第6章:この想いを抱きしめて
この想いを抱きしめて 1
一
「葵って、好きな男子とかいるの?」
唯香にそう言われたのは、四限が終わったあとの昼休みだった。
「唐突だなぁ」とだけ返すわたし。
「まぁ、そうなんだけどさ」と続ける唯香。「恋バナっていうか……葵のそういう話って、いままで聞いたことなかったなーと思って」
すると、ほかのお昼仲間たちも「あ、わたしもソレ思ってたー」と話に乗ってきた。「だって、葵モテるでしょ? こないだも三年の先輩に呼び出されたらしーじゃん」と続けるクラスメイト。
くぅ、余計なことをぉ〜……。
男子に呼び出されたこととか、あんまり話題にあげてほしくないのにぃ。
「で、で? どうだったの?」と唯香が言った。
「……告白、されたけど」
「きゃー!」と、とたんクラスメイトたちが騒めき出す。麻衣だけが一人、真顔でお弁当を口にしていた。
「葵、まじかー!」と唯香が言った。「それで、なんて返したの?」
「いや、ふつーに断ったけど」
「え、マジ?」
「うん。だって、よく知らない人から告白されてもって感じだし」
「『お友だちから〜』とかならなかったの?」
なんだ。
やけに食い下がるじゃん、唯香。
そんなに、わたしの色恋に興味があるのかな。
……いや、違うか。
みんな、そんなものか。
恋バナ、みんな大好きだもんね。まるで、異性と恋をするために生まれてきたんじゃないかってくらいに。それくらい、恋愛ごとに興味津々だもんね。わたしには、なんでか分からないけど。
男子に告白されるって、そこまで色めきだつほどのイベントなのかなぁ。わたしには、よく分からないや。知らない人に告白とかされても、困るだけなんだけどなぁ。告白してくれた人には悪いけど。
「んー、わたしは別に……」と返すわたし。「てか、告白の最中も胸チラチラ見られて不快だったし」
わたしがそう言うと、周囲は一気にトーンダウン。なかには、露骨に「あー……」と声をもらすクラスメイトも。
「それは……ないね」と唯香が言うと、ほかの子たちも「ないわー、それはないわー」とか「葵、どんまい」などと続いた。
「てか、そいつサイテーじゃない? いかにも『身体目当てです』って感じじゃん」と唯香が言った。
「フツー、告白してるときに見るぅ?」と他のクラスメイトも続く。中には「高校生でいられる間に、ひと夏のアバンチュールでも経験したかったんじゃない?」なんて口にする子も。
アバンチュールて。
いまどき、アバンチュールって口にする女子高生いるの? レアすぎるでしょ。色違いのピカチュウか。
ともかく、周りの空気が同情ムードになったことに一安心。あのまま質問責めにされるのは、いたたまれない感じあったからね。
ぶっちゃけ、恋バナとかどうでもいいし。ガールズトークにしても、恋愛だけはテーマ的に範囲外。なので、ご遠慮ください。
「まぁ、それもあって断ったんだけどね」
前に、本で読んだことがある。
男の人が視覚的な性刺激に反応しやすいのは、生まれながらにインストールされた脳の傾向でもあるのだそう。
豊満な胸や大きなお尻などの性的魅力が高い身体のパーツは、多くの男性の目に『繁殖値が高いメスの特徴』として映る。グラビア・アイドルのようなプロポーションを持つ女性は、男性の目には健康な子どもを産んでくれそうな『魅力的な異性』として映る。「エロい目で見ること=オスの繁殖値を最大化させる適応戦略」と理解すれば、いちおう彼らの行動にも一貫性があることが分かる。
だからこそ少なくない男性が、ついついスタイルの良い女性を目で追ってしまう。誤解と批判を恐れずに言うと、男性の多くは「女性をエロい目で見ずにはいられない」。もちろん往々にして例外はあるし、あくまで『傾向』に過ぎないけれど。
よく「男ってバカよね」なんて言われることあるけど、そこには生まれながらの生物学的な傾向が関係してる。たぶん男性たちの一部には、悪気なく異性の身体を見ちゃってる人もいると思う。だから『エロい目で見ちゃう問題』に関しては、あるていど生物学的に仕方ない部分がある。性選択の結果だからね。
