「地味すぎる」と暗殺ギルドをクビになった俺。夢だった喫茶店を開いたら、謎の銀髪美青年に毎日通われ口説かれ、気づけば彼の正体である王子様に溺愛されていました
藤宮かすみ
第1話「影の薄い喫茶店主」
カラン、とドアベルが乾いた音を立てる。
振り返る者は誰もいない。客は俺一人。いや、俺はここの店主だった。
カウンターの内側で磨き上げたばかりのカップを棚に並べながら、つい癖で自分の気配を消してしまう。前世から続くこの体質には我ながら呆れるしかない。
茅野蓮。それが俺の前の世界の名前だ。日本の片隅で図書館司書として静かに生きていた。本に囲まれた穏やかな日々は嫌いじゃなかったが、人並み外れて存在感が薄いせいで同僚にすら気づかれず一日が終わることもざらだった。
そしてある日、呆気なく事故で死んだ俺はなぜか剣と魔法のファンタジー世界に転生していた。
こちらの世界でも「レン」と名乗る俺の体質は変わらなかった。むしろ気配を完全に消し去るユニークスキル【朧(おぼろ)】として昇華されていた。
その地味すぎるスキルに目をつけたのが王都の裏社会を牛耳る暗殺ギルド「黒曜の牙」だった。俺は拾われ育てられ、気づけばギルドで一番の暗殺者になっていた。
【朧】を使えばどんな厳重な警備も無いも同然。ターゲットの寝室に忍び込み誰にも気づかれずに任務を完了させる。そんな仕事ばかりをもう十年近く続けてきた。
――そう、一週間前にクビを宣告されるまでは。
「レン、お前は今日限りでクビだ」
ギルドマスターのヴォルフは椅子にふんぞり返ったまま面倒くさそうに言い放った。
「理由は分かるな? お前には華がない。地味すぎてギルドの看板に傷がつくんだよ。これからの時代はもっと派手で見栄えのする暗殺者が求められてるんだ」
あまりに理不尽な物言いに言葉を失った。確かに俺のやり方は地味だ。後処理も簡単で誰にも気づかれずに終わるから武勇伝の類とは無縁だった。だが成功率はずっとギルドのトップだったはずだ。
しかしもともと自己評価が低い俺に反論する気力は湧いてこなかった。裏稼業の息苦しさにどこかで疲れていたのかもしれない。
「……分かりました」
俺が静かにうなずくとヴォルフは満足げに鼻を鳴らし、金貨の入った袋を投げてよこした。
「退職金代わりだ。さっさと消えろ」
そうして俺はあっさりと暗殺稼業から足を洗った。握りしめた金貨は俺がギルドに尽くした十年間の対価としてはあまりに少なかったが、新しい人生を始めるには十分だった。
俺には密かな夢があったのだ。
それは前世の知識を活かして心安らぐ喫茶店を営むこと。
王都の少し外れにある人通りの少ない裏路地。俺は運良く見つけた空き店舗を借りなけなしの金で改装し、小さな喫茶店「木漏れ日」を開いた。
壁には古びた本棚を設え、前世で好きだった小説や詩集を並べる。テーブルと椅子は温かみのある木製のものを選んだ。そして何よりこだわったのはコーヒー豆だ。
この世界にもコーヒーに似た豆は存在する。いくつかの種類を試しブレンドを重ね、ようやく納得のいく味にたどり着いた。
ゴリゴリと豆を挽く音。ふわりと立ち上る香ばしい匂い。細く静かに湯を注げば粉が呼吸するように膨らむ。ぽたりぽたりとサーバーに落ちる黒い雫はまるで宝石のようだ。
客の邪魔にならないようにと【朧】を無意識に発動させ静かに給仕する。そんな毎日が俺には何よりの贅沢に思えた。血の匂いも悲鳴もここにはない。あるのはコーヒーの香りとページをめくる穏やかな音だけ。
「やっと、手に入れたんだ……俺の居場所を」
誰に聞かせるでもなくつぶやき、カウンターをきれいに拭き上げる。午後の柔らかな日差しが窓から差し込み床に明るい模様を描いていた。
きっとこのまま誰にも気づかれずひっそりと。この店のマスターとして静かに生きていくのだろう。そう思っていた。
カラン、と。
その日初めて客の来店を告げるベルの音がやけにクリアに店内に響いた。
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