第4章 「信仰の論証(ロゴス・ピスティス)」 2話
アンフィニを正午頃に発ち約7時間ほど。
私達は暗い森の中に続く街道を歩いていた。
先ほどから近くで水の流れる音がする。
日が沈んだことだしそろそろ野営の準備をしたいところだ。
「アークトゥルス助祭、今日はこの辺りで野営をしませんか?」
彼女は歩みを止め私を見た。
「そうですね、この辺りで開けた場所を探しましょう」
そう言って彼女は周囲を注意深く見回した。
もう日が沈んでしまった森の中は随分暗く、木が生えているのもあって視界が悪い。
私も目を細めたが、暗い森の中では周囲の状況は掴めなかった。
どうしようかと考えていた時に、アークトゥルス助祭がおもむろに左手を左前方に突き出した。
私はその先に何かあるのかと思い、また目を細める。
しかしその瞬間私の視界が青白い光で照らされる。
その光は彼女が左手を向けた方向に数本の矢となり飛んでいった。
なるほど。
本来の使い方ではないのだろうけど、そういう使い方もできるのか。
アルモニコ司教と彼女の持つ術式、光の矢を飛ばす術式で彼女は周囲を照らして見せた。
光が夜の森に当たると、その先がわずかに開けた土手になっていることがわかった。
「あの川辺の開けた場所ならば安全に野営ができそうです」
彼女は静かにそう告げると術を解いた。
再び森は闇と微かな水音に包まれる。
「随分実用的な使い方ですね」
「旅には慣れているので」
私達は街道を外れ彼女が示した方向へと進んだ。
視界から木の枝が消え、水辺が顔を出す。
街道からでは微かにしか聞こえなかったが、開けた土手ではしっかりと水の流れる音が耳に入る。
私は寝床をどこにしようかと周囲を見回す。
土手の土は午前中に雨が通ったのだろう、まだ湿っていた。
そのまま寝転がるには抵抗感がある。
一応蜜蝋で防水加工された麻の布を持ってきているが、あまり濡らしたくない。
濡れてしまえば重さが増すし、なにより衛生的でない。
できるだけ濡れていなくて、川からは少し距離を取った場所がいい。
私は川とは反対側の木の根元を見る。
「アークトゥルス助祭、土が湿っているので木の根元で設営しましょう」
「わかりました。ではカイン様は寝床の準備を、私は火と見張りの準備をします」
彼女の言葉に無駄はなかった。
私達はすぐに木の下の比較的乾燥した場所へ移動し、黙々と作業に取り掛かった。
私は背負っていた鞄の中から防水加工された麻の布を取り出し木の根元に敷く。
その上から薄い毛布を重ねて二人分の寝床を確保した。
一方アークトゥルス助祭はナイフを取り出し乾いた木の枝を探す。
近くの木々の根元から何本かの枝を選び取り、ナイフで丁寧に樹皮を削ぎ始める。
手慣れた動きを見て、先ほどの旅慣れているという言葉を実感する。
彼女は自前の火打ち石を取り出し、数度の摩擦で手際よく火をつけて見せた。
やがて焚き火の炎が安定すると、周囲の木々の根元や私達の顔をオレンジ色の光が照らし始めた。
静かな川辺に木が爆ぜる音と水音が響く。
私は寝床の準備を終え、焚き火の近くで膝を抱えた。
アークトゥルス助祭は火の番をしながら持参した水筒の水を一口飲む。
「よく旅をするのですか?」
私は焚き火を見ながら彼女に語りかけた。
アークトゥルス助祭は水筒に蓋をし、足元にそっと水筒を置く。
「私は助祭という聖職位を持っていますが、遠方への護衛や使者として使わされることが主な仕事です」
「アンフィニに居るよりも外に居る方が多いと?」
「はい、助祭や司祭は聖団の正式な任務をこなす現場仕事がメインです。なので遠方に向かうことも多く、旅慣れているのはそのためです」
聖団では聖職位によって仕事内容が変わるのか。
研究所でも階級は存在したが、それは組織の決定権の大小であり、基本的には皆自身の術式の研究をしている。
管理職のような人間がいないわけではないが、どちらかというともっとフラットな組織構造だ。
「カイン様も旅慣れているように見えますが、何故ですか?」
初めてアークトゥルス助祭から個人的な疑問を投げられたような気がする。
「私は旅慣れているというより野営に慣れているだけです」
アークトゥルス助祭は不思議そうな顔をした。
「同じことのように思えますが…」
「私にはアビス戦闘を教えてくれた師匠がいるのですが、その師匠が野営の仕方も教えてくれたのです。遠方に向かう旅はほとんどしたことがありません」
「なぜカイン様の師匠は旅をしないのに野営の仕方を教えたのでしょう?」
