長い1日、終わり始まり 7

 でも、まぁいっか。

 朋花は『大人』だって思ってくれてるみたいだし。わざわざ訂正するのも変な話だし、そのまま勘違いしといてもらおうかな?

 純粋な妹ちゃん。ズル賢くて打算的なお姉ちゃんのこと、どうかそのまま『大人』だと思っててね。ふふ、なんか得した気分かも。

 もしかしたら、ズルさを覚えることを『大人になる』って言うのかもね。今日もまた一つ小ざかしさの味をモグモグして、順調に大人の階段をのぼるワテクシでございます。狡猾。

「先に折れる……」

 テレビ画面を眺めながら、独り言のように呟くわたし。

 たしかに、その傾向はあるかもね。

 だれかとケンカしたときに先に折れるのは、多分わたし自身が傷つきたくないのもあると思う。自分が傷つきたくないし、相手にも傷ついてほしくない。なぁなぁにしたいわけじゃなくて、単純に傷つけ合うことに抵抗がある。

 ケンカとか争いごとって、グラスをぶつけ合うイメージ。

 衝撃に弱いガラス同士がぶつかり合ったら、お互いにヒビが入るか一部が欠けちゃうか。もし仮に片方が無事だったとしても、もう一方のグラスは割れちゃうかも。傷ついた心の破片が飛び散っちゃうかもしれない。

 割れたグラスは、二度と元に戻らない。

 人の心にトラウマが残るように、ガラスのコップにもヒビ割れが残る。傷つけ合ったときの跡が、癒えることなく残り続ける。


 痛々しい、心のヒビ割れが。


「……」

 え、なんだって?

「日本には『金継ぎ』っていう、すばらしい修復技術が〜……」ですって?

 やかましい。横やり入れないでください。ワテクシの心に勝手に入り込んで、話に水をさすのはやめてくださいな。

 せっかく『良いこと言った感』かもし出してたところでしたのに。心の傷——トラウマの比喩として『ヒビ割れたコップ』を絡めつつ、心のなかで粋でイナセでナイスな含蓄あること呟いてたところでしたのに。まったくもう、とんだ妨害行為ですわ。ぷんすこ!

 まぁ、わかるけどね。

 逃げてばっかじゃダメなのは、もちろん理屈としては分かるけど。「傷ついてこそ人は強くなれる」って意見もあるだろうけど、ちょっと考え方が脳筋っていうかマッチョすぎるかなって。

 それ、完全に強い人の考えだもんね。

 昭和の匂いプンプンするアレだもんね。「雑草は踏まれるほど強くなる」みたいなアレだと思います。若干、時代錯誤感ある。若者層に煙たがられるかもなヤツ。知らないけど。

 やがてドラマが終わりを迎える。

 画面にエンドロールが流れたタイミングで、わたしは二人に「部屋、戻るね」と声をかけた。

「ほーい」

 短く返事をする朋花の後に続くように、ひらひらと手を振って応えるお母さん。

「夜更かししないで、早めに寝なさいね?」

 去りぎわに、お母さんが釘を刺すように言った。

「はーい」

 短く返事をしつつ、居間を後にするわたし。

 もう。

 お母さん、すぐ子ども扱いするんだから。

 もしかしたら、わたしのこと未だに小さい子だと思ってるフシあるな?

 ワテクシ、もう高校生ですから。大人の階段のぼる高校二年生ですから。言われずとも早めに寝ますし、ちゃんと明日の準備もしますわ。きちんと授業の予習・復習してから、もぞもぞ布団にもぐりこみますので。ご心配なく。

 エントランスを抜けて、二階へと続く階段をあがる。

 階段をのぼりきった後に、フローリングの床を歩くわたし。スリッパが平坦なフロアを叩いて、辺りにパタパタと軽快な音を響かせる。

 自室のドアを開けて、部屋のなかに入る。

 後ろ手に扉をパタンと閉めてから、誘われるようにベッドへと向かった。仰向けにゴロンと寝転がり、ボーッと天井を見つめるわたし。糸で縫い付けられたかのように、目の前に広がる淡い白をジッと眺める。


 今日一日、すごく長かった。


 ぐにょーって時間が引き延ばされたみたいに、すっごく密度の濃い一日を過ごした気がする。

 よく伸びるスライムを手に取って、ぐいーっと横に引き延ばすみたいに。チーズみたいに伸びる伸縮性の高いゴムを、両手で掴んで目いっぱい横に引き伸ばすみたいに。半年くらい経ったかと錯覚しちゃうくらいに、限界まで伸びきった長い時間が過ぎたように感じる。

 や、半年は言い過ぎかな?

