Side Yui
本山 憧さま
憧くん、こんにちは、お久しぶりです。私のこと、覚えていますか?
懐かしい学生時代、留学先のロンドンではお世話になりました。西村優依(旧姓:市川)です。
先日、学校の先生をしている友人の転任先を調べているときに、憧くんの名前を見つけて、今そちらの高校に勤めていると知って驚きました。
根室から転勤していたのですね。
いきなり勤務先に手紙を出したりしてごめんなさい。怪しまれても困ると思って、封筒の裏に勤務先の大学の名前を書いてみたり、なんて小細工をしてみましたが、逆に不審に思われていないか、ちょっと心配しています。
何年か前に、年賀状があて先不明で戻ってきて以来、どこでどうしているのかな、と時折、ふと考えたりしていました。
最後にもらった年賀状で、お子さんが2歳になる、と書いてあったね。うちの子と同い年なんだな、となんだか嬉しくなりました。
これを書く前に、実は、今まで憧くんからもらったお手紙を、全部読み直しました。なんだかほっこりしたな。
手紙、たくさんやりとりしたよね。書くのも好きだったし、返事が届くのを待つ時間さえも愛おしかった。もう、そういうアナログなやりとりが廃れ始めているけれど、手紙っていいものだよね。
私は、大学の非常勤講師をしています。以前勤めていた学習塾は、結婚後、しばらくしてから退職しました。
本当はフルタイムで働きたいんだけど、なかなか難しくて。でも、週に8コマほど担当しているので、準備も入れるとほぼ一日中働いてるかな。国立大学だから、みんな真面目な学生ばかりで少し物足りない、なんて言ったら罰が当たりそうだけどね。
場所は違っても、お互い、英語の先生だね。留学中の夢が叶った、という感じでしょうか。
筆をとったものの、とりとめのないことばかり書いていますね。すごく懐かしくて、なんだか変なテンションかもしれません。
ひとまず、私の連絡先です。
email: ×××@gmail.com
tel: 080-×××
気が向いたら、連絡ください。もし、こっちに旅行に来ることがあったら、ぜひ。
それでは、また。
西村 優依 2015. 8.27
* * *
封筒の表に書いた勤務先の高校名、住所に間違いがないことを再度確認してから、書き終わった手紙を中に入れる。糊で封をしかけてから、思い直してもう一度便せんを取り出した。
頭から再度読み直し、ふと思った。気が向かなければ、旅行に来なければ、連絡はないかも、と。
もちろん、それが当然かもしれない。そもそも、形式的な年賀状を除けば、かれこれ10年ぶりのちゃんとした手紙だもの。
たっぷり2分ほど、迷いに迷った。そして、再びペンを取り出して、こう書き加えた。
『なにもなくても、とりあえず連絡をくれたら、とても嬉しい』
そして、署名の次に、さらにこう付け加えた。
『P.S. 憧くんがくれた絵(私を描いてくれたものです)は、今も大事にしています』
封をして、切手を貼る。ダイニングテーブルの上を片付け、まだ読んでいない学生のレポートを取り出してから、家のすぐ傍にあるポストまで歩いていき、手紙を投函した。すぐ出さないと、あれこれ考えあぐねて結局出さずじまいになってしまいそうな気がした。
戻ってくると、すぐさま階段を下りてくる足音がする。続いて、眠そうな声が話しかけてくる。
「ママ、どこ行ってたの?」
「ポスト。お手紙出してきたんだ」
「そっか……まだ寝ないの?」
「ん。もうちょっと起きてる。前期の成績評価、9月第一週が締め切りなんだよね。あと1講座分だから、少し片づける」
「がんばって。僕、もう寝るね。おやすみ」
「おやすみ。あ、パパ、今日は準夜勤だから、夜中に帰ってくるからね」
「やった。朝、みんな一緒だね」
二階へ上がっていく息子を見送って、しばらく仕事に集中した。20人ほどのレポートに目を通し、評価を付けると、もう日付が変わっていた。
夫の帰宅を待てないほど眠くてたまらず、簡単なメッセージをテーブルの上に残して二階へ上がる。息子の部屋を覗くと、静かに寝息を立ててすでに夢の中のようだ。
寝室へ入る前に、自分の部屋のクローゼットを開け、一番下の奥からクリアファイルを取り出した。
鉛筆で描かれた、笑顔の私。当時、部屋着にしていたノースリーブのワンピース姿で、すごくリラックスした楽し気な表情だ。
裏には、こう書かれていた。
『気に入ったら、とっておいて。けっこう力作だと自負してる。素の優依がよく出てると思わない?』
確かに、素の私だ。
『好きなこと、好きなだけ、したいこと、したいだけ。せっかく異国の地にいるんだもの、日本じゃ絶対できないこと、やりまくるの』
そんな台詞を恥ずかしげもなく口にして憚らなかった、鼻持ちならないかつての私。
そんな私の傍にいつもいたのが、憧くんだった。
絵をしまってから、寝室へと向かう。ベッドに横たわって目を閉じると、さっきの絵がまぶたの裏にまだ焼き付いていた。
『これ、いいな、脱がせるの楽で』
『部屋着だからね』
『学校には着てこない?』
『うん』
『そっか、いいな、それ』
あの小さなフラットに引っ越した日、すぐにシャワーを浴びてあのワンピースに着替えて――すぐに脱がされてしまったことを思い出した。
一見、目元が涼やかな好青年なのに、二人きりになると憧くんは清々しいくらいに欲望に正直だった。
まるで恋人同士のように過ごした、ロンドンでの日々。
でも、決して恋人ではなかった私たち。
決してもう会うことはないし、さっき出した手紙だって返事が来るかどうかなんて、わからない。もしかしたら、読まずに捨てられてしまう可能性だってある。今さらなんだよ、と。
ああ――今夜は夢を見てしまうだろうな、と思いながら、私はゆるゆると眠気に包まれようとしていた。
どうせなら、楽しかった記憶だけをパッチワークのようにつなげて見られたらいい。
もちろん、そんなことが不可能なのはわかりすぎるほどにわかっていた。
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