第4章 「信仰の論証(ロゴス・ピスティス)」 3話
野営翌日の早朝、私達は手早く野営設備を撤収し再び巡礼者の道に戻った。
「レノックスはどんな場所ですか?」
私は前を向いたまま左隣のアークトゥルス助祭に尋ねる。
「レノックスは通称『最後の巡礼地』と呼ばれる町です。アンフィニほど大きい街ではないですが、それなりの人口があります」
「やはり巡礼地は大きな街になっているのですか?」
「いえ、必ずしもそうでありません。アンフィニから日帰りで行ける小さな町もあります。アンフィニ戻ったら行ってみるのもよいでしょう」
「戻ったら、ですか」
私は思わず口にしてしまった。
一瞬気まずくなるかと思ったが、アークトゥルス助祭は何事もないように真っ直ぐ前を見つめていた。
それから私達は昨晩と同じように何度か野営をし、徐々にレノックスとの距離を縮めていく。
レノックスに近づくにつれ晴れの日は減り、何度も小雨が降るようになっていた。
春先の雨はまだ冷たく、温かい寝床が恋しくなっていた。
最短距離で西側を目指したのは失敗だったかもしれない。
少し日程がかかってでも町に立ち寄り、体力を温存した方がよかった気がする。
日を追うごとに足取りは重くなり、気分も沈んでいった。
しかしそんな気持ちも徐々に森が開けていくのと同時に消えていく。
巡礼者の道は森を抜け緩やかな下り坂になり、視界は開け辺りには麦畑が広がった。
遠くにはレノックスの灰色の石壁が見えており、巡礼者の道はその城門に吸い込まれていった。
レノックスはアークトゥルス助祭がいった通りアンフィニほど大きくはないが、強固な石壁に囲まれ、中には教会の尖塔が見える。
その風貌はアンフィニよりも堅牢な感じがする。
石壁は高く積まれ、所々に矢を放つ矢狭間が設けられている。
アビスだけではなく人との戦いを意識したような造りがされている。
城門には二人の衛兵が立っており、レノックスに入る人の身分や所持品を厳しく検査していた。
アークトゥルス助祭はその衛兵に近づきフードを下げ、黒いローブの下に着た助祭の制服を見せる。
衛兵は名前と所属を確認した後すぐに敬礼し、恭しい態度で応対した。
「アークトゥルス助祭、遠路はるばるようこそ。お疲れ様でございます」
「ご苦労様です。今夜、このレノックス教会に宿泊させていただきたく参りました」
「もちろんです。町の中央に見える尖塔の下に教会がございます」
「ありがとうございます」
「そちらの方も聖職者の方ですか?」
私は少しドキリとした。
元研究者という身分は聖団内でどんな扱いなのだろうか?
アンフィニでは特に身分を聞かれることはなかった。
「いえ、彼は聖職者ではありません。何か確認が必要ですか?」
「はい、荷物の中身と名前の確認できるもの見せていただきたいです」
荷物を見せるのは構わないが、名前の確認できるものは研究所で使っていたドッグタグしかない。
対絶望理論研究所という名前は入っていないが、在住地がここからでは随分北のほうになっている。
なんなら私は今、自分の家を持たない根無し草である。
このドッグタグ自体があまり意味のないようなものに感じる。
しかし返答に間が空きすぎるのも怪しいと思い、私はすぐに鞄の中身を見せた。
衛兵は鞄の中の旅道具を一つ一つ丁寧に取り出し、細かい部分まで確認した。
「中身は一般的な旅道具のようですね。名前の確認できるものはございますか?」
私は首から下げている革製のドッグタグを衛兵に見せた。
それを見た衛兵がやや鋭い視線を私に向けた。
「カイン・アリスト様ですね。在住地が随分北方ですが旅の目的を伺ってもよろしいですか?」
私はどうしようかと思い動揺していたが、アークトゥルス助祭が間に入ってくれた。
「彼は現在アンフィニ在住の歴史学者です。ドッグタグが北方在住になっているのは直近でアンフィニに移住したからです」
更に彼女は僅かに胸元を開け、小さな銀色の証を視線だけで衛兵に確認させた。
「私達はユリウス・アルモニコ司教から巡礼者の道周辺の歴史的建造物などを回るように命令されています」
衛兵はその証と彼女の言葉を聞き一瞬で顔色を変え、すぐに頭を下げた。
「これは大変失礼いたしました、アークトゥルス助祭。そして、カイン様。すぐにお通しいたします」
「ありがとうございます」
彼女はもう一人の衛兵に一礼し、そのまま城門を潜った。
私は鞄の中身を詰め直しながら、彼女の後を追った。
城門から離れるしばらくの間町の石畳を踏みしめ、安堵のため息をこらえた。
レノックスは城門をくぐればアンフィニ程ではないが人が行き来しており、人間的な温かさを感じさせる。
アークトゥルス助祭は姿勢を崩さず、真っ直ぐ教会の尖塔に続く道を歩いていた。
「助かりました。ありがとうございます」
私は彼女の隣に並び、安堵のため息をこぼした。
「あの程度で動揺していては、この先の旅は務まりません」
彼女は私を嗜めるように言ったが、その声のトーンは柔らかく感じた。
「先程衛兵に見せていた銀の証は何ですか?」
「あれは『司教直属の使者』であることを示すものです。機密性や緊急性が高い任務を遂行するために強い権限が付与されています」
それで衛兵は一瞬で顔色を変えたわけか。
アルモニコ司教もできる限りの支援をしてくれている。
「全ての権限に対して効力があるわけではありませんが、衛兵の検閲を抜けるのと教会に宿泊する程度のことではこの権限ではむしろ大き過ぎるくらいです」
そうして話しているうちに尖塔が伸びている教会の入口までたどり着いた。
教会はアンフィニのものよりも小さく、簡素なものだったが、やはり厳かな雰囲気がある。
アークトゥルス助祭はためらいなく教会の扉を開け、中に入っていった。
私も遅れて後に続く。
彼女は教会の内部を知っているのか、迷わず正面の祭壇まで進み、向かって右側の扉を開けた。
その扉の奥には尖塔に続く廊下と、左右にいくつかの扉があった。
彼女は扉を開けてすぐ左側にある扉まで歩き、扉をノックする。
「失礼します。アンフィニから参りました助祭のアークトゥルスです」
すると中から若い男性の声が聞こえてきた。
「どうぞー」
アークトゥルス助祭が扉を開けて部屋に入る。
その部屋にはこの教会の管理者だと思われる純白のローブを着た男性が座っていた。
男性は窓際にある執務用の机に頬杖を付きながら書類を眺めている。
頬杖を突いているのと、金髪と茶髪の中間くらいの明るい髪色のせいでなんだか飄々とした印象を与える。
私より少し年上だろうか?
あまり聖職者のような雰囲気ではない。
「アルモニコ司教から特命を与えられこれから南方に向かうのですが、今夜こちらの教会で宿泊させていただくことは可能でしょうか?」
彼女はまた胸元を開け、先ほどの銀の証を見せた。
男性は頬杖を突いたまま顔を上げた。
「宿泊するのは結構。好きなように使ってくれー」
「ありがとうございます」
「それにしても特命なんて珍しいね。どんな任務だい?」
男性は特命と聞き興味が出たのか楽しそうな表情をした。
「申し訳ありません。機密性の高い任務であるため、詳細はお伝えできません」
アークトゥルス助祭は銀の証を胸元に収めながら事務的に答えた。
男性は頬杖を解き机の上で指を軽く叩いた。
その動きは先ほどの衛兵の恭しい態度とは対照的に自由で軽やかだった。
「ふぅん。機密ね。まあ、無理に聞き出すつもりはないさ」
彼はカインの方を一瞥した。
「そちらの方は?君と同じ黒ローブだが、聖職者ではないようだが」
「彼は歴史学者のカイン様です。司教の特命によりこの周辺の歴史的建造物の調査、文書の収集を依頼されています。旅の安全確保のため、私が護衛として同行しています」
「歴史学者なんてさらに珍しいね。レノックスは『最後の巡礼地』と言われるだけあって歴史も古い。掘り出し物が出てくるかもしれない」
そう言って彼は椅子から立ち上がり、私の手を取り力強く握手した。
「私は司教のヴィクトール・クライヴといいます。レノックスの管理を任されているので何かあればお伝えください」
それを聞いて私は微かに動揺した。
ヴィクトール・クライヴ?
師匠と同じ姓を持つ人が何故こんな西端の町にいるのだ?
クライヴは北側の姓のはずだ。
「カイン・アリストです。今夜一晩お世話になります」
「ゆっくりしていってください」
「ところで西側でクライヴという名前は珍しいと思いますが、シグルド・クライヴという方はご存じですか?」
「シグルド・クライヴですか?生憎思い出せる範囲ではいませんね」
「そうですか、急に不躾なことを聞いてしまって申し訳ありません」
「いえ、お気になさらず」
ただの偶然だろうか?
というかクライヴ司祭と呼ぶのはなんだかしっくりこない。
かといってヴィクトール司祭と呼ぶのは距離感が近すぎるような気がする。
「寝室は2階の空いている部屋を使ってくれ。簡単な食事なら食堂にあるからそれをどうぞ」
ヴィクトール・クライヴ司祭はアークトゥルス助祭に向かいそう言い、好奇心に満ちた笑顔を崩さぬまま、窓際の執務机に戻り再び書類に目を落とした。
私達は司祭に一礼し部屋を出る。
アークトゥルス助祭は扉が完全に閉まるのを確認してから静かに私を振り返った。
「カイン様、なぜ急にあのようなことを尋ねたのですか?」
彼女の声には疑問とやや不信感が滲んでいた。
「すみません。実は昨日話した師匠の名前がシグルド・クライヴなのです。まさかレノックスで同じクライヴ姓の人物に出会うと思っていなかったので」
「レノックスは西側と北側の貿易拠点でもあります。北側の姓を持つ人物がいても不思議ではありません」
彼女は短くため息を吐き左手に見える階段のほうに向かって歩き出した。
私もそれに続き彼女の後を追う。
しかし予想外の声に呼び止められた。
「ごめん、やっぱり待ってー」
その声は執務室の中の司祭の声だった。
司祭が扉を開けて廊下に顔を出す。
「ちょっと大事な話をしたいんだけどいいかな?」
そう言って司祭は私達を手招きして、執務室に呼び戻した。
大事な話とはなんだろうか?
司祭は悪戯っぽい笑みを崩さず扉を閉めた。
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