第05話 初めての会話

週末を挟んで、月曜日の朝が来た。


「おはよう」


「おはよう、健太」


早起きが定着してきた。母も特に何も言わない。


(今日も彼女に会える)


そう思うと、なんとなく足取りが軽くなった。


「おはよう、健太くん」


「おはようございます」


「今日はなにか上機嫌ね」


「え、そうです?月曜日だからかな」


「学校好きなのね!気をつけていってらっしゃい」


別に学校が好きなわけではないのだが、特に否定はしない。近所のおばさんとの挨拶を済ませ、改札を通る。ホームに立つと、心臓が少し早鐘を打ち始めた。


7時22分発の電車が入ってくる。僕はいつもの場所に向かった。


彼女はいた。今日も同じ場所で、文庫本を読んでいる。


(良かった……)


僕はホッとした。週末の二日間、会えなかった分、今朝の安堵感は格別だった。


電車が動き出す。いつもの平穏な朝の通学風景。僕はなるべく自然に彼女の様子を見ていた。


今日は何を読んでいるんだろう。厚めの文庫本のようだ。夏目漱石だろうか、それとも他の作家だろうか。


そんな平穏な朝に、事件は起こった。


「お客様にお知らせいたします。前方で人身事故が発生したため、しばらく停車いたします」


車内に重いため息が漏れた。通勤ラッシュの時間帯に事故で遅延。誰もが困る状況だ。


僕も舌打ちしそうになった。一限目の古文、小テストがあるのに。


ふと彼女の方を見ると、彼女も同じように困った表情をしていた。文庫本を閉じて、時計を見ている。


そして、なぜか目が合った。


お互い、困ったような、でも少し可笑しいような表情になった。こんな時に目が合うなんて、なんだか間が悪い。でも、同じ状況で困っているという連帯感のような、不思議な雰囲気があった。


「参りましたね」


彼女が小さく呟いた。僕にではなく、独り言のような感じだったが、僕は思わず答えていた。


「本当に……遅刻しそうですね」


自分でも驚いた。自然に言葉が出ていた。


「そうですね。一限目、小テストがあるのに」


彼女が苦笑いした。僕も思わず苦笑いした。同じ悩みを抱えていることに、なんだか親近感を覚えた。


「僕も一限目です。古文ですけど」


「私は数学です。数学の小テスト、難しいんです。私数学が苦手で」


「奇遇ですね。僕も今日の小テスト憂鬱です。古文が苦手で……なんで21世紀の現代に昔の文章を読まないといけないんだって思っちゃう」


少しおどけて言うと、彼女がクスッと笑った。


「確かにそうですね」


そんな他愛のない会話だった。でも、初めてちゃんとした会話だった。緊張していたけれど、思ったより自然に話せた。


車内アナウンスが流れる。


「お客様にご迷惑をおかけして申し訳ございません。復旧作業が完了いたしました。間もなく運転を再開いたします」


「良かった」


彼女が小さく安堵のため息をついた。僕も同じ気持ちだった。


十五分後、電車は動き出した。


「それでは」


彼女が小さく会釈して、いつものように文庫本を開いた。でも今日は、時々僕の方をちらっと見ているような気がした。


僕の胸はドキドキしていた。手のひらには汗をかいていた。


彼女の声は思っていたより明るくて、話し方も自然だった。怖がっている様子もなかった。むしろ、普通に接してくれた。


(話せるんだ……普通に話せるんだ)


僕は少し驚いていた。男子校生活が長くて、女子との会話は苦手だと思い込んでいた。でも、意外にも自然に話せた。


(もしかして、僕のことも覚えてくれてるのかな)


そんなことを考えながら、僕は桜ヶ丘駅で降りる彼女を見送った。


今日は、いつもより彼女の後ろ姿が近くに感じられた。


学校に着くと、山田が声をかけてきた。


「健太、今日はやけに機嫌がいいな」


「そう?」


「なんか、朝からニヤニヤしてるぞ」


山田の指摘に、僕はハッとした。そんなに顔に出ているのだろうか。


「電車が遅れたけど、間に合ったから」


適当な理由をつけたが、山田は不思議そうな顔をしていた。


でも本当の理由は違う。彼女と初めて会話ができたから。それだけで、今日一日が特別な日になった気がしていた。


古文の小テストは、思ったより上手くいった。なんだか集中できた。


これも、きっと今朝の会話のおかげだ。

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