まぁ……だからといって、エロい目で見られるのを許容するわけじゃないんだけど。男性心理を正当化するわけじゃないんだけどね。
自分の身体を舐めるように見られるのって、ちょー不快だし。どうでもいい人に胸をチラ見されるのって、ほんと不愉快。『好き』って気持ちは嬉しいけど、肉欲の捌け口にされるのは……ちょっと、ねぇ……。
わたしの感情のない声に続くように、眉尻を下げた唯香が「そりゃそうだよね」と同調した。
「変なヤツに当たっちゃったね、葵。きっと次は、いい人に当たるよ」
唯香の言葉に「そーだよ、そーだよ!」と賛同するクラスメイトたち。
「鈴木とか狙い目じゃない?」と唯香が言った。「結構イケメンだし、運動も勉強もできるし。ふたり、割と話合うみたいじゃん?」
唯香の言葉に続くように、クラスメイトの一人が「いまのうちにツバつけちゃいなよー!」と言った。
「将来性ありそうだし、有望株って感じじゃん?」
「分かるー! 社会人になったらバリバリ働いてそうだよねー!」
「優良企業に勤める『デキるビジネスマン』みたいなね。仕事が恋人です、みたいな」
けらけらと笑う声。いくつもの明るい声が重なる。
わたしの前で飛び交う言葉たち。会話の中心にいるのは、わたしじゃない。この場にいない鈴木が、女子たちが繰り広げる会話の主人公。
んー……。
そうじゃないんだけどなぁ。
そもそも、べつに彼氏とか欲しくないんだけど。
「あー、そうだねー……」
わたしが曖昧に返事したところで、予鈴のチャイムが鳴った。その音を合図に、各々じぶんの席に戻っていくクラスメイトたち。「次、数学かー。ヤダなー」なんて言いながら、パタパタと授業の準備を始める唯香。わたしもまた、彼女たちと同じように机の中から教科書とノートを取り出す。
恋。
恋ねぇ……。
正直、男子と付き合うとか全く想像できない。
彼氏なんかよりも、わたしは『かわいい』が欲しいな。
男子のことを考える時間があったら、麻衣と一緒にお買い物とかしてたいなぁ。だって、そっちのほうがずっと楽しいはず。麻衣と一緒にいるほうが、わたしの毎日が楽しくなるはず。じっさい、いま最高に幸せだし。
だから今は、他のことは考えたくないなぁ。男の子が関わるのが嫌ってわけじゃないけど、いまは余計なものを入れたくないなぁ。
たとえるなら、フレンチを楽しんでるところにゲテモノ料理が運ばれてくる感じ。「え、ちょっと……お呼びでないんですけど……」ってなるじゃん、そんなの。そういうことだぞ?
だから、ごめんなさい。
告ってくれた先輩には悪いけど、あいにく今のわたしはフレンチを楽しみたい。「一年の頃から気になってた」って言われても、わたし一年の頃の自分を知らないし。わたし、いまの自分になったの最近だし。おかしな話なんだけどね、そんなの。
わたしが一人もんもんと考えごとをしていると、隣の席に座る麻衣から「ねぇ、葵」と声がかかった。
「うん?」
「三年の先輩に告られたのって、一昨日くらいだっけ?」
「あー……そう、だったかな」と返すわたし。「そっこー断っちゃったから、正直あんま覚えてないけど」
くすりと鼻を鳴らし、ひかえめに笑う麻衣。
「胸、チラチラ見られちゃったんだもんね。災難だったね」
ふぅ、と溜め息を吐くわたし。
「ホントだよ」
当時の状況を思い出すわたし。脳のなかにある、過去の記憶を掘り起こす。
あのときの先輩の視線、通勤中のサラリーマンとか年配の男性と同じヤツだったなぁ。告白って真剣な想いでするものだと思うんだけど、本能というか性欲には抗えないものなのかな。
男子って大変だね。受け入れてるならまだしも、抗えないのはツラいはず。本人が受け入れられてるならいいけど、内から湧き上がってくる欲求に抗えないのは苦しいよね。そんなの、まるで呪いみたい。
まぁ、それはともかく。
「わたし、彼氏とかどうでもいいのに。そんな時間あったら、麻衣と一緒にいたいよ」
「そ、そっか……」
ん、んん。
自分で言っといてなんだけど、なんか告白じみたセリフじゃありません? 軟派系のイケメン彼氏が「そんなことより、オレはお前と一緒にいたいゼ……☆」みたいに言う感じになってません?
