第6話 機関士の本分6

「北急指令より、状況を許可する」

「対象者を移乗させる。ドア非常扱い開始」

 中西は、白手袋のなかに汗をかいているのを感じた。

 しかし、来嶋は頷いて、ワンマスを操作する反対の手で、サムアップ、親指を立てて答えた。

 駅員たちがホームに出て、この奇跡の並走に歓声を上げる。

 その前を2本の列車が通過する。

 プラスマイナス2センチの奇跡だった。

 途中、制限速度区間もある。

 だが、加減速性能曲線が違うはずのEHと 600号は、驚くべきシンクロを見せる。

「北急指令! 移乗完了! 対象者は回送列車に収容した!」

 歓声が上がった。

「北急指令、状況終了を確認した。同期運転を終了してよし」

 しかし、来嶋はなおも同期させ続ける。

 もうわかった! 終わりにしよう!

 しかし、原街田を過ぎるまで同期は続いた。

 そして、その通過後、来嶋の列車は減速して、600号を運転する中西の後ろに下がっていった。

 本厚戯駅ホームには、異様なほどの人々がホームに集まっていた。

 その停止位置に、中西はぴたりとBCEを停車させた。

 なんなんだ! ちくしょう!

 中西は運転台灯をつけ、息を吐いた。

 そして新戸田でJR東海の機関士に運転を交代した。

「ご苦労様です」

 しかし、中西は割り切れない思いとフラストレーションで、言葉に詰まった。

 だが、中西が運転所に戻ると、皆が拍手で迎えた。

 そのなかに、来嶋もいた。

「これでいいのか?」

 中西は割り切れない思いをぶつけたが、来嶋は頷くだけだった。

 来嶋が口を開いた。

「昔、電車運転士になったばかりの頃を思い出した。

 思い通りに動かすことよりも、後ろにいるお客さんの事の方がずっと気がかりで、いつも胃を痛めていた。

 でも中西、お前がいるおかげで、それを和らげることができた。

 機関車の操作系の簡略化は、仕方のない時代の流れだ。

 でも、機関士は、操作系がどうあろうと、機関士だ。

 大体そうじゃないか。今は電機だが、昔は蒸気機関を相手にしていた。

 そこから変わるとき、多くの先輩たちが、割り切れなく思っただろう。

 でも、曲芸めいた技芸を競うことが機関士ではない。

 安全は輸送の第一の使命だ。

 その安全のために、操作は簡略化されるべきだし、我々機関士はそれを一番に考えるべきだ。

 それを理解し、プライドを超えて一致団結する、それが機関士の本分だと思う。

 それができたから、今回の同期並走ができたんだ。

 中西、お前が相手だから、俺も先が読めて、ワンマスでも制御しきれた。

 どんなに技術が進んでも、運転は人の仕事だ」

 その言葉を噛みしめる中西の背を、来嶋は叩いて笑った。

 梅沢が口を開いた。

「政治のことはどうなるかわからない。

 相模大川から証人は無事東京地検に引渡した。

 この国は簡単ではない。さまざまな思いの人々が、様々に引っ張り合う。

 どの国でもそうだが、今の日本はとくに異常な状態がつづいている。

 その異常な状態でも、これだけ多くのさまざまな運転をする人々が、日々の平穏を守っている。

 未来は、あの塔が崩れた時から、あいかわらず見えない。

 でも、未来は着実にやってくる。

 それを導くのは、偉いとされる人々だけじゃない。

 ひとりひとり、日々」

 梅沢はそういうと、自分の胸に拳を当てた。

「心をもって生きている、人間全てなんだ。

 忘れるなよ。機関士は罐を信じ、罐と対話しながら進む。

 その操作が弁装置になろうとも、ワンマスになろうとも、本質は同じだ」

 中西は頷いた。

「で、あの大川工場に入った回送列車、あれ、なんですか?

 展望車があったり、食堂車があったりして」

「ああ、それは食事のあとに話そう」

 樋田社長が答えた。

「近鉄もJR九州も検討を始めた新型クルーズトレインだが、ようやく北急もBCEの後継車両、ブラウンコーストnextの計画がほぼきまってな。名称はブラウンコーストnextではない。もっと画期的だ。

 それもあってEHをワンマス化したのもある。あれには技研側から導入した新しいブレーキシステムもあってな。

 まず飲みと食いが足りない。食いながら話そう」

 食堂へ皆を連れた樋田社長は満足げに微笑んでいた。

「ブラウンコーストの次に計画している列車は……」


 北急相模大川運転所。

 乗務員や検車係、そして工場の皆が働くその詰所を、夕方で傾いたとはいえ、季節のためにまだ高い陽の光が、美しく照らしていた。

(了)

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北急電鉄ストーリーズ 米田淳一 @yoneden

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