色づく柿に結ばれる荒縄

藤泉都理

色づく柿に結ばれる荒縄




 名を鞍馬くらまと言う、頭がボサボサで猫背の男は、スーパーの中を歩いていた。

 片手首には結ばれては腕ほどの長さの荒縄を垂れ流したままに。

 きょろきょろと見渡す鞍馬の目に品物は映ってはいなかった。

 ただただ人間の手首に目を向けていたのである。

 パンコーナー、飲料コーナー、乾物コーナー、酒コーナー、菓子コーナー、生活雑貨コーナー、肉コーナー、魚コーナー、総菜コーナーと回って今、野菜果物コーナーへとさしかかったところでふと、足を止めた鞍馬。柿の前で立ち止まっている一人の少女の手首に結ばれた縄を見つけては声をかけたのである。

 お嬢ちゃん、万引きはいかんよ万引きは。


「俺みたいに面倒な生き方をしねえといけなくなるからよ」






 鞍馬が声をかけた少女の名前は、望々もも

 色づくと医者が青くなると言われるほど栄養豊富な柿を食べたら、風邪をよくひく姉も元気になるのではないかと考えるも、貧乏ゆえに果物なんて贅沢なものは買えないのだと言って父親が買ってくれないのだそうだ。


「お父さん。私とお姉ちゃんと一緒に暮らすために、一生懸命働いているの。でも。それでも。お金が足りないって。大家さんに分けてもらったチラシを見て自転車に乗って安いものしか買わないし、食品は割引シールが貼られる夕方にしか買わないし。それでもお金が足りないって。私たちの学費を稼ぐんだって。私たちの塾代とか旅行費用とか遊興費とかを稼ぐんだって。他の子たちに、他の親たちに莫迦にされないようにって。父親だから女の子のお姉ちゃんと私をまともに育てる事ができていないって言われないようにって。お父さん。仕事も家事もすごく頑張って。私はまだ小学生だから働けないし………盗みぐらいしか。って聞いてますか?」

「ああ。うんうん。聞いてる」


 望々は鞍馬を見上げるのを止めて、自分の手首を見つめた。

 すれば、結ばれている荒縄が見えたが、触ろうとしても触れなかった。

 鞍馬曰く、これは盗みを考えている者の手首に結ばれる荒縄で、普通の人には見えず、また、本人ですら触る事はできないそうだ。


「俺の荒縄が今のあんたなら見えているだろ。あんたと違って結ばれているだけじゃなくて荒縄がぶら下がっている。これは実際に盗みを働いた者の証。途中で千切れているように見えるが、そうじゃなくて、見えない荒縄があって、ちゃんと繋がってんだ。どっかの神様に。俺は罰として、盗みを考えている者の盗みを止めねえといけねえの。百人」

「私で何人目なの?」

「ひみつ」

「私をどこに連れて行くの? その神様のところ?」

「ひみつ」

「………あっそ」


 どこでもいいや。

 今までずっと身の内に押し留め続けていた言葉を一気に吐き出す事ができた望々は、どこか投げやりになっていた。

 どうでもいいや。


(私が居なくなったら、私にかかるお金をお父さんはもう稼がなくていい。私の世話もしなくていい。お父さんはお姉ちゃんに柿を買う事もできる。きっとたくさん。私が居なくなったら。いい事づくめじゃん)


「ん~~~。ここでもねえなあ」


 鞍馬は柿の前で立ち止まっては思い切り嗅いでまた歩き出すを三度繰り返し、四本目の柿でここだと大声で言った。


「ここの柿を持って行け。好きなだけ」

「盗みじゃん」

「ちげえちげえ。ここのはな、好き勝手持って行っていいんだよ。ほら」


 鞍馬が指差す先には、お好きに持って行ってどうぞと書かれた看板が荒縄で柿の幹に括られていた。


「え? こんなにたくさん実っている。誰も持って行かないの?」

「ああ。まあみんな、店の果物の方がいいんじゃねえの。知らんけど」

「ふうん」

「ほらほら取り放題だぞ」

「………届かない」


 鈴なりに生っている橙色の小ぶりな柿の実に、身長が低い望々はジャンプしても届かなかった。


「道具を使え。道具を」

「道具?」


 ここまで世話をしてくれたんだから取ってくれればいいのにと思いながら、周囲を見渡した望々。少し離れたところにある小屋の前で三段の簡易階段を見つけては抱えて持って来て、柿の下に置いて二段まで上ると、鞍馬に枝から切れと鋏を手渡されたので受け取り、ひんやりとしてつるりとした柿の実を片手で支えながら近くの枝を鋏で切った。

 瞬間、望々の腕が粟立った。

 恐怖ゆえにではなく歓喜ゆえに。


「………取れた」

「おう。どんどん取れ」

「うん」


 望々は取った柿の実を鞍馬に手渡して、次から次へと柿の実を取り続けたのであった。


「もう少し欲張ってもいいんじゃねえの」

「いいの。一人三個で九個。十分だよ」

「そっか。じゃあ。もう盗みなんて考えないで、合法的に無料で取れるところを探せよ。案外あるんだぜ」

「ありがとう」

「おう」


 鞍馬から手渡された、詰め込み台に備えられているスーパーの無料ビニール袋に入れた柿の実を九個抱えて、望々は鞍馬と別れたのち、家へと戻って夕飯の用意をしていた父親に柿の話をすると、父親は一瞬声を詰まらせたかと思えば、涙声で言ったのである。


「まだ。あったんだなあ。あそこの柿の木。俺が子どもの頃もあったんだ。そうか。まだ、誰でも取っていいのか。そうか。そうかあ」

「お父さん。今度一緒に取りに行こう。まだ残ってたらの話だけど。お姉ちゃんと一緒に」

「ああ………ああ。なかったら、スーパーで買おう。な。柿だけじゃなくて、梨もりんごも」

「うん。偶には。いいよね」


 望々と父親は隣の部屋で眠っている姉を見つめながら言った。


(荒縄。なくなっちゃったんだよね。それとも見えなくなっただけ?)


 望々は自分の片手首から夕飯作りを再開した父親へと視線を向けた。


「お父さん。手伝うよ」

「………ああ。じゃあ。お願いしようかな」

「うん!」


 常ならば手伝いを断わって独りで何でもこなそうとしていた父親であったが、この時初めてお願いしたのであった。











「はぁあ。まだ十七人目。先は長いなあ」


 鞍馬は一個だけ取った柿を鋏の刃で器用に剥いては齧って相好を崩した。


「流石俺の鼻。美味いっ!」











(2025.10.22)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

色づく柿に結ばれる荒縄 藤泉都理 @fujitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