第3話
曇り空が、今にも泣き出しそうだった。
その日は朝からすっきりしない天気で少し肌寒い風が吹いていたけれど、心は軽かった。
幼なじみのブランシュが、まあまあ似合わなくもない、と言った黒いジャケットに袖を通す。意地っ張りの彼女が口にする『まあまあ』はとても良い、という意味を持っていたから、自然と口元が緩んだ。
季節はずれの真冬のバラは、昨晩の夕食と今日の朝食を抜いても一本しか手に入らなかったけれど、花が大好きな彼女はきっと喜ぶだろう。こんなものにお金を使うなんて、ばっかじゃないの。いつもの彼女の口癖と照れた表情を想像して、無性に嬉しくなった。
街は今日もどこもかしこも真っ白で、息が詰まるほど整然としていて。黒い髪に向けられる視線はいつも通りどこかよそよそしくて。
街角で彼女を待ちながら、ネロは視界を埋め尽くす白にため息をつく。
ブランシュが隣にいるときには少しも気にならない他人の視線が、一人でいるときは妙に冷たく感じる。
この街は、優しい。
自分のような余所者にだって仕事は与えられるし、白くない自分の髪を揶揄はされても迫害はされなかった。けれど、それでも言葉の裏にある感情だとか、優しさにこめた見返りへの期待だとか、そんなものにずっと嫌悪感を抱いていた。
いつか、この街を出て行く。
そのときは、ブランシュも一緒に。
待ち人の少し気取った笑顔を思って、ネロは口元を緩めた。
自分を呼ぶ声に気付いて、顔を上げる。石畳の道の向こう側で、ブランシュが大きく手を振っている。荷馬車が通り過ぎるのを待つ彼女に手を振り返した。そのとき。
ネロの足下をすり抜けて、まだ幼い少女が道に飛び出した。白い髪が空中で踊るのが、残像となって妙にはっきりと目に映る。荷馬車を操っていた男が驚いた顔で手綱を引いて。けれど、馬車は止まらなかった。
荷馬車の前に躍り出た少女は恐怖に立ち竦み、馬の前足が宙を掻く。
誰のものかもわからない叫び声があちこちで上がった。その中に、ブランシュが自分を呼ぶ声も混じっていた。
小さな背中を精一杯押したとき、御者台の男と目が合った。馬の荒い息遣いがすぐ側で聞こえて、とっさに目を閉じる。荷台に積んだ荷物が崩れ落ちる大きな音と、嘶きを聞いたのは一瞬のことで。音は静寂に変わり、静寂はざわめきに変わり、ざわめきは呼び声に変わった。
目を開けると、道の反対側に投げ出された少女が立ち上がるのが見えた。
少女は擦りむいた腕を押さえたまま立ち上がり、怯えたような目でネロの黒髪を見た。怯えが蔑みに変わる。少女はそのまま誰かの名を呼びながら、ネロの視界から走り去った。
無事な姿に安心して、再び目を閉じる。
おい、大丈夫か?
これは、助からないかもしれないな。
誰か、病院へ…。
大勢の声が他人事のように響く。ブランシュの泣き声だけが、すぐ隣で鮮明に聞こえていた。
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