赤い靴 履いてた 女の子
レネ
☪️
女の子は赤い靴なんか履いていなかった。横浜の埠頭から船にも乗らなかった。
僕がその話を今付き合ってる彼女に話したのは、2人で中華街で昼食を食べ、そのあと山下公園で女の子の像を見た時だった。
そこには野口雨情が作詞した、有名な歌詞が4番まで刻まれていた。
彼女はその像を見た時、最初にこう言ったのだ。
「私、この異人さんに連れられて、っていうところ、なぜか小さい時、いい爺さんに、って間違えて覚えてて、なんかすごく怖かったの覚えてるな」
「はは、いい爺さんに 連れられて 行っちゃったか。確かに誘拐みたいで怖いな」
「これ、本当にあった話かしら」
「いや、モデルになった女の子はいたらしいけど、実際は歌と大分違うみたいだね。以前、この話、聞いたことがあるんだ」
そこまで言って、僕はこの話は彼女にするべきではないと思った。というのも、彼女の両親は,彼女が高校生の時、離婚していたのも理由のひとつだった。
僕は近くのベンチを指差し、
「座ろうか」
と言った。
季節は初秋の爽やかな頃で,その日はよく晴れた、気持ちのいい日だった。
背後の木立の木漏れ日が、チラチラと地面に落ちて、彼女も気分が良かったに違いない。
こんな日に暗い話をするのは野暮だ。せっかく彼女も僕も大学4年になることができて、就職先も決まったのだから、明るい話題に変えよう。そう思った。
* * *
この女の子の名前はきみちゃんと言って、静岡の、旧富士見村というところで,私生児として生まれたそうだ。
母親は種々の事情から北海道に渡り、極寒の地で農場開拓に参加することになり、そのあまりに厳しい生活環境に、きみちゃんを連れてゆくのは無理だと判断して、ちょうど養子を探していたアメリカ人宣教師の夫婦に幼いきみちゃんを託したのだそうだ。
母親は,そうしてきみちゃんが船でアメリカへ行っちゃったものと思っていた。
しかし実はそうではなく、アメリカ人宣教師は急に本国へ帰らなければならなくなったのだが、きみちゃんがちょうどその時結核を患っていたため、長旅に耐えられるはずもないと判断し、東京、麻布の孤児院に預けて帰国してしまったのだそうである。
きみちゃんは、それから何年かの闘病生活を経たのち、そこで寂しく息をひきとった。9歳だったそうである。
しかし歌では、その宣教師夫婦に連れられて、アメリカへ渡ったことになっている。母親も、そう思っていたらしい。
「何だか、悲しい話ね」
彼女はそう言った。
私はついつい、彼女にこの話をしてしまったのである。
「幸せになれたのかどうかは別にして、アメリカへ連れられて行っちゃったという歌のほうが、よっぽど幸せだわ」
「野口雨情がそういう気持ちで歌詞を作ったかどうかは知らないけど、僕はきみちゃんに、赤い靴をプレゼントしてあげたい。結核も治して、アメリカで幸せになって欲しかった」
「本当にね」
「うん。今度は外国人墓地でも行ってみる?」
「うん、いいよ」
僕らは、山下公園を出て、港の見える丘公園の方に向かって歩き出した。
了
赤い靴 履いてた 女の子 レネ @asamurakamei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
日々徒然カクヨム日記/にゃべ♪
★314 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1,076話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます