第4章 「信仰の論証(ロゴス・ピスティス)」 1話
人通りが比較的多い街道。
今日は雲が多くてなかなか日は差さないが、幸いにも雨は降らなさそうだった。
しかしその空模様と同じように私の内面は重たいものだった。
旅の道具が一式入った鞄を背負っているせいだろうか?
足取りがいつもよりも重く感じる。
私は独り旅には慣れているが誰かと旅をするというのはなんとなく居心地が悪い。
ましてや女性と、しかも聖団の助祭と旅をするとなれば歩幅を合わせるのが難しい。
いや実際の歩く速度は問題ではない。
心と頭の歩幅が違うのだ。
私は横目で左隣をこっそりと見た。
私の隣を歩くルミナ・アークトゥルス助祭は姿勢がよく、真っ直ぐ前を向いて歩く。
作戦用に支給されたフード付きの黒いローブのボタンを留めて綺麗に着こなしている。
対照的に、私も姿勢はいい方だが目線を少し落とす癖がある。
作戦用のローブは羽織るだけでボタンは留めていなかった。
作戦会議でのこともあり私は一歩一歩に気まずさを感じている。
アンフィニを出てから私達に聞こえるのは足元の土と靴底が擦れる音だけだった。
アークトゥルス助祭は今何を考えているのだろう?
私は彼女のことを何も知らない。
しかしいきなり個人的な内容の質問をするのはどうなのか?
彼女の反応が予測できないので声をかけることを躊躇ってしまう。
などということを考えていたらもう随分とアンフィニから離れてしまった。
これ以上の沈黙には耐えられないと思い、私は巡礼者の道について聴くことにした。
「アークトゥルス助祭」
「はい、なんでしょう?」
「巡礼者の道について聞きたいのですが、信仰が根付くとはどういうことですか?」
シンプルな疑問をぶつけた。
ただ場所や土地に力が宿るということがいまいちイメージできない。
アークトゥルス助祭は一度こちらを見てすぐに視線を戻した。
「巡礼者の道とは聖団の信者が遠方に向かう際に歩くべきとされている道です」
「それは信仰上の規則として定められているということですか?」
「いえ、違います。信仰上の規則ではなく安全性の観点から定められています」
「聖団が安全だと判断した道を信者に教えているわけですね」
「概ねその通りです。しかしそれ以上に重要なことがあります」
そこで彼女はもう一度私を見た。
「聖団の術式は信仰心があってこその術式です。しかし術式はなくてもよいのです」
私は上手く解釈ができなかった。
術式を使う上で信仰心が必須なのはわかる。
イメージで言うと術式がランプで信仰心が油なのだ。
しかし術式はなくてもよいというのはどういうことだろう?
信仰心を持っていてもそれを出力する術式がなければ意味がないように感じる。
「信仰心とは『未来を生きる意志』です。その希望の意志が絶望を遠ざけます」
言いたいことはなんとなくわかるが、輪郭がぼやけているように感じる。
「信仰が根付くというのは多くの人が希望を願うことにより絶望を遠ざけている状態のことです」
「意志が集まれば術式が無くともアビスを遠ざけられるということですか?」
「はい、巡礼者の道が安全なのは多くの信者が希望を願いながら歩いているからです。なのでアビスとの遭遇率も低く、安全に旅をすることができるのです」
確かにアビスは絶望がなければ発生しない。
この巡礼者の道というのは信者達が希望を願いながら歩くこと、絶望の累積をさせないことで安全性を確保しているのか。
これは同じ道を何度も希望を願いながら歩く必要性がある。
だから聖団は巡礼者の道として信者が同じ道を通るように規定し、それを維持することにより安全性を確保しているのか。
「聖団は希望の累積によりアビスを遠ざけているのですね」
「そうです。なので強い意志が必要なのです」
彼女のことが少しわかった気がする。
なぜこんなにも気丈なのか。
なぜこんなにも真っ直ぐなのか。
それはきっと自分のためではないのだろう。
作戦会議での彼女の問い掛けを思い返せばよくわかる。
私にどうやって他人を守るか聞いた時、彼女の本質は既に顔を出していたのだ。
きっと彼女は誰かを守るために、救うために願っているのだろう。
彼女がなぜそう思い、どんな経験をしてきて、どんな未来を目指しているのかはわからない。
彼女はいつも表情を崩さない。
何を考えているのかわからない。
しかし表面に現れているガラスのように硬く、透明な質感は彼女の本質ではないのかもしれない。
きっと彼女の内面は優しく、温かいものなのだろう。
私にはそれがとても美しいことに感じられた。
その生き方はきっと辛く、苦しいはずなのだけれど、それ以上に絶望から目を逸らせない彼女の痛い程の誠実さが美しいと思った。
幸福も不幸も真っ直ぐ見つめる瞳が綺麗だと思った。
彼女が真っ直ぐと何かを見つめる横顔が美しいと思った。
「もし希望の累積でアビスが発生しないならば、それはアビスの根本的な対抗策になるかもしれませんね」
「いえ、それは無理でしょう」
「なぜです?」
「どれだけ希望を願おうとも絶望はすぐそこにあります。今日大切な家族、友人、恋人を失くした人に希望を持てというのは酷でしょう」
彼女の言葉は、私の安易な感傷を断ち切った。
やはり私と彼女では見ている世界が違いすぎる。
作戦会議の時もそうだった。
私の見ている世界は論理に支配されている。
けれど彼女の世界は正しさだけではない。
そこに人間的な温かみがあるのだ。
作戦会議の時、その隔たりが私を苛つかせ、動揺を誘い、心の泥を舞い上げていた。
しかし今は違う。
彼女を少し知ってからその人間味が私に思考を促している。
まるで堰を切って水が流れ出すように。
彼女の言葉が私の思考を加速させる。
「絶望は無くなりません。けれど絶望している人に寄り添うことはできます。ただ打ちのめされるだけでは死んでいるのと同じです」
「誰かを殺してしまわないように、絶望に飲まれてしまわないように、その絶望を受け止めるのですね」
「はい、私だけが希望を願っても意味がないのです。『未来を生きる意志』は皆が持って初めて意味を成すのです。そのためなら私は皆の絶望を受け止めます」
「それはいつかあなたを殺してしまいませんか?」
その瞬間アークトゥルス助祭はまた私を見た。
しかし今度は目を離すことなく私を見つめる。
少し驚いたような、困惑した表情をしている
私にはその表情の意味がわからなかった。
彼女も何を言おうか困っているようだった。
だが彼女はアンフィニを発ってから初めて、少しだけ表情を緩めた。
「それはあなたも同じでしょう?」
そういって彼女はまた目を逸らしてしまったけれど、その横顔がほんの少し笑っているように見えた。
「そうかもしれません」
アルモニコ司教が言った言葉を思い出す。
『我々は同じ目的地を目指し、違う道のりにいる。しかし目的地を目指す意志は同じ出発地から来ている』
正にそのとおりだ。
私もアークトゥルス助祭も同じ所から始まり、同じ場所を目指している。
ただその道のりが違うだけなのだ。
だから私はもっと彼女を知りたい。
私に見えない世界を見てみたいのだ。
ほんの少し話しただけだったが私の気まずさは消えていた。
彼女のことが少しだけわかったような気がしたから。
この先彼女は私に何を教えてくれるのだろうか?
そして私は何を返せるのだろうか?
その答えは知りようがないけれど、私は一つ胸の中で誓いを立てた。
『必ずアンフィニに彼女を生きて帰らせること』
私はそっとローブのボタンを留めた。
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