案の定というか、ほんのりと頬を赤く染めてうつむく麻衣。手をモジモジさせて、どこか落ち着かないようすの彼女。
照れてるのかな。
かわいいなぁ、麻衣。
「ねぇ、麻衣。今日の放課後、時間あいてる?」
「え、うん……空いてる、けど……」
「よかったら、一緒に本屋いかない?」
わたしが続ける。
「麻衣がオススメしてくれた小説、今日あたり買いに行こうかなーと思ってて」
「ほんとっ?」
麻衣の顔がパァッと華やぐ。雲の切れ目から光がさすように、彼女の表情に明るさが戻ってくる。
「いやー、葵も百合沼にハマり始めちゃったねー」
「誰かさんのおかげでね」
「さぁ、誰でしょー」
くすくすと笑う麻衣。
「何冊か本読んでみて、麻衣がハマる理由が分かった気がするよ」と続けるわたし。「前に麻衣が『純粋無垢な感じ』って言ってたけど、ホントにそんな感じがする。お互いのことを尊く想い合ってる感じというか……そんな雰囲気がある気がするなぁ」
「葵も分かってきたね〜」
「誰かさんのおかげでね」
「さぁ、誰でしょー」
よかった。
さっきまで浮かない表情してたけど、いつもの麻衣に戻ったみたい。
わたしの好きな麻衣の笑った顔。ひまわりのように明るい麻衣の笑顔。いつもどおりの麻衣だ。
もう、唯香が恋愛トークなんて始めるからだよぉ。わたしが男子に告白されたこととか、わざわざ話さなくてもいいのにぃ。ぷんすこ。
麻衣は昔から、わたしの色恋の話を嫌う。
たぶん、不安になるからかもしれない。わたしが、麻衣のもとから離れていくんじゃないか。置いてけぼりにされるんじゃないか。独りになるんじゃないか。そんな不安が頭をもたげるのかもしれない。
じっさいに、その可能性を仄めかすような研究がある。
データによると、抱擁ホルモンとして知られるオキシトシンの分泌量が多い被験者ほど、好意を抱く相手が離れようとしたときに不安感を抱く傾向にあるのだそう。時には、愛情を確かめるための確認行動を取ったり、好意を抱く相手に依存ぎみになったりする場合もあるのだとか。
そして、その原因の多くは『幼少期の親との関係』にある。
幼いころに養育者との健全な関係が築けなかった子どもほど、対人関係において常に『不安感』が付きまとうようになるらしい。「見捨てられるかもしれない」という不安な気持ちは、オキシトシンが生み出す愛情の強さの裏返しでもある。
たとえるなら、愛情とは食事のようなもの。食べ過ぎてもいけないし、食べなさすぎもよくない。どちらか一方に偏るのではなくて、ちょうどいいバランスで食事を摂る必要がある。科学的な研究結果が、その事実を示唆している。
麻衣は昔から、手を繋いだり腕を組んだりといった愛情表現が多い。
科学的に見れば、麻衣は他の人よりもオキシトシンの分泌量が多いのかもしれない。じっさいに、ハグやキスといった身体的な接触が多い人ほど、体内のオキシトシン量が多くなる傾向にあるのだそう。
たぶん、麻衣は不安なんだ。
わたしが、どこか遠くに行ってしまわないか。離れていってしまわないか。そんな考えが頭をよぎって、不安になっちゃうんだ。だから、わたしの色恋の話を嫌うんだと思う。
まぁ、全部わたしの推測でしかないんだけど。多分なんだけど。めいびーなんだけど。自意識過剰でないことを祈ります。
でも、当たらずとも遠からずという気がする。
だって、ねぇ。
男子から告られただなんだって話してるときの麻衣、すごく不安げな顔してたもん。なぜか、一心不乱に白米だけ食べてたもん。「え? そんなに白米好きだったっけ?」ってくらい食べてたもん。おかずは残ってるのに。麻衣の好きな卵焼きも残ってたのに。
そんなの、動揺してる風に見えちゃうじゃん。ヤキモチ焼いてる風に見えちゃうじゃん。「麻衣、不安なのかもな」って察しちゃうじゃん。「安心させてあげたいな」って思うじゃん、そんなの。そういうことだぞ?
やがて本鈴のチャイムが鳴った。
「じゃー、授業はじめるぞー。昨日は六五ページまで進めたから、今日は新しい章に入っていくぞー」
先生の声とともに、授業が開始される。板書される内容をノートに書き写して、教科書と照らし合わせながら問題を解いていく。
麻衣はニガテみたいだけど、わたしは数学が得意なんだよね。大学に入ったら、統計とかもやってみたいな。統計学って嫌われがちだけど、わたしは好きだな。だって、この世界は確率によって記述されるんだもん。
人生で重要なのは、いかに確率の高い選択肢を選び取るか。幸せな人生を送るためには、確率論的な考え方が欠かせない。
すべては、確率の問題。
ハッピーになるかアンハッピーになるかは、いかに確実性の高い選択肢を選び取るかで決まる。そう考えたら、世の中ってすごくシンプル。すべては、確率であり統計なんだ。
わたしと麻衣が出会ったのは、偶然でしかない。これも確率の問題。たまたま、お互いが「出会いやすい環境」にいたから出会ったに過ぎない。運に恵まれたというだけに過ぎない。
でも、その先の関係維持には『選択』という変数が介在する。
むかし、シェイクスピアっていう人が「人生は選択の連続だ」と言ったらしい。まさにその通りだと思う。人生には選択がつきもの。「選択だけが人生だ」って言い換えてもいいくらいだと思う。
だから、わたしは選ばなきゃいけない。
これからもずっと、麻衣と一緒にいられるような選択を。
これからもずっと、麻衣が笑っていられるような選択を。
すべては、確率の問題なんだ。
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