「おそらくはアビスを関知する術式と、近付けない術式の実地訓練だったのでしょう。あまり使う機会はないですが、基礎として教えてくれたのです」
師匠は徹底した合理主義だ。
覚えておくだけなら何も損しないと言い、多くのことを教えてくれた。
研究所でその基礎は応用の土台となり、現場では実際に役に立った。
もっとも巡礼者の道の傍ではそれらの術式も必要ないが、聖団の勢力圏を出れば必要になってくるだろう。
「人の未来を考えられる優しい方なのですね」
「そうだと思います。師匠はいつも私が想像できない未来まで見通しているようでした」
「それはきっとその方が自分自身でそれを体験したからでしょう。カイン様の行く未来を知っていたし、その方向に進むと信じていたのだと思います」
そうかもしれない。
師匠の揺らがない安定感は実体験からくる経験値だったように思う。
そして私は同じ道を後ろから追いかけていたのだ。
だが今はもう師匠はいない。
私は自分の道を行かねばならない。
誰かの歩いた後ではなく、自分自身で道を切り開かなければならない。
私は足元に視線を落とし静かに息を吐いた。
「今その方はどうしているのですか?」
アークトゥルス助祭の静かな声が私に語りかける。
しかしその静かな声と対照的に私の心臓はドクンと大きく脈打つ。
私は反射的に焚き火の向こうにいる彼女を見つめてしまった。
オレンジ色の火に照らされた彼女の表情が緊張する。
それを感じ取って私はすぐに視線を落とした。
「私の師匠は既に死んでいます。アビスとの戦闘中に殉職しました」
自分で話した言葉が自分自身の体温を奪ったような気がした。
師匠の死は絶望がすぐ目の前にあることを実感させる。
私はゆっくりと瞬きをしてアークトゥルス助祭を見る。
彼女の表情はいつも通りの無表情に近かったが、辛そうに見えた。
そんな表情にさせてしまったことに申し訳なさを感じる。
けれど自分のことではないのにそんな表情になってしまう彼女の優しさが温かかった。
彼女の絶望に寄り添うというのはこういうことなのだろう。
その表情を見て少し心が軽くなった。
もう十分私は救われている。
私は思わず笑ってしまった。
「なぜ笑うのですか?」
今度は困惑した表情でアークトゥルス助祭が問い掛ける。
「師匠の死は未だ私を縛っています。論理では人を守れないという事実で」
それを聞いて彼女は作戦会議のことを思い出したのか、目を見開いて焦ったような表情をした。
けれど私は続ける。
「しかし師匠は死ぬ直前にも私に道を示してくれました。誰かを守るために師匠は死んだのです。ならば私は師匠の残した意志を継がないといけない」
それがどれだけ重い足枷になろうとも私は歩むことを諦めてはいけない。
死んだことの意味ではなく、死んでも残そうとしたものの意味を探すべきだ。
「そしてあなたはその道に明かりを灯してくれています。だから私は十分救われています」
遠回りな言い方だったろうか?
結局質問の意味に答えられていないような気もする。
しかしアークトゥルス助祭はしっかりと言葉を受け取ってくれたみたいだ。
彼女が拳に力をいれるのを私は見てしまった。
「もう今日は寝ましょう。軽く明日以降の流れを確認しましょうか」
私はどうしていいかわからなくなって急に現実的な話題をふってしまった。
彼女はまだ私を見つめていたが息を吐き、力強く握った拳を開いた。
「明日から数日間は野営し、その後レノックスという巡礼地に立ち寄ります。この町の教会に泊まった後、聖団の勢力圏を出てプエルトゥムに向かいます。」
「いよいよ巡礼者の道から外れるのですね」
「はい、レノックスより南下を始めるとアビスとの遭遇率が高まります。また信仰の無い土地では私の術式の威力が低下します。なのでこれまで以上に気を引き締めていきましょう」
「わかりました」
「では明日以降に備えて休みましょう」
そう言って彼女は焚き火の始末を始めた。
焚き火が完全に消え辺りが再び深い闇に包まれると、彼女は立ち上がった。
そのまま私が用意した寝床に寝転がる。
暗い森の中に流れる水の音と二人の息遣いだけが聞こえる。
私はすぐに寝付ける気がしなかったが体は疲れているようだ。
目を閉じるとすぐに眠気がやって来た。
安心して眠れるのは明日が最後だ。
今のうちゆっくりと休んでおこう。
そう心で呟くと同時に私は眠りに落ちた。
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