーだと取り合いが始まってしまった…と雪焔は苦笑いを浮かべる。ふと校長をみると、いつものこと、とでも言いたげに穏やかに笑いながらこの状況を見ていた。

 あぁ、そうか。と雪焔は改めて目の前の少年少女に目をやる。

 こうして好きに言い合えるのもこの子らがお互いを信頼している証なのだ。唯花も、よく自分の元へやってくるが、こうして多くの友人に囲まれ、幸せに日々を過ごしているのだ、と雪焔は再認識する。

 「せつえんさまは、何して遊びたい?」

 不意な唯花の問いに対し、雪焔が口を開きかけた―。

 

 「緊急!緊急!!魔軍が攻めてきた!魔軍が攻めてきた!避難を!今すぐに避難を!!」


 突如として地区の全域にもたらされた凶報。

 一瞬にしてこの場にも緊張が走る。最初に声を上げたのは校長の女性であった。

 「皆さん!落ち着いて。いつも通りに避難をしましょう。西の防災拠点まで向かいます。慌てず、騒がず、迅速に、ね。何も恐れないで、練習通りに」

 先ほどまであれほど姦しかった子供らが、皆一様に押し黙り、話を聞いている。

 「雪焔様。どうか、私たちをお守りください…」

 触れるまで気が付かなかったが、雪焔の手を取った彼女の手は少し震えていた。何も恐れないで、とはよく言ったものだ。自分だって感じる恐怖は一入だというのに…。

 強い人だな、と雪焔は子供を救うために己を殺す目の前の女性を見る。そして、その手を誰にも見せぬためかのように優しく両手で包み込んだ。

 「皆さんのことは、私が必ず、お守りします」

 そう言って雪焔は学び舎を飛び出す。直前、ふと目が合った唯花へ、彼女はいつも通りの優しい笑みを向けた。


 「―多いな」

 青く続く北方の空の一部を黒く塗りつぶすほどの魔軍の群れが、まるで一匹の巨大なカラスのように見える。

 北の大森林より来る白い甲冑。しかし、その中身は人ではない。無数の管が犇めき、血の一滴も通わぬ不可思議な存在だ。

 数は…、ざっと1500。地区防衛の数300は数的には圧倒的に不利に思えるが、先頭に立つ豪角の表情には若干の余裕があった。

 くるり、と彼は振り返り、後ろにいる防衛軍へ向けて発する。

 「皆の者よいか!ここは我らが同胞が住まう地。同胞の宝は己が宝と思え!家族・友人・技術。何一つ、魔軍なんぞに奪われてはならんぞ!」

 おぉー!と歓声が沸き起こる。補佐として豪角の側に立つ雪焔もまた、自身が高揚しているのを感じた。

 「敵の数は1500!対して我々は300!しかし、それがなんだというのか。我々は実力アリと認められてここにいる。一騎当千の猛者ばかりだ。臆するな!弱気になるな!立ち続けろ!!よいか!!!」

 一際大きな歓声がこだまする中、豪角と雪焔は再び敵と対峙する。先ほどまで一つの生物として見えていた大群は、今や一体一体が判別できるほどに接近してきていた。豪角は歓声を背に受けながら、黒の金属に覆われた巨大な棍棒の先を滅ぼすべき人ならざる者たちへと向ける。

 「皆の者!―行くぞぉぉぉぉぉぉ!」

 豪角に追随するように、彼らは勢いよく高台を駆け下りる。

 高速で魔軍へと迫る豪角の目に、煌めく光がいくつも入り込んでくる。

 そして放たれた“魔崩”の雨が、まっすぐに向かう豪角らへ無慈悲に降り注いだ。

 火、水、雷、土、風…。多種多様な属性を帯びた砲撃は、部隊を灼き、押しつぶし、切り刻まんと圧倒的な質量で向かってくる。

 「ちっ。何度戦っても慣れねぇなぁ、あいつらの戦い方ってには!」

 悪態をつきながら、迫りくる凶器の雨を掻い潜り、豪角は魔軍の一体へ肉薄すると、構えた棍を左から右へ横薙ぎに振るう。

 ズガンッと鈍い音が響き、魔軍の装甲は上下に分断された。続けて上段から降り下ろされた一撃は、奥にいた一帯を両断する。

 勢いをそのままに、空中で回転した豪角は、遠心力を上乗せした剛腕の一撃でもって、4体の魔軍を一息に葬った。

 

 「―相変わらず凄まじい動きね、我が師匠は…」

 豪角の獅子奮迅の活躍を横目で見やりながら、雪焔は己が前に立ちはだかる軍勢に目を向ける。

 「6…7体ね。これくらいなら問題ないわ」

 己が磨き上げ、今なお師匠にズタボロにされながら磨き続ける剣。その刃は豪角ほどの剛腕さはなく、父、静焔の技巧に対しては足元にも及ばない。

 ないものばかりだ、と思う。これから拾うものもあれば、ずっとないままのものもきっとある。剛腕な剣など、たぶん自分は手に入れられない…。

 しかし、逆に自分だけが持ちえた、豪角や静焔よりも秀でたものもまたたしかに存在する―!

