北急電鉄ストーリーズ
米田淳一
第0話 機関士と新罐
関東西部を走る大手私鉄・北急電鉄。
その相模大川機関区詰所は、その日の甲種輸送の話でもちきりだった。
「新釜、EHは途中千葉市川を経由してきて、いつものように御殿場線戸田とうちの新戸田を結ぶ短絡線を経由してくる」
「その間の牽引機は」
「カシ釜だ。ハンドルは梅沢が握る」
「梅沢さんですか」
若き機関士・来嶋は声をあげる。
「何いってるの。まあ梅沢さんはちょっと気難しいところもあるけれど、あの人の仕業は随一だわ。お召運転の指定機関士でもあるし。あなたも梅沢さんから学 ぶところは多いわよ」
来嶋の指導機関士である神村が咎める。神村は女性機関士である。この機関区では中堅よりちょっとベテランのほうの機関士だ。
「それはわかっているんですけど」
相模大川基地は大川電車区・米田重工大川工場とともに大川機関区が同居している。
「来た!」
来嶋は機関区の手すきの者の並ぶ甲種列車見物の中で声を上げた。
「え、あっちへ?」
甲種列車は構内を機関区から別の方向へ外れて行く。
「EHは重工さんで改装する。だからこっちにはすぐこないわ。それと17日はあなたの勤務変更、よねでん線の派出所の泊まりに決まったから」
「え、その日、EHの試運転の日じゃないですか。試運転の湘南島線から外されるなんて」
「さあね。あなた、この前ハイフン(EF-Y500)のBCE仕業で『ゴッツン』やったでしょ。アブソーバーでたいしたことはなかったんだけど、テレメトリーでばれてるわよ」
「じゃあ、自分、BCE運転士から外されるんですか」
「さあね」
神村は冗談めかしたが、来嶋は落胆してしまった。
泊まり勤務のため、北急本線から宮ヶ瀬湯本へ同乗し、そして小倉嵐山派出所にさらによねでん線の小型車への同乗で向かう。
「あれ、神村さん? なんでここへ?」
来嶋はよねでん線小倉志井派出所の詰所で、彼女の姿を見て口にした。
「いやね、あれからあともさらにいろいろ乗務の変更があって」
「乗務割に変更が書いてあったんですけど、なんでですか。神村さん本線の仕事じゃないですか?」
「まあ、これは偉い人達が判断した結果らしいわ」
その晩、みなが食事当番の作ったハンバーグを食べて、「夜の業務研修」という名の泊まり勤務の駄弁りが始まる頃だった。
「到着報告します」
梅沢の大きく明瞭な声が聞こえた。
「回9908列車、小倉志井到着しました」
「ご苦労」
助役との受け答えは、機関士としての鑑のように無駄もよどみもない。
そのとき、梅沢が振り返った。
「来嶋、お前にプレゼントを連れてきた。表を見てみな」
そこにいたのは、EF-Y500と、新釜EH510だった。
「一応よねでん線にも釜は入れるからな。地方線とはいえ、釜の軸重には耐えられる」
「でも今日の試運転は湘南島線のはずじゃ」
「湘南島線は新釜めあての人間ですごいことになっているらしくて、臨時に疎開しての試運転だ」
梅沢の声に、来嶋は変化を感じていたが、それ以上に現場で鉄拳制裁があったころに若き日々を過ごした梅沢に、すっかり気後れしていた。
「まあいい」
そういったあと、梅沢は思いもかけないことを口にした。
「EHの新しいキャブに乗ってみろ」
「えっ、いいんですか」
「ああ」
来嶋はEHのキャブに登った。
「すごい! 運転士シートにまだビニールが掛かっている!」
梅沢はふうと鼻を鳴らすと、言った。
「そのビニール、お前がとるんだ」
「えっ」
来嶋は口を半開きにして声を漏らした。
「お前にとらせたかったんだ」
梅沢は微笑んだ。
いつも、それも乗務の時は特に険しい顔の彼が見せないできた、とても柔和な顔だった。
「これからはお前のような機関士が主役になる。このEHと一緒に、お前も育っていけよ」
そこで来嶋はようやく気づいた。
「まさか、梅沢さんも」
「ああ。EFハイフンは、俺が同じように、カバーを取った」
来嶋はうなりそうになった。
「20年前、まだ俺が、バカでヘタクソでそのくせ思い上がっていた、まるでお前のようなときだった」
梅沢は笑った。
「次の伝統を、お前が作っていくんだぞ」
二人は、頷いた。
「次の20年、お前に託すからな」
来嶋は、その重みを受け止め、敬礼で答えた。
その掲げた手の手袋が、燐光のように月明かりで輝いていた。(了)
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