第24話 怪物《リヴァイアサン》

彼らがドッチボール大会で盛り上がっている最中、機関室では政府からの通信アラートが鳴っていた。担当していた黄(ソレイユ)の通信官は事態の大きさも飲み込めず、「応」と答えた。



***


ドックされた小型艦から降りてきたのは、小柄な二十代くらいの女性だった。


「こんにちは~王茂琳(ワン・マオリン)です~よろしくネ」

そのあまりのテンションに、瞬は一瞬、反応を忘れた。

「……ようこそ。ワン博士」


そもそも彼女を受け入れることになったのは、黄(ソレイユ)の通信官のミスだ。部下のミスは上官のミス。彼は身をもってそれを体感している。


「アナタがシュン?」

「そうです。ワン博士」

「アラ~とっても礼儀正しいネ!ワタシのことはマオリンでいいヨ!」

「こちらへどうぞ、ワン博士」


リヒトは微妙にかみ合っていない二人を遠目に、苦笑した。

どうやら彼女が、今回のアスリオン実験の要、宇宙生物との力の融合を研究している天才博士ワン・マオリン。政府が何を思って彼女を送り込んできたか分からない内は、リヒトは彼女に接近することを禁止されている。

今回の訪問で、瞬はリヒトに一つだけ隠していることがあった。


「博士は日本語を独学で?」

「ワタシの日本語ヘタか?発音カ?接続語カ?」

「言語チップを制限されているのですか?」


奇特な…と瞬は珍しい生き物を見るような目で彼女を見下ろす。


「ワタシに出来ないことはないネ!日本語一週間で覚えたヨ!」

「イントネーションと語尾が独特です…」


瞬は正直に答えた。なんだか気の抜ける人物だ。


艦内の居住棟と訓練施設、学習棟を案内する。

母艦の区画図は政府も掴んでいる情報なので、隠す必要もない。

黄(ソレイユ)の基地と各適合施設を隠せば、特に見られて困る物もない。

博士には常に瞬の側近であるロウかイチゴが付き添うことを条件にほとんど野放し状態にした。


最近の瞬の日課に、ワン博士の一日の行動報告を聞くことが加わった。

「今日はどこに?」

「訓練場で赤(ロッソ)の格闘技を一日中見学していました」

「これで、黒(ノクス)と青(アズラン)以外はすべて見学済みか…」


二日前には緑(ヴェルディア)の治療を見たいと一日中カイハにくっついて回って、カイハを質問攻めにし、疲労困憊させていた。

あと一日と数時間、博士とリヒトを隔離させておけばいい。

そうすれば彼女は諦めて帰るし、リヒトには何も知られずに済む。

瞬が深いため息を吐いた。


***


リヒトは一人ブリッジの欄干にしゃがみ込み、母星を見ていた。

青く美しい地球。その実、災害と人災だらけで、住む場所がなくなってしまった哀れな星。


「やあ。やっと会えたネ」

リヒトは振り向かず、背中で答えた。


「アンタ、もしかして適合者?」

彼女――マオリンは笑った。

「まさか。ワタシただの人間だヨ」


「俺に何をさせたいの?」

「青の培養液の活動が活発になってるヨ。リヒト、ワタシの研究施設に来るネ」


無害に見えても彼女はきちんとマッドサイエンティストだった。


「培養液に俺を漬け込んで、何を生成する気?」

「…青(アズラン)を作る」


音もなくリヒトが動いた。

気づいた時には、マオリンの喉に彼の手がかかっていた。

青い軌道が、瞳を掠める。

彼女は苦しそうに顔を歪める。


「かはっ…」

リヒトが彼女の首を放すと、マオリンは倒れこみ、掠れるような音で息を吸った。


「悪い話じゃないヨ。どうせ宇宙は新しい青(アズラン)を作る。それを人類の力で少しだけ早くするネ。リヒト、お前の“アズ”を作ってあげるヨ」


「馬鹿じゃないのか。死んだ命は戻らない。」

「コピーじゃ意味がないんだ」


マオリンが笑う。嘲笑ともとれるような笑みだ。

「そんな前世紀に終わった研究など意味がないヨ」

「神様にでもなったみたいだな。」

「宇宙生物という稀有の存在だから出来るヨ。そしてワタシとリヒト、お前が居れば…!」


「出来なかったら?」

「ん?」

「出来なかったら、殺していい?」

「いいヨ。」

マオリンは一瞬きょとんとして、笑った。



***


(これは裏切りだ。瞬、ごめん。

でも、もし“アズ”が本当に帰ってくるなら——)

