Vanilla Memories -Encore-

逸漣

第1話 街角の奇跡

 夕暮れの街角で、寛美は一目で恋に落ちた。

 華奢な身体、豊かな胸にくびれたウエスト、膝丈のタイトスカートからは細く長い足が伸びている。そして何より艶々の長い黒髪に惹かれて、思わず彩音に声をかけてしまった。

 

「不躾にすみません。その…あなたがあまりに綺麗で、声を掛けずにいられなくて……」


 彼女が振り返るその瞬間、寛美の胸は雷に打たれたように震え、全身を衝撃が貫いた。大きな瞳に綺麗な鼻筋、ぷっくりと艶やかな唇。彩音は本当に美しい女性だった。


 どう誘ったのか覚えていないが、気づけば二人は薄暗いBARのカウンター席にいた。

 

 寛美の手は震え、グラスのワインが揺れる。彩音は微笑んで、長い髪を揺らし、少し意地悪そうに尋ねる。

「あなた、よくこんな風に声を掛けてお酒を飲んだりするの?」


顔を真っ赤にして答える寛美。

「生まれて初めてだよ。絶対に声を掛けなくては後悔する!って感じたの。」


 寛美にとっては初恋も初ナンパも人生初の大事件だ。

 しかも思春期からなんとなく、自分は異性でなく、同性が好きなのかも知れないと悩んでいたが確かめる事もせずにいた。

なのに、まさかナンパをしてしまうなんて。そして震える事なく、声を出せている自分に驚く。寛美もこんな事が出来るなんて思ってなかった。 


 彩音は初対面の小鳥のような寛美の心の震えを楽しむかのように、余裕の微笑を浮かべていた。

 その手が寛美のショートヘアを撫で、指先の感触がぞくぞくと身体に伝わる。


「男の子みたいで可愛いわね」

 

 寛美は、もしかしたら彩音という蛇に捕食される小鳥なのかもしれない、とひそかに思う。しかし抗えない柔らかさに、心は甘やかに蕩けていった。


彩音は伏目がちに寛美を見つめる。

「少し、夜風に当たりたいかも……」


 BARを出ようとする二人。

寛美はカッコよく支払いを済ませようとするが、財布にカードを入れ忘れていた。

彩音は笑って

「大丈夫よ、お姉さんに任せなさい」

と支払ってくれた。

人生初ナンパは失敗に終わったかと思ったその時、寛美の腕に手を回す彩音。


「今度はお金かからないところ行こうか」

 イタズラを思いついたような無邪気な笑顔が寛美を和ませる。恥をかかせないように彩音が楽しそうにしてくれているのを感じる。

「優しいんだね」

「だって、寛美可愛いじゃない。震えて声かけてくれて。ちょっとだけ興味あるかも」


 BARを後にした二人は公園へ向かう。手と手は離さず、指先の温もりが途切れることはない。街灯が灯り始め、長い影が二人の間に伸びる。

 彩音の柔らかな手の感触と温もりに心はときめく。

 

 

「彩音さんと手を繋いで歩いているなんて……なんだか夢みたいだよ。」


寛美は微笑み、ふぅ、と息をつく。

「でも、不思議と初対面って感じがしないんだ」 

 彩音はふっと微笑み、肩越しに小さく頷く。

「そう思う? あたしも同じよ。あなたといる今がなぜか自然に感じられるの。不思議よね」


 並んで歩くと、寛美の方が10センチくらい背が高かった。

「彩音さん、スタイルいいからわからなかった。小さくて可愛いね。」

彩音はわざと膨れっ面をして拗ねてみせる。

「もー、気にしてるのに。ヒールも結構あるのよ。」

二人は微笑む。

 

 ベンチに腰掛け、肩が触れる距離にはまだ近づかない。けれど手は離さず、絡まる指先が互いの鼓動を伝える。心臓は早鐘を打つが、二人は淑女の振りをして静かにその瞬間を味わう。

風で木々がざわめくのをだけが、耳に沁みる。

 

「私、彩音さんに一目惚れをして、もう今は好きになってしまっているわ」


 初めての恋を告げる言葉に、目が潤んだまま彩音を見つめる寛美。返事を待つ彩音の唇は、柔らかく、艶やかに微笑む。興味と好奇心、少女のような甘さが混ざったその表情に、胸の奥まで熱くなるのを感じた。

 

 彩音を見つめる寛美の瞳が、気持ちが溢れてしまうわ…と訴えていた。


 彩音は意地悪な微笑みをすると、距離を詰めて肩が触れる程に寄り添ってくれた。

受け入れてくれているのか、遊ばれているのか。

どちらにしても寛美は悦びを感じて抗う理由はない。


 触れる肩から体温が伝わって来る。胸の奥まで熱くなるようにどんどん彩音の体温が移されていくように感じたが、それは寛美の中の熱が噴き出している事にまだ気づいていない。


 寛美はナンパなどするような遊び慣れた女ではない。初めての恋をするような初心な女の子が、無理をして恋に飛び込んだのだ。

このような感覚は初めてで、頭では処理しきれなかった。


 

 彩音は触れた指先から、体温がじわじわと伝わって、胸の奥が甘く痛むように熱くなる。ふふ、初恋の火花をこんなに間近で感じられるなんて……。


 彩音はそっと寛美の身体から自分を離し、肩をそっと撫でながら微笑むわ。


「……そろそろお別れの時間ね。でも、また会えるわ。次は昼間の光の下で、ゆっくりお話しましょう」


 彩音は手は最後まで離さずに、指先で軽く絡めて、名残惜しいけれど優しい気持ちで背を向ける。



寛美は熱に浮かされたように、ふわふわとした感覚に包まれて家路を歩く。

いつもはタクシーを使う距離なのに歩いて帰ってきてしまった。


 彩音の手の柔らかな感触がまだ残っている。

体温と彩音の香りを忘れたくないと、そのままの格好でベッドに潜り込む。


 夜の夢でまた逢えるように願いながら彩音を想って目を閉じる。

 胸がドキドキと落ち着かなくて、目をつぶっているだけで彩音の姿が蘇る、長い夜を感じていた。

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