第7話 辛酉さん登場


 さくら荘の玄関口に、送迎バスやタクシーの列が見えた。中にパトカーが交じる。

 先程まで会葬者の中にいた警察署長の恵比須屋えびすやさんが、制服姿の警察官と日焼けした若い男性と三人で立ち話をしている。

 恵比須屋さんが我々を見つけて手招きする。升酒を手に持ったまま近くに行ってみた。

 恵比須屋さん、

「こちら京都からお見えになった立身シンユウさん、立身先生のお孫さんですよ。この二人は立身先生のAIドクター開発をしている、仙台の言語AI研究センターの研究員、加賀谷喜太郎さんと押切夏子さんです。

 私は、これで失礼いたします」

恵比須屋さんは、すぐにパトカーに乗り込んで、帰ってゆく。

 シンユウさん、

「お別れの会に遅れて申し訳ありません」

 喜太郎、

「京都からですか、今朝むこうを出たんですか」

 シンユウさん、

「そうです。今朝、京都発六時二十九分ののぞみに乗って、こまちに乗り換え、大曲着十二時五十一分でした」

 シンユウさんは、短髪で浅黒く、日に焼けた顔にも、首にも筋肉のついた、体脂肪率一桁台のスポーツ会系の男性だ。だいぶ年上には見えるが、独身なんだろうか。いかんいかん、夏子、変なことを考えるな。それにしても、喜太郎の体の無駄な太さに腹が立つ。

 私、

「喜太郎くん、自分だけ升酒持って失礼でしょう。さ、シンユウさん、まず中に入りましょう」

 三人で懇親会場に戻った。会場に残った会葬者は、お別れの会の実行委員を務める市役所の若手職員を含めても、もう既に三十人ほどとなっていた。

 それでも喜太郎がマイクの前に立ち、シンユウさんに挨拶を促した。

「ただ今、立身先生のお孫さん、立身シンユウさんが京都からわざわざお見えになり、こちらに到着いたしました。早速ですが、立身シンユウさん、お話をお願いいたします」


 ステージのマイクの前にシンユウさんが立つ。

「立身シンユウです。京都でウルシ職人をしています。祖父立身午未ごびのただ一人の孫です。皆様、今日は、祖父のためにこのようなお別れの会を催していただき、本当にありがとうございます。

 ええっと、何から話しまヒョカ。

 皆様、知る人ぞ知ることですケド、あれだけの秋田弁話者で秋田弁の詩を作る祖父ですが、京都生まれで、大学を卒業するまで京都から一歩も出なかった男だったんです。祖父の父、私の曽祖父は漆職人で、祖父は四条河原町駅のそばで育ったんです。

 ええっと、、、

 私も酒好きです。

 十五時三十九分大曲発のこまちで帰りますので、ここにいられるのもあと一時間ほどです。ここにイテハル方もそれほど多くありませんので、そちらのテーブルに集まって、お酒をいただきながらのお話にしまヒョ」


 シンユウさんがステージから下りてきた。私は、ダッシュで折りたたみ椅子を運び、酒樽のおいてあるテーブルのそばにシンユウさんを座らせた。もちろん隣の席には、私だ。

「喜太郎くん、一合枡二つ、大納川だいながわ阿櫻あざくらを飲み比べてもらいましょ」

 シンユウさん、どちらも一口ずつ口にして、

「いや、秋田の酒は辛口と言っても甘いですね。伏見の酒とは違います。肴なしでもクイクイ飲めそうです」

 大納川のほうが気に入ったらしく、一気に飲み干す。

「もう一杯いただけますか」

 私、

「もちろんですよ。一杯でも二杯でも」

空いた枡を喜太郎に渡した。喜太郎、働け、こっちは酔ってるんだぞ。喜太郎が柄杓で枡に酒を注ぎ、その枡を私がシンユウさんに渡す。

 喜太郎、

「なんで、バケツリレーになるのかな」

 私、

「ブツブツ言わないで。シンユウさんの話をききましょ」

 シンユウさん、

「まず、名前の話からしますね。

 タツミという名字は京都でも十二支の辰巳もしくは方位を示す一文字の巽と書く方がほとんどです。ところが、我が家のタツミは立身出世の立身です。漆職人をしていた曽祖父が、初めての赤ん坊、つまり祖父が生まれた時に、よそのタツミさんより偉そうに見えては申し訳ないと言い出して、十二支で辰巳のあとに続くうまひつじの字を並べて、祖父に午未ごびと名付けたということでした。つまり他のタツミさんより前に出るなという名前にしたんです。奥ゆかしいとも言えますが、曽祖父の変な気遣いで変な名前になったわけです。

 ちなみに変な名付け方をするのが受け継がれ、父が私に付けた名前のシンユウは、祖父の後を継げということで、うまひつじの後の、さるとりを組み合わせて申酉しんゆうなんです」

 私、

「じゃ、私の親友しんゆうにもなれるってことですね」

 キタロウ、

「分け分かんないこと言わないで下さいよ、夏子さん。そんなに酒臭い顔を、辛酉さんに近づけて」

 私がにらみ返して、

「余計なお世話よ」と小声で言ってから、振り返って辛酉さんの精悍な顔を見た。

「辛酉さん、奥様は一緒に来られなかったんですか」

 辛酉さん、

「私は、まだ一人ですが」


 なんとその瞬間に、またスイッチが入ってしまった。

 頭を白い手ぬぐいで被い、作務衣さむえを着た辛酉さんがお椀に刷毛で漆を塗っている。なぜか私が色無地の着物に割烹着を着てそばで針仕事をしている。京都の町家まちやの中だ。午未ごび辛酉しんゆう、そうだ、何としてでも私がそれを継ぐ立派な子、戌亥いぬい産まなければ、と胸の中で固く決心している。私の子宮がウズク。そうか私の満たされなかったものは、性欲ではなくて生殖欲だったんだ。


 喜太郎が私の肩をゆする。

「夏子さん、また頭、腐っちゃったの」

せっかくの夢見心地がじゃまされた。

「腐るって何よ、失礼な。かもしていたのよ、かもして」

 また辛酉さんの方に向き直り、

「話の腰を折ってすみません。続けて下さい」

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