閑話 誇り高き白百合(ギヨーム王視点)
最初に彼女を見た日のことを、いまでもはっきり覚えている。
まだ十代の終わり、政略のための晩餐に招かれたリリオス王国の王女。マルゲリータ・ダルシア。
白いドレスをまとい、背筋を伸ばして立つその姿は――まるで、陽の光を受けた白百合のようだった。
どの貴族も息を呑み、私もまた目を離せなかった。
見事な立ち居振る舞い。気品と節度。
それでいて、どこか凛とした孤高さを纏っていた。
幼き日のアレクサンドルが「父上、あの人は雪の姫みたいだ」と呟いたのを覚えている。まさにそのとおりだった。
政略の盤上で婚約が調い、彼女が嫁いできたとき――私は、あのときの少女が一人の女性として成熟していることに愕然とした。
その美しさも、矜持も、たおやかさも、すべてが完璧で。
齢二十も離れた娘を好ましく思うなど、あってはならぬことだと分かっていながら、胸の奥が疼いた。
若いころにも、女性に心を寄せたことはあった。
だが、マルゲリータは違った。
彼女を前にすると、理性より先に心がひれ伏した。
ただ見つめるだけで、息が苦しくなる。支配したいと思う一方で、その清らかさに膝を折りたくなる。
そのような、国王としてあってはならない想いをただ己の弱さだと感じていた。
そのころ、先にめとった妻クリスティーナは病床にあった。
体調を崩しがちになったのは、数年前からのこと。
マルゲリータのせいではない。
けれど――自分の心が、いつのまにかクリスティーナを想うよりも、マルゲリータを見つめていると気づいたとき、私は己を恥じた。
病の妻を想いながら、若い花の香りに酔っていた。
やがてクリスティーナは静かに息を引き取った。
妃として、母として、立派な最期だった。
それなのに私は、弔いの最中ですら、マルゲリータの横顔を探していた。
……その愚かさが、やがて彼女を孤立させたのだ。
後になって知った。
宮廷の連中が、マルゲリータが先妃をいじめたなどという下劣な噂を囁いていたことを。
ばかな。あの誇り高い白百合が、そんな卑しい真似をするものか。
そう思って放置した。
それが間違いだった。
私は、彼女に言葉をかけることを恐れたのかもしれない。
己の恋慕を、若者のようだと恥じていた。
何も伝えぬまま沈黙し、想いを隠し、政務や外交そして戦争に追われいているうちに――
あの誇り高い女性を孤独にしてしまった。
義理の息子であるアレクサンドルにまで厳しく当たるようになったのは、私のせいだ。
彼女を愛していながら、愛される資格がないと思い込んでいた。
だが、それも思い込みにすぎなかった。
己の心の弱さに、魔族が入り込んだ。
王でありながら、心を見抜かれ、惑わされ、情に足を取られた。
なんたる醜態。
――だが、マルゲリータは違った。
「陛下は其方を信じていたのだ。その尊いお気持ちを踏みにじるとは」
怒りに燃える声の迫力は忘れられない。
「心の底から許しがたい!」
――あれほど気高い怒りを、私は見たことがなかった。
あの怒りは、正義ではなかった。
信義のためでもなかった。
私の心を傷つけたことが、彼女には赦せなかったのだ。
どんな言葉よりも、その怒りが甘美だった。
愛おしいとすら思った。
彼女は私を王としてでなく、一人の人間として案じてくれたのだ。
その誇り高さと優しさが、同時に私を打ち砕いた。
まさか、魔族に見せられた夢ではないかと疑った。
だが、彼女の瞳の奥にあった光は、偽りではなかった。
あれは確かに、マルゲリータその人の炎だった。
――そして、彼女が魔族の爪にかかろうとしたとき。
私は思考より先に叫んでいた。
「マルゲリータがいなければ、わしは生きていけん!」
……まさか、生涯であのような直截な告白をする日が来るとは。
王としての理性も、男としての矜持も、すべて吹き飛んでいた。
同時に、胸の奥に絡みついていた鎖が、音を立ててほどけていくのを感じた。
涙をこぼしながらも、マルゲリータは笑った。
あのしとやかで、誇り高い女性が、まるで少女のようにはにかみながら。
「心よりお慕い申し上げております」
その一言で、世界が歓喜で満たされた。
長い即位の年月で積もった重圧も、歳月の孤独も、すべてが溶けていった。
あのとき初めて、私は本当に“王として”ではなく、“人として”報われたのだと思う。
マルゲリータ――。
おまえは白百合だ。
誇り高く、決して他の花に混ざらぬ気高さを持ちながら、それでも人を癒やす香りを放つ。
おまえがいてくれるなら、王であることも、老いゆくことも、恐ろしくはない。
私はきっと、もう一度この命を捧げる日が来ても、同じように言うだろう。
――「マルゲリータがいなければ、わしは生きていけん」と。
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