第2章 「異端の探求(ヘレシー・クエスト)」 6話
アルモニコ司教が苦しそうな表情で言った謝らなければいけないこととはなんだろう?
赤い夕焼けが余計辛そうな表情に見せていた。
「シグルドがアビスの概念的討伐を目指したのと同じように、きっと君もアビスや論理回路、信仰心といったものがなんなのか知りたいのだろう」
一呼吸置き司教が続ける。
「しかし今それらに関するゼノン・プロクルスの著書は書庫にはないのだよ」
私は思考がまとまらなくなっていた。
なぜわかっていてそれを最初から言わなかったのか?
なぜそれらに関する著書だけが存在していないのか?
そもそもなぜゼノン・プロクルスの著書は秘匿されているのか?
考えることが多すぎてどれから手をつけていいかわからなかった。
「本当に申し訳ないと思っている。そして重ね重ね恥を承知でお願いしたいことがある」
アルモニコ司教は目を伏せながら息を吐いた。
「実は君の探すゼノン・プロクルスの著書は数年前に離教した司祭が町から抜け出す時に一緒に持ち去ってしまった。それには君の望む内容が書いてあるだろう。だからそれを取り返すのに手を貸してくれないだろうか?」
情報が多すぎる。
完全に混乱していたが、まだ可能性があることだけは認識していた。
「その司祭はどこにいますか?見つけることは可能ですか?」
アルモニコ司教は私の問いかけに一瞬驚いた表情をしたが続けた。
「おそらく君がここに来るまでの間に通ったであろう、聖団も研究所も勢力圏ではない場所。おおよその場所はわかっている」
「ではそこに行き、司祭から取り戻せばいいのですね?」
「それは手を貸してもらえるということかい?」
「もちろんです。私は知るためであればなんでもします。それに…」
「それに?」
私は何を喋ればいいか頭の中でまとまりきらなかったので喋りながら考えた。
「貴方は私が城壁付近でアビスと戦闘していた時、私が被害の最小化を目指して戦っていたのを見抜きました。それは私の意図を読み、街を守る意思を感じる正義感があったからだと思います。だから私は貴方の正義感を信じてその依頼を引き受けます。」
何となく思い付いたままのことを喋りながら思った。
優しさと誰かのためなら弱くなれる強さを持っている。
けして偽りの強さではない芯から溢れる強さをアルモニコ司教は持っている。
それを感じ取れないほど鈍感ではない。
この人はきっと私を見定めているし、街を守ることを大前提として考えている。
しかしそこにあるのは保身よりも自分の信念に従うという正しさを貫く姿勢に見える。
それは絶望に屈するのではなく希望を目指そうという意志そのものだ。
「やはり謝らなければならない。嘘を吐いたこと。貴方のことを見誤っていたこと。」
「気にしません。貴方は少なくとも希望に向かおうとしているから」
確かにこの人は嘘を吐いている。もしかしたらまだ何かを隠しているかもしれない。
けれど私にわざわざ重要な書籍を見せ、部屋まで貸し出しているのだ。
十分な誠意を見せてもらった。
その上で成し遂げたいことがあるのだろう。
「ありがとう。確かに希望へ向かおうとしています。だからもう一つだけ確認させてください」
「私が答えを持っている範囲ならなんでも聞いてください」
「貴方は覆らない絶望が目の前にあっても生きていくことができますか?」
その問いは今までの形式的な会話ではなくアルモニコ司教の核心に触れるような問いだった。
私はその答えを探したがすぐには見つからなくて口をつぐんでしまう。
アルモニコ司教はまた真っ直ぐこちらの瞳を見ていた。
「今のところ覆らない絶望を見たことがありません。大体がまだ検証中です。しかしもし覆らない絶望を目にしても私は死にません。可能性をわざわざ0%にするつもりはありません。限りなく0%に近くてもほんの少しの希望を頼りに生きていきます」
それを聞いてアルモニコ司教は何かを決意したように頷いた。
「ありがとう、カイン・アリスト。君の強さを私も信じよう」
そう言ってアルモニコ司教は扉の方を向き声をかけた。
「入ってくれ」
その言葉と共に扉が開く。
そこには長く柔らかな金髪を聖職者としての純粋さを保つようにまとめ、澄んだ青色で揺らぎのない瞳を持つ、華奢だが優雅な印象のある女性が立っていた。
「彼女はルミナ・アークトゥルス。若いが聖職位は助祭で私と同じ術式が使える」
私と同じくらいか少し若いだろうか?
聖団の聖職位の規定はわからないけど、助祭ということは一番下位の聖職位だが一般的な修道士とは違うということだ。
それにあの光の矢の術式を使えるということはアビスに有効な戦闘能力を持っているということだ。
ひょっとしたら聖職位には戦闘能力の有無や実績等も考慮されているのだろうか?
「カイン・アリストといいます」
私は何を喋っていいかわからなくて名前だけを伝えた。
「紹介にあずかりました、助祭のルミナ・アークトゥルスです。これからのゼノン・プロクルスの著書奪還のガイド役兼戦闘補助をさせていただきます。よろしくお願いいたします」
見た目どおりの真面目で静かな喋り口調だったが、けっして融通の効かない真面目さではなく、確固たる信念を感じさせる真面目さだ。
「カイン君。これからアークトゥルス助祭と共にゼノン・プロクルスの著書を奪還してほしい。それにあたって一度作戦の立案をしたい。まあ実際は現地での君らの判断に大部分を任せてしまうことになるかもしれないが、大枠の方針や聖団内にある情報を共有しておきたい」
「わかりました。ひとまず離教した司祭の見た目と術式の特徴。それから拠点にしている位置とそこまでの最適な経路の把握をしたいですね」
「さすがだ。戦闘における重要なポイントを押さえている。しかしもう日が沈んだことだし一度休んで落ち着いた後、明日改めて会議するのはどうだろう?君も頭を使いっぱなしで疲れているだろう」
そういえばこの3日間ろくに休憩をしていなかった。
自覚した途端に急激な眠気と強烈な食欲を自覚する。
「そうですね。急ぎすぎているかもしれません」
「休養も大事な戦略だ。それでは明日改めて作戦立案をしよう。またこの部屋に集まってくれ」
「わかりました」
「よしそれでは今日はゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます」
アルモニコ司教はアークトゥルス助祭をつれて部屋を出ていった。
立ち止まっては走って。
それを繰り返しているようで途方もなく感じる。
しかし少しずつ進んでいるのだ。
その実感が私をまた走らせる。
窓の外を見ると既に星がいくつか見えており太陽はもう沈みきっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます