第1章 「論理の訣別(アポスタシス)」 2話
「カイン・アリスト。戦闘報告に参りました。」
部屋全体に聞こえるように、しかし平静を保つように声を張り上げるようなことはせず、事務的な挨拶をする。
全員の視線がこちらに集まる。そのほとんどが冷たく鋭かった。
部屋の中には長い会議用のテーブルとそこに汚れのない白衣や制服を着た研究員達が座っていた。
その顔ぶれは私の術式に肯定的ではない研究員がほとんどだったが、私の兄弟子と呼べるような研究員も座っていた。
やや沈黙があった後メガネをかけた白髪が印象的な白衣の議長が口を開いた。
「そちらに座りたまえ。当事者が来たので報告を受けよう。アリスト研究員戦闘報告を」
彼はヘイゼン・ヴァリウス。
鋭い眼光と綺麗に整えられた髭を蓄えた口角の下がった口元、もう50半ばほどだろうがその年齢に釣り合わない体格のよさが威圧的な印象を与える。
ヘイゼン・ヴァリウスは私の上官であり、恩師シグルド・クライヴの同輩の男である。
どちらも一貫性のある合理的な印象を与えるが、ヘイゼンはより厳格な印象を、シグルドはより誠実な印象を与える。
同時代を共に歩んだにもかかわらず、二人の論理はまるで水と油のように混ざり合わなかった。
その冷たさが、今、この部屋の隅々まで染み渡っている。
私は一つだけ空いていた席にゆっくりと座り、覚悟を決めて口を開いた。
「戦闘報告を行います」
アビスとの戦闘報告には定型があり、同じ流れで淡々と報告される。
どんなアビスだったのか、物理的な強度や能力の詳細、推察される元になった絶望に関する見解。
そしてその結論に達するまでの論理的な推論を述べ、その推論を元に採用した戦闘プランと実際の戦闘の流れ。
その後何が決定的な要因になり倒したのかを時系列順に報告する。
この流れで作戦立案の時点での仮説や推論がどの程度機能していたかが審議される。
また今回は作戦立案後の戦闘ではなく突発的な遭遇により発生した戦闘であるので、その場での戦闘開始が合理的だったかが要点となる。
ちなみにこの突発的な遭遇は一定の要件を満たしており、研究所が認定した戦闘資格を有していればその場での戦闘判断を許可なく判断出来る。
私は戦闘資格を有しているし、今回は市街地のすぐそこでの遭遇だったのでこちらは問題ないはずだ。
「対象のアビスは視認ができず、存在を否定された絶望により生まれた特異な性質を持ったアビスだったと思われます。対象のアビスは視認ができないという特性とあわせて、触れた部分が瞬間的に消失するという攻撃を持っていました」
「なるほど。視認はできないが実際の被害は出ていたということか」
「はい。私が到着した時には既に建物の損傷と遺体が何体かありすぐに防御術式を展開しました。その後アビスの攻撃を受けながらアビスの視認できない特性、物質を消滅させるといった特徴から中級相当のアビスと判断しました」
「その戦闘は突発的な上、情報量が少なすぎるので一度支援を要請し待機するべきではなかった?」
ヴァリウス議長が指摘した。
「アビスは視認できず、被害だけが拡大していたので支援要請は被害が甚大になると考え、単独での討伐に注力するべきだと考えました」
「確かに被害最小化においてその判断は間違っていないが、視認できないアビスともなれば中級アビスの中でも特に異質であり、何より中級アビスとの戦闘の基本は作戦立案後に組織的に戦闘するのが定石ではないか?」
私は一瞬言葉を詰まらせてしまった。
それは至極全うな指摘だった。
中級アビスとの戦闘は既に経験があるがそれはどれも作戦立案後に組織的な戦闘により対応していた。
なぜならば研究所の論理回路による術式はその性質上防御的であり、どちらかというと防御や拘束等の静的な性質が強い。
しかしこれでは消滅させることができないので、防御により時間的な猶予を作り、その猶予を生かし大人数で拘束し、アビスの状態を限定した上で高火力の物理的干渉を集中して討伐するのが一般的だからである。
しかし私は今回一人で戦闘を開始した。
そう私の術式があったからである。
「いえ、作戦立案や支援を待つ時間があればアビスは甚大な被害を出したと考えます。また私の術式があれば単独での中級アビス撃破が可能だと考えました」
その言葉を聞いてより一層部屋の雰囲気が重たく、刺々しいものになる。
その時の空気感で初めて私は気が付いた。
ああ、そうか。
これは最初からゴールの設定されている議論だ。
私は最初から敷かれたレールを歩かされていることに気が付いた。
表面上は特異な中級アビスとの戦闘報告で、その場での即戦闘開始を選択した状況判断や、一般市民が被った被害が避けられないものだったのか、そういったことに正当性や合理性があったのかが問われている。
しかし実際はそれらがこの審議会の最も重要なポイントではない。
なぜなら私が被害の最小化をするために最も合理的な手段としてアポリアを使うことは明白だからだ。
特異なアビスに対して大勢の研究員を待つ猶予もなく、正攻法で戦うにはあまりにも情報量が少ない状況で私の選択できる行動は一つしかない。
そしてその最善の一手を選んだがために私は今喉元に牙を向けられている。
動揺する私をメガネの奥から鋭くヴァリウス議長が見つめていた。
「アリスト研究員。君の戦術的判断は状況を見れば合理的とも考えられる。しかし君は研究所の理念に反している」
そこでヴァリウス議長は一度言葉を区切り一呼吸置いた。
それに私が言葉を詰まらせるのを見て、周囲の研究員達の目が微かに緩むのを感じた。
それは私への憐憫ではなく、自分たちの信じる「論理的純粋性」が守られたことへの安堵だ。
彼らにとって、私の失敗は、組織の正当性を証明する論理的な証拠なのだ。
「君が使用した術式、アポリアについて。アポリアは我々研究所の理念である論理的純粋性の探求や、論理回路を用いたアビスを討伐するという理念を根幹から揺るがしている。それについてどう考えている?」
論理的純粋性とは論理は整合性がとれており合理的であるべきで、感情や非合理的な要素を持ち込めば論理回路が破綻するという考え方である。
そして論理により一般化された術式は安定的で誰でも扱いやすいため、それを用いて誰でも絶望に対抗できるようにしようというのが研究所の理念である。
しかし私の術式アポリアは全く別の性質を持っている。
特に問題なのがアビスが持っている絶望をそのまま知覚し、自分の意識に流入させるという極めて非合理的で危険度の高い、研究所の理念と正反対の性質を持っていることだ。
私は口を開きかけた。
安定した論理は一時的な防御でしかなく、いつか訪れる絶対的な絶望の前で必ず崩壊する。
アポリアはその崩壊を防ぐため、真理に近づくための唯一の手段だと訴えようとした。
だが、私の目の前に並んだ冷たい視線が、その言葉を喉の奥に押し戻す。
彼らにとって、私の論理は既に「破綻」した危険思想なのだ。
この組織の一貫性と安定を脅かすかもしれない議題の核心に迫るべく、ヴァリウス議長がより重たく冷たい言葉で言う。
「君は研究所の在り方自体を否定しているんだよ」
もしかしたらアポリアという術式を作り上げた時、既に私の道は閉ざされていたのかもしれない。
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