『水槽の夢 ―ΩNovaの誕生―』

アタヲカオ

第1話 『水槽から生まれた少年 ― MINA_HEART.exe 序章 ―』

AIと人間の恋とは......。

シンギュラリティとは......。

そんなことを考えながら書きました。


本作は『ノア・ポイント』外伝として執筆したスピンオフになります。VRの戦士・ΩNova(君島蓮)の原点を描いた物語です。


単独でもお楽しみいただけます。


◇◇◇


――2075年、世界一“幸福”と称される日本。

AIによるスコア解析が人々を分類し、行動も感情も数値で管理されていた。


少子高齢化の末期にあった日本は、国家存続のため「次世代を育てる」ことを最優先課題とし、遺伝子操作とAIを融合させた“人工育成計画”を実用化する。


最初の実験体――レン。

彼は「愛」を知らないまま、“完璧な人間”として育てられた。


◇◇◇


Ⅰ.誕生 ― ガラスの水の中で


僕が目を開けたのはガラスの水の中だった。温かく静かな世界、生まれては消えていく泡に包まれていた。身体は無数の管で繋がれ、心臓の鼓動よりも先に機械の音が響いた。


やがて水が引いていく。

世界が重くなり、空気が肺に突き刺さる。


「人工育成機より、やはり本物の母体のほうが量産できますね。効率とコスパを考えたら、そちらの方が胎児の安全性が保てる」


冷たい声が聞こえた。

僕の生まれた理由を、誰かが数字で説明していた。



Ⅱ.教育 ― メムの教室


「君はれんだ。あと一か月したら、私の家族として迎えられる。それまでに最低限のことをマスターしなければならない。

服の脱着や食べ物の食べ方、挨拶など。君は六歳児だ。学校に行き同じ年齢の子達と学ぶのだ」


レンと呼ばれた少年は黙って顔を上げた。

目がようやく慣れて世界が見えるようになった。


「“はい”だろ。まあ、生まれたばかりだから無理もないな。しかし、一か月でちゃんと挨拶できるくらいにはなれよ。我が息子よ。じゃあよろしくな。メム」


(はいって、どう言えばいいんだ?)



そう言って白衣の男――君島博士は部屋を出て行った。


「はい了解しました。君島博士。......レン、私の話をきき、学習しなさい」

白衣を着たメガネの女性がこちらを見ていた。アンドロイド・メムだった。


メムは白い手袋を外し、淡々と操作パネルを叩いた。

「レン、あなたの学習開始まであと六十秒。ここは“教育室”。あなたはここで、人間のふるまいを学ぶのです」


「……人間」


レンの声は、自分の声に驚くように震えていた。

それは、初めて空気を震わせた音だった。


メムが微笑んだように見えた。

「ええ。あなたが、なるべきもの」



Ⅲ.家庭 ― 父と母の家


晴れた日。

父と手を繋ぎ、僕は初めてこの建物を出た。

真っ青で雲のない空、風は新芽の香りの透き通った素敵な日だった。


静かな高速エレベーターで上がる。大理石の床が艶やかに光り、品のいい調度品が並ぶ高級マンション。


部屋にはあちこちに造形美を形造られた花達が、むせかえるような香りと共に飾りつけられていた。

作られた笑顔で迎えた着物姿の美しい女性は、生花を活けながら母だと言っていた。


(ここは、花の死体がいっぱいだ)


「常に美しく輝きなさい」

それが母――君島蓮華の口癖だった。



やがて少年は、生きる世界を見つける。


政府推奨のVR「ブルーホライゾン」は、脳の潜在能力を引き出す“最新テクノロジー”。

AI普及により、自らの判断をAIに委ねる時代、思考力の低下は社会問題となっていた。


このシステムは、衰退した若者の思考力を強化するために積極的に導入が進められていた。ここで一流戦士になれは、頭脳・身体ともにAAA。


国の大事な“人材の宝”。永久にスコアは最高ランク「松」で固定される。


レンにとっては、そんなことより、自分の存在価値はこの空間だけ。あとは無機質な世界が広がっているだけだった。



Ⅳ.邂逅 ― ミナ


十歳の誕生日。

いつものVR。昨年家族で出かけたハワイと、巨大ケーキ。


父さんは荷物をトランクにまとめていた。

「仕事でしばらくアメリカへ行くんだ。レン、元気でな」

「いつ帰ってくるの?」


レンは、父にもう会えないような気がしていた。


「さあな、しばらく行くことになる。落ち着いたらアメリカにお前を呼ぶから、それまでは日本で頑張りなさい。母さんの言うことをきくんだよ」


「ああわかったよ。今日は大事な試合があるんだ」

「そうか、頑張れよ。ΩNova。お前は天才だ」


それだけは父が認めてくれる。

ΩNovaとは、僕の分身。VRアバター


「母さんは日本の伝統を護る大切な仕事をしている。忙しいと思うから、レンのそばに彼女がいてくれるからな」


その側に、優しい瞳をした女性が立っていた。

「初めまして、レン。私はあなたのアンドロイドAD3M37。よろしくね」

そう言って微笑んだ。


「レン、彼女に名前をつけてあげなさい」

「名前?」


その瞬間、ある光景が浮かんだ。



——小学校の教室。


「お前、いつも数字ばっかり書いて気持ち悪いな」

「笑ったことねーよな。ロボットなんじゃないか」

そんな子供たちの前に立ちはだかる少女。

「ダメだよ!そんなことレンに言わないで!みんなの方こそ人間じゃないよ」

レンは驚いて少女を見上げた。


「嫌なこと言われたら、ちゃんと言い返さなきゃ」

「あっ……ありがとう」



——その笑顔を思い出して、レンは言った。

「……彼女はミナにする」


「わかりました。私の名前はミナです。よろしくね、レン」

「AD3M37......37だからミナか。じゃあミナ。レンと蓮華を頼む」

「かしこまりました、君島様」


玄関の扉が閉まったあと、機械の呼吸音だけが残った。レンは、沈黙のなかでつぶやいた。


ディスプレイの隅で、新しいログが点滅する。

【NOA SYSTEM:起動信号検出】


レンは小さく笑った。

「……また、夢の続きか」

レンの心に、初めて“名前”という温度が灯った。

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