 鞘から刀身を抜き、雪焔は7体の魔軍へ正面から突っ込み―通り過ぎて振り向きもせず先へ進む。

 全力で戦場を駆ける雪焔の耳へ先ほど対峙した7体が真っ二つに切られて崩れ落ちる音が聞こえてくる頃には、新たに8体の群れへ雪焔は飛び込んでいく。

 ―雪焔の目は他者とは少しだけ違っている。

 長年の訓練の成果で花開いた天賦の才。彼女は「刃の道」と「刃の目」を視認するに至った。

 対峙する敵の機微まで瞬時に読み取り、続く行動を連続的に見通す「刃の道」によって回避と攻勢を使い分け、生物、無生物とに関わらずあらゆる物体が持つ「刃の目」を見ることで『どこにどの角度で刃を通せば切れるか』を雪焔は視る。

 もちろん、手にした情報をもとに体を操り、刃を振るうためには血の滲む鍛錬が必要だが。

 8体の敵も処理した雪焔はおおよそ優勢に展開している戦場を見渡す。

 防衛部隊の被害は今のところ0名。どの隊員も一度に3体程度であれば無難に立ち回れているようだ。

 何とか持ちこたえられそう…とわずかに弛緩した精神に、再びの凶報がもたらされる。

 

 「伝令!敵別働部隊100体を確認!場所は地区西部!地区西部に敵別働部隊100体を確認!!」


 雪焔の脳裏に、無邪気に笑う子供たちと初老の女性の顔が浮かぶ。そして、両手でおにぎりを頬張る少女―。

 「唯花!!」

 「待ちやがれ、雪焔んんんんん!」

 反射的に体を翻し駆けだした雪焔。その背に豪角の怒号が響く。

 「何を待てというのですか!?子供たちが危険な状況なんです!行かせてください!!」

 土ぼこりで所々が白くくすんでいる黒鎧を纏いながら目の前に立つ豪角に、雪焔は感情のままに叫ぶ。

 「勝手に単独行動をすることは許さん!人員を準備するからもう少しここで耐えていろ」

 「人員など必要ありません。私は今、向かわなければいけないのです」

 そういうや否や、雪焔は豪角のもとへ突撃し、彼の捕獲の姿勢を掻い潜って駆けだしていった。

 「くそっ、刃の道はこういうところが厄介だな」

 忌々し気に雪焔の背を見送りながら豪角は叫ぶ。

 「必ず援軍を遣るから、無茶はするなよぉ!」

 背に届いた師からの気遣いに、雪焔は振り返らず刀を掲げて応えてみせた。


 

 西部には、伝令の通り100に迫る軍勢が攻め込んできていた。一部足が速いものが先行してきているようだが、本隊とはまだ距離がある。

 間に合ってほしい…どうか何事も無きように…。子供たちが避難する場所へ、雪焔は悲痛とも見てとれる表情を浮かべながら駆けていく。

 目の前に立ちふさがる6体を、限界ぎりぎりまで速度を上げている中で彼女はすべて一刀に沈めた。

 駆けること四半刻。ようやく雪焔の目に避難所が見えた。

 中の様子はまだわからない…。しかし、まだ魔軍が攻め入っている様子はなかった。

 そのまま、避難所に飛び込む。日の光が入らずろうそくがチラつく暗い空間に15人の子供たちと校長含め何人かの教師らが身を寄せ合って座っていた。

 「みんな!ケガはない!?」

 皆が顔を上げた。そして、自分の身を案じてくれる雪焔を見ると安堵したかのようにほとんどの子供たちがわんわんと泣き出した。

 「みんな、大丈夫よ。落ち着いて。この場所にも魔軍が迫っている。急いで別の場所へ避難しなおさないといけない」

 そう言って雪焔は校長を見る。自分が何をすべきか、そして、あなたは何をすべきかを確かめるような目線だ。

 「分かりました。みんな、ここは雪焔様が守ってくださるから、私たちは移動をします。訓練通り、慌てず、騒がず、迅速に、ね。では、行きましょう」

 子供たちと教員らが出口へ向かおうと立ち上がる。ふと見ると、唯花は涙一つ流さずじっと雪焔を見ているのが目に入った。

 「唯花。怖くない?」

 「うん!全然!せつえんさまが来てくれるって信じてたから」

 なんて光栄なことだろう、と雪焔はまた優しい微笑みでその信頼に応えた。

 その直後。雪焔の後ろの壁が激しい音とともに崩れ落ちる。

 そこから差し込む日の光を背負い、3体の魔軍がこちらを狙っているのがかろうじて見えた。

 ―くそっ。目が明るさに慣れていない!

 白飛びする世界の中、自分に向けられて放たれる火と雷、2本の魔崩の矢をかろうじていなし、3体の魔軍を両断する。

 …おかしい。と雪焔に疑問が浮かぶ。

 …切ったのは3体。最初に現れたときも3体だ。間違いない。ここまで思考し、雪焔は背中が冷たくなっていくのを感じる。

 …あと一つ、魔崩が飛んでいなかったか?

 そうだ。と雪焔は疑問の答えにたどり着く。敵は3体。しかし、自分が対処した攻撃は2体分。あと一つはどこへ行った?

 切り裂いた敵が地面にぶつかるまでの刹那の思考。しかし、その答えは背から聞こえる恐怖によって示された。

 「唯花ちゃん!唯花ちゃん!!しっかりして、ねぇ!!」

 誰かが、唯花を呼ぶ声がする。

 何が起きているんだ。振り向かなければ。振り向かなければ…。

 振り向けば、そこにあるのは確実な惨劇。悲惨な惨状。しかし、受け止めるべき現実だ。

 ゆっくりと雪焔は振り向く。

 まず目に飛び込んできたのは何かを囲むように立つ教員と子供たち。

 そして彼らの足元の合間を縫うように、血液が自分の元まで伸びてくる。今もまだ伸び続けている…。まるで、自分に助けを乞うかのように。

 あ、あ、あ、、、

 僅かに人だかりが割れ、中心にあるものを確認できた。

 唯花が倒れている。たくさんの血を出して、そうしてピクリとも動かない彼女は―右目が貫かれていた。

 

 

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