第11話 簡単に手に入れた幸せ

 別れを予感していたが、想像より早く事が起きた。今、久司の彼女が妊娠したので別れて欲しいと土下座されている。


「そんなにしないでも大丈夫よ。慰謝料と養育費はくれるのかしら?」


あまりの冷静さに、恐怖の滲んだ目で彩音を見上げる久司。


彩音は微笑んでいたかもしれない。


ーー

 誰も文句なく離婚するというのはこんなにもあっさりとしたものなのか。

財産分与して、慰謝料と養育費を分割で二千万貰うことに決まっていて滞らないよう引き落としで毎月10万、学校などでヒロカに必要な時は都度振り込む約束になった。



 彩音は愛するヒロカと、自分自身の心の自由のために、新しい暮らしを始められることに喜びを感じていた。

周りは捨てられておかしくなったと思っているようだけれど、彩音は愉快でたまらなかった。


 新しい家の可愛らしい朝の光が差し込む小さなアパートのキッチン。

 彩音はヒロカに朝食を用意しながら、静かな心持ちで深呼吸する。家具も家電も最低限だけれど、娘と二人で暮らすには十分だ。何より、佐藤が居ない解放感が、心の奥のざわつきが少しずつ落ち着ちつかせていく。


「ママ、今日はお仕事?」

「うん、でもすぐ帰ってくるよ。彩花も頑張ってね」


 ヒロカの笑顔に、彩音の胸は温かくなる。離婚してもデザインの仕事はまた回して貰えるようになり、養育費もあるので何とか生活出来るようになってきた。

 冷えきった家よりヒロカの為にもなるはずだと、寛花から父親を奪ってしまった事を自分の頑張りでカバーしようと努力を惜しまなかった。


ーー


 その日の夕暮れ、ヒロカの手を引きながらの買い物帰りの道すがら、ふと視線が止まった。

見覚えのある背中、そして漂うバニラの香り──それだけで、彩音の心は跳ねた。

「……寛美?」


 寛美もまた立ち止まり、驚いたように目を見開く。四年ぶりの再会。時間は二人の姿を変えたかもしれないけれど、胸に残る温もりと記憶は、変わらずそこにある。


 自然と足が近づく。小さな公園の木漏れ日の中、互いの存在を確かめるように、目線が絡み合う。

「久しぶり……彩音」

「寛美……元気だった?」


 声は震えていない。けれど、心の奥の熱は抑えられない。息遣いが少し荒くなり、手のひらが微かに汗ばんでいることに彩音は気づく。


 ヒロカの小さな手を握る彩音の指先まで、心臓のざわつきが広がる。再会の瞬間、二人の距離は自然と縮まっていった。甘く蕩ける予感が、柔らかな秋の光の中で胸いっぱいに広がる──。

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