第15話 形のない悪意

その日の午前九時、掃討作戦が始まった。

一時間、二時間と過ぎる。静寂だけが不気味に張りつめ、誰もが息を殺してその時を待った。黒(ノクス)はなかなか正体を現さない。


昼になり、皆が焦れてきた頃、事態が一気に急変する。

どおん、と大きな爆発音と共に、現場が騒がしくなる。

赤(ロッソ)の誰かが、黒(ノクス)の適合者を見つけた。


「あっちへ行ったぞ!」

「東を固めろ!逃がすな!」


怒号と共に、戦闘が始まる。

黒(ノクス)の能力が分からない今、近距離の攻撃は控え、火力による追い込みが始まる。


慣れない戦場で味方の攻撃での怪我人も少なくなかった。カイハの周りは一気に忙しくなった。リヒトはまだカイハの隣に居た。

彼は黒(ノクス)の数を確認してから、動くと決めていた。


「黒(ノクス)の適合者は一名!一名のみです!!」


黄(ソレイユ)の伝令が叫ぶ。

同時に、リヒトは黒(ノクス)の現れた方角へ向かった。


赤(ロッソ)の戦闘員が倒れ、うめき声をあげている。

黒い霧がしゅうしゅうと熱をもっている。


そこへ、予想外の人物が現れた。緑(ヴェルディア)だ。


「ヴェルディア、あんた、ヴェルディアだな」


リヒトは小さな少女に向かって尋ねた。




***

カイハは次々と運ばれるけが人を片端から癒した。

しかし、どうしても癒えない傷がある。黒い霧のような傷。

あの、柚葉と同じ、傷。


その時、ざわりと背筋が凍った。

何か嫌なものが近くに居る。カイハはゆっくりと、後ろを振り向く。

そこにはナギニが立っていた。


「な、ナギ…?」

「カイハ、ごめん。俺が、柚葉を殺した。」

「は…?何言ってんの…?」

「俺が黒(ノクス)だ」


カイハは思い出す。

打ち捨てられたステーション、その残骸に蹲っていたナギ二。

彼に消された記憶を、今思い出した。

視界がグラグラと揺れる。


ナギニはそれだけ言うと、また飛んでどこかへ飛んでしまった。


待って。言わなくちゃ、皆があんたを狙ってるって。

西に、屋上庭園に行っちゃだめって。

でも…ナギは柚葉を殺した。


柚葉の脇腹の黒い穴を思い出す。

カイハと呟いたあの声――ぐっと胃の中から吐き気が湧きあがる。


柚葉を殺した奴を、助けるの?


