第32話 青の再生
ナギニはリヒトに駆け寄った後、倒れた。
実験の後遺症か、少し顔色が悪かった。ノクスが抱え、黒(ノクス)の力を補給する。
ノクスの腕の中で、ナギニが意識を取り戻す。
「……リヒト、助けに来てくれたのか。」
「あたりまえだろ!お前、体は?」
「おせぇ」
「ん?」
リヒトがナギニに顔を寄せる。
ナギニが震える指でリヒトの額にデコピンした。
「おせぇんだよ、バーカ」
「うるせぇっ…」
涙目のリヒトを見て、ナギニが笑う。
その笑顔は、久しぶりに“少年”のものだった。
***
秋の日差しは一気に暮れた。
崩れた施設の外れで、四人は瓦礫をかき集めて火を起こす。パチパチと焚き木が爆ぜる。木製のベッドや机を薪にした火は安定せず、バチっと時々爆ぜた。それでも、こうして火の前に座っていると不思議と心が落ち着いた。
リヒトが星を見上げて、立ち上がると独り言のようにぼやいた。
「これからどうすっかな」
ナギニが不思議そうにリヒトを見上げる。
「どうするって、アスリオンに帰る方法を探すしかねぇだろ?」
リヒトは火をつま先でつっつきながら、ぽつりとつぶやいた。
「……帰る必要ある?」
「は?リヒト、おまっ!何言ってんだ!?」
「だって、ナギを犯人に仕立てて、あんなひどい実験する場所に送り込んだんだぜ?そんな場所に帰る必要ある?」
「…………っ!あるだろっ!」
ナギニは怒ったような顔で言った。
「少なくとも、カイハがいる!」
「フラれてんのに?」
「フラれても、守るって決めてんだよ」
「ストーカーかよ」とリヒトは笑った。
「なんだ、瞬と喧嘩したのか?」
少し幼い声が割って入ってくる。アズランだ。
「違うよ。ただ、色々ついてけないってだけでっ!」
「大方想像はつくが…」なんて、4~5歳の幼児が、大人のような話し方をする。
リヒトとナギニは妙な気分になったが、アズランの落ち着いた様子に大人しく話を聞いた。
「お前が折れろ」
「なんでだよ!?やだよ!!」
「リヒト、お前どうせ好き勝手やったんだろ?」
「っ!…一回は我慢したっ」
リヒトがアズランから目を逸らす。
アズランは幼児の見た目のくせに、「仕方ないやつ」と大人っぽい顔をした。
リヒトがおずおずと答える。
「瞬が正しいのは分かってる。全員を助けるために、一人を切り捨てる判断だって解る。でも……俺には、それができねぇ」
「意見が違ったって、一緒に居ることは出来るだろーが」
「元々お前が言ってたことだろ」
「……うん」
その時、壊れかけの通信端末が、ジジっと電子音を立てて、映像を映す。
「……アスリオンは本日、今回の一連の事案について世界政府に抗議声明を発表しました。声明では、拘束されているナギニ=ラオ氏の即時返還を求めるとともに、同氏を対象とした“不当な実験”および、実験の失敗により発生したブラックホール現象について強く非難しています──なお、アスリオン跡地で観測された大規模な重力波の歪みは現在収束したものの、放射能汚染の可能性が残されており……」
瞬は俺とは違う方法でナギのことを助けようとしてたんだ。
俺……瞬がどんな思いで、アスリオンを守ってたのか……何も分かってなかった。
アズのこと、ナギのこと、目先のことでいっぱいいっぱいになっていて、周りのことが見えてなかった。リミもカイハも、レオンも自分を信じてくれたのに。
空を見上げると、ひとつの人工衛星が軌道を外れ、火の尾を引きながら落ちていった。
まるで、空に取り残された最後の灯火が流れ星になって消えていくようだった。
リヒトはしばらくそれを見つめていた。
アスリオンはもう、以前の「守られた場所」じゃない。
安心できる基地でも、帰れば誰かが褒めてくれる家でもない。
――誰かが守らなければ、すぐに壊れてしまう場所になってしまった。
だけど、だからこそ。
「……帰ろう。アスリオンへ」
振り返ったリヒトは、ナギニとアズラン、ノクスに向けて、迷いのない笑みを見せた。
***
ブラックホールの発生から数日。現象が収束し、アスリオンは再び母星付近の定位置に戻されていた。政府に保護された四人は手厚い待遇を受け、翌朝、着陸船(ランダー)でアスリオンへ戻る予定だった。
「すっげー!ホテル!!これスイートだぜ!!」
「5つも部屋がある!俺ここの部屋!」
ナギニがそう言って、奥の部屋のベッドにダイブした。
リヒトは「ガキかよ」と笑いながら、ノクスを抱えたまま手前の部屋に入ろうとした。
その瞬間、ふわりと浮いたアズランがノクスの首根っこをつまみ上げる。
「お前はあっち」
ぽいっと別の部屋に放られたノクスが、ころころと転がっていく。
「え?」
アズランはそのまま当然のようにリヒトの後をついて部屋に入っていった。
今までリヒトと同室だったが、他の誰が来ても嫌がったことはない。……まさか今日は、アズラン自身が“一人で寝たい”というアピールなのか?
リヒトが扉の前でそっと回れ右した瞬間、アズランに襟首をつかまれた。
「お前はこっち」
「なに?どうした、アズ?」
きょとんとするリヒトに、アズは真顔で言う。
「俺は寝る」
「う、うん?」
「……寝姿、見られるの嫌いなんだよ」
「知ってるよ。だから一人で——」
「だれが入ってくるか分かんねえ場所でか?」
リヒトはぽかんとした。
つまりこれは——部屋に誰が入るか保証できないから、信頼できる“リヒトで壁を作れ”という意味、か。
「えっと、じゃあ……一緒に寝る?」
アズランは短くうなずいた。
「おう。俺を隠せ」
小さくぷっくりした幼児の手がリヒトに伸びる。
その手をそっと包むと、指先までやわらかい。
ふわふわの髪。丸い頬。大きく澄んだ青い目。
どう見ても幼い子どもなのに——その目の奥にいるのは、紛れもなく“アズラン本人”だった。
姿が子供になってしまったことで、精神も少し引っ張られているのかもしれない。
でもそれ以上に、アズランは今、安心できる場所としてリヒトを必要としている
——そう理解できてしまう自分がいた。
姿に精神も引っ張られているのだろうか。
もしかしたら、大きな姿になれない程、弱っているのかもしれない。
この日初めて、リヒトはアズランを抱えて眠った。
その小さな生き物の呼吸は、リヒト自身にも深い眠りをもたらした。
(第二部 第一章完)
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