第2話 指先の余韻、午後のひととき

指先の余韻、午後のひととき

 後日の晴れた正午。

 寛美は公園のベンチで待っていた。

 少し遅れて、彩音が手作りのサンドイッチを抱えて現れる。


 まさかの家庭的な一面に、寛美は胸がきゅっとなる。

 野菜サンド、たまごサンド、ハムチーズ。三種類もある。色彩まで美しい。

 水筒から紅茶を注ぎ、ふーふーと息を吹きかけて差し出す彩音。

 その仕草まで、どこか柔らかくて愛おしい。


「美味しい……彩音さん、料理上手なんだね。紅茶まで完璧」

「良かった。料理、好きなのよ」


 木漏れ日の中、鳥の声。

 彩音の慈しむような微笑に、寛美の胸はまたざわめく。


「この前は綺麗で、今日は可愛くて……色んな彩音さんを見つめていたい」

 彩音は照れて、頬を赤らめてうなずく。


 穏やかな時間が流れる。その沈黙さえ、心地よかった。


「彩音さんは普段、どんなお仕事を?」

「ライターとデザイン。それに時々カメラも。いろいろ混ぜてやってるわ」

「すごい……なんでもできるんだね」


 感心しながら笑う寛美。

「私はネイリストだけど、絵を描くのも好きで……ちょっとだけ売れるの」


「へぇ、写真とかある?」

スマホを取り出して、二人は作品を見せ合う。肩を寄せ合って画面を覗き込むと、自然と距離が近くなる。そのたびに、寛美は彩音の唇ばかり見てしまう。


 指先が触れた瞬間、彩音がそっと手を握った。絡まる指先から、鼓動が伝わってくる。


「素敵な写真ね。違う分野でも、作る心は似てる気がする」

「うん……クリエイター同士、もっと話したいな」

彩音の言葉に、寛美は頬を染めた。


 日が傾き始め、帰りの時間が近づく。胸の奥が、また小さく痛んだ。


(もっと知りたい。もっと近くにいたい……)


「ねえ、寛美。連絡先、教えてくれない?」

少し照れたような声に、寛美の心臓が跳ねた。


「もちろん!」

スマホを渡し、番号を交換する。

画面に現れた“彩音”の名前。たったそれだけで、世界が色づいて見える。


「ねえ……今日、楽しかったわ」

「私も。彩音さんといると、時間が優しくて、幸せ」



 夕暮れの公園を、手を繋いで歩く。橙に染まる光の中で、彩音の笑顔が胸に刻まれた。


 家まで送る道すがら、寛美は何度も指先の温もりを確かめた。

 アパートの前で立ち止まり、名残惜しそうに見つめ合う。


「彩音さん……また、会える?」

「今度は連絡できるから、また日の光の下で会いましょう」


 ドアが閉まり、彩音の姿が見えなくなるまで見送る。胸の奥がぎゅっと締め付けられ、寛美はそっと手を握る。

 そこにまだ、彼女の温度が残っていた。



 部屋に戻った彩音は、息を整えながらベランダに出た。夜風が髪を揺らし、頬を撫でる。

 まだ寛美の香りが残っている気がして、思わず深く吸い込む。手のひらの温もりが、熱のように蘇る。


「……まだ、早すぎるのに」


 小さな声がこぼれた。恋が芽吹く音のように、胸の奥が疼く。



 一方、寛美は家に着いて靴を脱ぎ、そっとドアを閉めた。ソファに沈みながら、スマホを取り出す。


 彩音からのメッセージが届いていて、思わず笑みがこぼれる。


「やっぱり……ある、きゃー♡」

小さく声が漏れた。自分でもおかしくて、でも止められない。

 

 写真フォルダを開けば、公園で撮った彩音の笑顔。午後の光と紅茶の香り。

まるであの空気ごと、指先に蘇ってくるようだった。


「彩音さん……」

 思わず名前を呟くと、胸の奥がじんわり熱く、頬が緩む。


 メッセージを開いて、震える指で文字を打つ。


「今日はありがとう。本当に楽しかったです」


 送信ボタンを押した瞬間、心臓が跳ねる。その鼓動のまま、ソファにもたれて目を閉じた。

 彼女の笑顔と声が、まだ傍にいるように感じながら。


「日の光の下かぁ。夜はまだって意味だよね。少し私の事、意識してくれてるのかな。」


 寛美はそっと手を見つめた。

指先に、まだ午後の陽だまりと彼女の温もりが残っている気がした。


 静かな夜。柔らかな余韻の中で、寛美の小さな恋、ゆっくりと確かな形を取り始めていた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る