俳句と散文「瀬戸内の秋」
よひら
瀬戸内は清盛公の秋の夢
えーと、今日は平安時代の内海交通について、えーと、、、
日本史の授業は、なぜか午後1にある、だからいつも眠い、、、
えーと、平清盛は福原京という都を建設し、、、
しかし、、、一ノ谷の合戦で敗れた平家軍は、、、
先生の声がだんだんいい感じで眠りを誘う
「海はいいのう!都とちごうて面倒くさくないわ、どこまでも世界とつながっておるわ!」
はっ、として声の方を見ると、
そこには凛々しい若武者の姿が浜辺に寝そべって
瀬戸内海を観ながら大きな声で独り言を発している
なぜか私にはその若武者が、後に平清盛公とよはれることを知っている
うん?ここは?
この景色は、、、前が海、なんとなくあれは淡路島ではないか、
ということはこの海は潮の流れの早い明石海峡、
背後は急な斜面だ
まさか、、、ここは、、、
ここは、神戸、いや、当時の福原だ
東から源氏の軍に押し出された平家軍は都を捨てて西へ西へと退却し、最後は平清盛公の築いた福原の都に陣をしいた。神戸は六甲山から須磨浦に連なる山の後背地を持つため、北側の山を背にして東から押し寄せる源氏を迎え撃つことは効率的な反撃と考えらた。
しかし、この戦略は、敵方の軍事の天才、源義経による、常人では考えられない(とんでもない)戦術により覆されてしまう。
義経は平家軍に悟られないように六甲山の裏側を迅速に西に進み、平家軍のいる福原を追い越すと、急峻な山を乗り越えて(「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」といわれる)、福原の西側に怒涛のごとく降りてきたのだ。
そもそも平家軍は、前方(東)からの源氏軍相手に戦っていたのに、気がつくと背後(西)からも山を越えて敵が押し寄せて来たのだ。これにより平家軍は東西から源氏軍に挟み撃ちされてしまい、壊滅的な打撃を被ってしまう。これが後世にいう「一の谷の合戦」だ。
清盛さん!清盛さん!あ〜あ、もう!
ま、清盛さんのご存命のころは良いとしても、そのうち子孫が大変な目にあいますよ!
福原で戦うときは、一ノ谷にも気をつけてね!
清盛さんに歴史を教えなくちゃ、と、、、
いっても歴史をかえちゃうわけにはいかないし、、、
のんびりと居眠りまでしてるし!
でも、若き日の清盛公は、とっても天真爛漫な寝顔だった
青い海はあくまでものんびりと規則正しく波音をたてているし、、、平和だな、、、、
清盛さん、今頃どんな夢を見ているのだろうか、、、、
と、その瞬間、激しく肩を揺さぶられた
ナオミ起きろ!ナオミ!
隣の席のジュン君の声で目を覚ます、
と同時に日本史のタニザキ先生と視線があってしまう
あ、、、あわてて口元のよだれを拭き取りつつ、黒板の「治承・寿永の乱(源平合戦)」という字が見えたので「はい、一の谷の合戦が、源平合戦において、源氏の勝利を決定づけた戦だと思います。」
と適当に答えると、
タニザキ先生が「お!」とつぶやき、ぽかんと口をあいた
了(cont.)
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