第25話 救済のない世界

「リヒト! 返事をしろ!」


瞬の声が響く。

崩壊した《リヴァイアサン》の瓦礫の中、青い液体がまだ揺らいでいた。

破片の隙間から覗く光が、まるで生き物のように脈動している。


「……ここだ……っ」


掠れた声が返る。

瞬がすぐさま駆け寄り、瓦礫を蹴り飛ばす。

そこには、青く濡れたリヒトと、抱きかかえられたマオリンの姿があった。


「生きて……るな?」

「ああ……博士も、守った」


リヒトは息を整えながら言った。

彼の腕の中で、マオリンは小さく呼吸を繰り返している。

白衣は焼け焦げ、片腕には深い銃創。


「お前、何をやったか分かってんのか」

瞬の声は低く、怒りを抑えていた。


「ごめん」

マオリンの甘言に乗り、瞬たちに黙ってアスリオンを出た。


神の怒りのように艦を呑み込み、全てを奪った。

それでも、青は欠片のまま。

――アズランは、帰らなかった。

リヒトのしたことは無駄どころか多くの犠牲を払い、結果、何も生み出さなかった。


「ごめん。」

涙声を抑え、謝る。

「前に言っただろう!迷ってることがあるなら言え!」

瞬はリヒトの襟首をつかんで顔を上げさせる。

「瞬は反対すると思ったから…」

「勝手に俺の意見を推測するな!」

「だって……黙ってただろ」


空気が張り詰めた。

一拍置いて、瞬の声が爆ぜた。


「黙ってたじゃねぇか!!アズの欠片のこと!マオリンと会わせないようにしたのだって!」

「それはっ…!」


リヒトの感情が爆発する。瞬の手を振り払った時、きらりと光るものが空中に飛んだ。


「情報を精査してから、伝えるつもりだった…。」

「…うん、瞬ならそう言うと思ってた。」


「俺はそんなに冷静になれない」とリヒトは拒絶のような言葉を吐いた。

「アスリオンへ帰ろう。お前もワン博士も休息が必要だ」


瞬はリヒトの言葉に傷ついたような顔をしたが、それには触れず優しく告げた。



小型艦がアスリオンの腹に入る。

マオリンは担架に乗せられ、カイハに付き添われ、治療室へ運ばれた。

リヒトはまだ青い液体で濡れたままの身体にタオルをかけられ、ぼうっと突っ立っていた。

すべての音が遠く、視界はカーテンを一枚隔てたように曇って見えた。



***


数時間後。

アスリオン本部の通信室。

スクリーンには、政府高官の切羽詰まった顔が映し出されていた。


「――アスリオン所属のリヒト・アガワ=シュナイダー誘拐による罪で

ワン・マオリン博士を拘束し、速やかにアスリオンへの引き渡しを要求します。

また、この件について、アスリオンは政府の正式な報告と謝罪を求めます。」


瞬は無表情で政府高官への要求を読み上げる。


『えー…ワン・マオリン博士の行方は目下捜索中です。

 リヒト・アガワ=シュナイダーの件については、事実確認中の為、“誘拐”という言葉を使うのは時期尚早かと…。』

「提出したデータの通り、アスリオン内の監視カメラにて誘拐現場を確認しています。それ以上の証拠がどこに?」

瞬が割り込むように声を重ねる。


「あなた方がご存じのように、アスリオンは、教育機関の域を超えさせられた。

もはや、自治権を有する独立艦隊だ。

 要求を拒むなら、相応の対処を取らせてもらう。」


画面の向こうで沈黙が走る。

使者が焦った顔を浮かべたところで、瞬は通信を切った。

ロウが苦い顔で呟く。


「……瞬、本気で政府と喧嘩する気か?」

「違う。」


瞬はデータ端末を閉じた。

「俺たちは“戦う”んじゃない。“守る”んだ。」


その言葉は、まるで祈りのように静かに落ちた。

救済のない世界で――それでも、彼らは誰かを守ろうとしていた。


(第二部 第一章完)

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