頭の中で何かがぐちゃぐちゃに混ざる。悲しみ、怒り、愛情、そして憎悪。どれが自分のものなのかもわからなかった。


その間にも負傷者は増えていく。

カイハはすべての感情をシャットダウンした。

彼女には今の状況を受け止めるだけの余裕はなかった。




***


「ヴェルディア、俺を、緑に適合してくれ。君とカイハだけじゃ、皆を助けられない」

「カイハ、とはステーションに居た少女のことか?」

「そう。君のおかげで助かった。」


「そうか、それは重畳。」

「お前は見たところ、青とも白とも上手く適合出来ている。何故、緑を望む?」


「助けたい」

「死なせたくない」

「もう誰も失いたくないんだ」


柚葉の喪失を思い出し、リヒトの目に涙が滲む。


「良かろう。三つ目の色に耐えて見せろ、少年。」


少女はリヒトの手を取る。


彼女の記憶は――石。

緑色の小さな石が惑星のクレーターの中で目覚める。

同じく転がっていた岩と一緒にクレーターを登る。何度も落ちて、何度も挑戦する。

やがて、クレーターを登り切った時、彼らは人型になっていた。


惑星を旅立ち、他の5色と出会う。

癒しの光は柔らかく、記憶は牧歌的な光景だった。

彼女の記憶の中、緑は命そのものだった。芽吹き、再生し、終わってもなお次の命を抱いていた。彼女は星獣と共に優しく温かな世界で生きていた。


目を開くと、くらりとめまいが襲う。

力が暴れている。リヒトは胸を押さえ、膝をつく。


「辛かろう。人の身で背負うにはあまりに深い業だ」

「だ、いじょぶ…」


ヴェルディアの緑の瞳がふと優しくなる。

「やせ我慢が上手いな、少年」


戦場に赤と黒の炎がのぼる。

リヒトは目についたけが人を運び、治癒した。

助けられる命は多くなかった。無力感、怒り、失望―そして恐れ


「リヒト!何をしている!黒(ノクス)はナギだ!すぐに前線に向かえ!」


ロウがリヒトに向かって怒鳴る。

リヒトには分かっていた。彼は、黒(ノクス)と、いやナギ二と対決するのが怖かった。


思えば痕跡は至る所に残っていた。

カイハの様子がおかしかったこと。

柚葉が狙われたこと。


リヒトにだけ分かるように、彼とナギの思い出の場所に残された痕跡。

そのすべてがナギニを指し示していた。


「リヒト!今更怖気づくな!立て!全員を救ってみせろ!」


ロウが言っているのではない。瞬だ、これは瞬の言葉だ。

リヒトはのろのろと立ち上がる。

彼はロウを見て、頷いた。


駆け出す。足が動いた。あんなに重くて、怖かったのに

——それでも、もう二度と、誰も失いたくなかった



***


ナギニは屋上庭園に追い詰められていた。

瞬の計算通り、動線は封じられ、退路はない。


彼の体表に黒い粒子が浮かんでは消える。

まるで、何かが彼の内側で――“目覚めようとしている”ようだった。


「……ナギ、もうやめろ!」

リヒトの声は、届かない。

ナギニの瞳は、黒い渦の奥に沈んでいた。


瞬が通信越しに叫ぶ。

「全員、距離を取れ! 奴が――開くぞ!」


空気が歪む。

屋上庭園の中心に、重力の波紋が広がる。

光が、音が、引きちぎられていく。

触れたものの存在ごと引き剥がす。


「ブラックホール……っ!?」

リヒトが息をのむ。


ナギニの腕から黒い奔流が走り、アスリオンの装甲がひしゃげる。

圧力に耐えきれず、母艦そのものが軋んだ。


そして、境界が破れる。

景色が裏返り、リヒトは宇宙空間へと放り出された。


* * *


黄(ソレイユ)の星獣と緑(ヴェルディア)の星獣が黄と緑の尾を引いて現れ、

渦を巻く黒の中心へ突き進む。


だが、虚無は全てを飲み込んでいった。

一体、また一体と星獣の体が崩れ始め、光が霧散する。


リヒトは、叫びながら力を放つ。

「ナギ、戻れ――!」


その瞬間、ナギニが苦痛に顔を歪めた。

黒の渦が一瞬、揺らぐ。


小惑星ほどの黄(ソレイユ)の星獣が

渦を押し潰すようにして闇と衝突した。

轟音もなく、ただ光がはじけた。

ブラックホールが弾け飛び、空間が元に戻る。


ブラックホールの消滅にリヒトはホッと息を吐いた。


その中央で、ナギニが膝をつく。

呼吸が荒い。だが、その目にはまだ“黒”が宿っていた。


「……終わりじゃない。壊す。壊さなきゃ」

最後の言葉と共に、彼は一条の黒い閃光を放つ。


それが、リヒトに向かう。


「危ない!」


青い光が割り込んだ。

アズランだ。


次の瞬間、衝撃が走る。

アズランの身体が黒に飲まれていく。

リヒトは彼の両手を握りしめる。

その掌に、微かに青の光が残っていた。


「アズ!」


リヒトが叫んだ。

アズの身体から、残った微かな青い光すら抜けていく。

緑の力を発動させても、青い光は戻らない。

アズの最後の言葉は笑い混じりで、でも本当に弱々しかった。


「お前と共に過ごした日々は悪くなかった。仲間が出来たみたいで…」

「いやだ…!死ぬなよ!」


「俺の星獣、お前に預ける。あいつら寂しがりだから、面倒見てやってくれ」

「わかった!面倒みる!見るから!アズ…まって……」

「……アズ!アズラン!」



音が消えた。

色も、温度も。

青い光だけが、空虚に漂っていた。


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