小型艦を操縦するマオリンを背に、リヒトは心の中で謝った。


政府研究船リヴァイアサンの実験室は、白を基調とした無機質な空間だった。

壁一面に青い培養槽が並び、かすかな呼吸のような泡の音が響く。


「……これが、アズの細胞片?」

リヒトがガラス越しに見下ろす。

液体の中には、淡く光る青の粒子がゆっくりと脈動していた。まるで心臓のように。


「正確には、“アズラン由来の再構成体”ネ」

マオリンは白衣の袖をまくり、軽い調子で答えた。


「お前、植物をどうやって増やすか知ってるカ?」

「種だろ?」

「種は子供ヨ。子供は親(もとのこたい)とは遺伝子配列が違うヨ。それとは違う方法で、植物は全く同じ個体を作ることが出来るネ。」


全く遺伝子配列が同じという事はクローンだ。

それは卵子からでしか、作れないのでは?とリヒトは首を傾げた。


「接ぎ木だヨ。植物は、頭を挿げ替えれば、根ごと本体を乗っ取って、自分のモノにできるネ。」


するとマオリンは少し考えて閃いたように顔をぱっと輝かせる。

「ああ!アスリオンにはいい例があるじゃないカ!サクラだよ。ソメイヨシノ!」

「あれは全部クローンネ。」


そうなのか、とリヒトは感心した。

しかし、それがアズランと自分に何の関係があるのか。


「あの地球外生命体の遺伝子を、植物の遺伝子配列組み替えたネ。理論上は、青の培養液で保存していたアズランの細胞片を“頭”として、お前の身体に移植すれば、アズランになる。これで、 “青”が再び息をするネ」


「俺の身体……?」

リヒトの声は低く響いた。

「それって本当にアズランなのか」


マオリンはちらりと彼を見る。笑っているが、その目だけが笑っていなかった。


「命を模倣できる時点で、それはもう命ヨ。ねぇ、リヒト。お前は“本物”にこだわりすぎネ」


「アンタには分からない。」

吐き捨てるように言って、リヒトは培養槽を背に立ち上がる。


マオリンは、淡々とキーボードを叩きながら口角を上げた。

「分からないヨ。だから知りたい。ワタシは“神様の視点”を見たい。

 生と死の境目を、人の手で越えられるかどうカ。」


「それが“研究”か。」

「それが“祈り”ヨ。」


リヒトは言葉を失う。

マオリンの横顔はどこまでも穏やかで、美しかった。

だがその笑みの下に潜むのは、創造への狂信。


「リヒト、お前もワタシと似てるヨ。

 壊れた世界で、まだ何かを“直せる”と信じてる。

 違う?」


青い光が、マオリンの頬を照らした。

リヒトは何も答えなかった。

ただ、その光の中で、彼女が笑ってはいけない種類の笑顔をしていることだけを、はっきりと覚えていた。



ビィービィー


突然、けたたましい音を立て、アラートの赤光が、無機質な廊下を切り裂いた。

廊下から研究室の入口を開け、政府部隊が突入してくる。


「逃げろ!マオリン!」


操作盤にかじりついているマリオンには、リヒトの叫びも届かない。

彼女は銃撃で傷ついた手で端末を操作し続ける。


「あと少し……あと少しで……」


銃声。短い悲鳴。白衣の肩口が赤く染まる。

それでも、マオリンは笑った。


「これで……誰にも邪魔されないネ」


指先が最後のキーに触れた瞬間、施設全体のドアが重い音を立てて閉鎖された。

実験室に閉じ込められた数人の敵をリヒトが倒していく。

赤いランプが一斉に点滅する。


「リヒト、培養液に触れて……“青”が待ってる」


液体がドクンと波打つ。


「……アズ、なのか?」

リヒトが呟いた。


ガラス越しの脈動が、まるで応えるように強まる。

彼の指先が液面に触れた瞬間――

ぼこぼこと泡が立ち、圧力警告の表示が乱れる。


「ダメ、圧縮率がおかしいヨ!下がって!」

マオリンの声がかすれる。


だがもう遅かった。

青の培養液が、ガラスを破り、津波のように溢れ出した。

青い水が床を走り、電線を焼き、端末をショートさせる。

次の瞬間、研究室がまるごと光に包まれた。

リヒトは反射的にマオリンを抱きかかえる。

あの時、救えなかった命を、今度こそ抱き止めたかった。


光は――熱く、冷たく、痛いほどに美しい光だった。


崩れ落ちた機材。棚も扉も何もかもをなぎ倒す。

流れ落ちる青い液体が、まるで泣いているように見えた。

数分の内に、政府研究船リヴァイアサンは沈黙した。

光が引いた後、ただ泡の音だけが残った。

世界の終わりにしては、あまりにも静かだった。


そして、ただ一つ――

青い光だけが、なお脈打っていた。

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