 せいぜい一ヶ月くらいかも。まぁ、それでも長いけどね。

 まだ一日も経ってないはずなのに、ずいぶんと長い時間を過ごした気分。『一日』と言うには短すぎる気がする。体感的には数ヶ月くらい過ぎた感じ。

 はい、わかりました。

 案を決したいと思います。それでは、間を取って三ヶ月で手打ちと致しましょう。

 分配金は銀行振込で結構ですよ。ATMに行くのが面倒なら電子マネーも可。スマホ決済にも対応しておりますので、ぜひとも積極的にご利用くださいませね。よしなに。

 ごろりとベッドに寝転がりながら、しょうもないことを考えるわたし。

 いつもの倍以上、ムダな思考にエネルギーを費やす脳みそ。理性の中枢たる前頭前野が悲鳴をあげるほど疲れているせいか、たあいのないことを考える神経回路が普段よりも活性化しているようす。ワテクシのニューロン、なんて優秀なのでしょう(※皮肉)。

「……」

 ふと、さきほどの会話が脳裏をよぎる。

 嫉妬。

 ケンカ。

 争いごと。

 やっかみ。

 嫌がらせ。

 足の引っ張り合い。

 仲間はずれ。グループからの除外。

「女の子には、そういうのもあるんだぁ……」

 部屋で一人、ぼそりと呟くわたし。

 もちろん、女性に限らないとは思うけどね。

 男の世界にも嫉妬はあるし、足の引っ張り合いも普通に起きる。物理的な暴力が伴うぶん、♂の妬みのほうが危険かも。

 覇権争いっていうか、権力争いっていうかさ。「勝たなきゃいけない」って気持ちが強いせいか、殴る蹴るの暴力に訴えることもあるから怖いよね。

 男のプライド(笑)を傷つけられたときなんか、虎の尾を踏んだみたいに激昂することあるから恐怖。『顔を立てること』に過敏に反応するのは、どっちかっていうと男性のほうな気がする。あ、個人の感想です。

 だけど、女性も戦ってるんだよね。

 みんな戦ってる。さっきのドラマで描かれてたみたいに、女の世界にも男性にはないゴタゴタがある。

 友だち同士で格付けし合ったり、見栄を張ってマウンティングしたり。ちょっと過剰なくらいに場の空気を気にしたり、ときにはグループから爪弾きにされることもあったり。『女子トイレは社交の場』って言うけど、じっさいは陰口のオンパレードだったり。今日もまた世の女性たちは、ウワサ話を肴にお酒を呑むのです。知らないけど。

 今日一日を振り返ってみて思うけど、女性として生きるのって結構たいへん。

 ただ『胸が大きい』ってだけで、今朝みたくチラチラ横目で見られたり。年配のオジサンに至っては、遠慮なくジロジロ見てくるしさ。ほんと、拝観料もらいたいくらいだよね。こちとら、好きでグラマーな仏像やってるわけじゃないんだからね?

 や、お金もらってもイヤだけど。ふっつーに全力でお断りしますけれども。

 唯香の言う『いやら視線』だけならまだしも、女同士の争いに巻き込まれるとか堪んないよね。心休まるヒマ無さすぎでしょみたいなさ。

 いちばん面倒なのが、異性を絡めた色恋沙汰。

 やれ付き合ったやら別れたやらで揉めて、仲良かったはずの子と急に疎遠になったりさ。妬み・嫉みがスパイスとして加わるだけに、恋愛が絡んだトラブルは面倒臭くてややこしい。糸がグルグルに絡まって、解けなくなる感じあるよね。

 中学のときの一部の女子グループが、恋愛系のトラブルでゴタゴタしてたなぁ。『痴情のもつれ』っていうかね。

 当時は「マセてるなぁ」くらいに思ってたけど、これからは色恋に巻き込まれることも増えるのかも。女の子って小学校の高学年くらいから、だんだんと恋愛に興味を持ち始めるよね。グラウンドでボール蹴ってれば満足な男子とは違って、女子のほうが心の成長が早いってか『おませさん』な感じ。あ、個人の感想です。

 女の敵は女。

 とくに異性が絡んだときは、争いが起きやすくなるんだって。

 まぁ、本当かどうかは分かんないけどね。クラスのイケメン男子くんを取り合うみたいな?

 鈴木とかターゲットにされてそう。ああいう感じの将来有望そうな王子さま系の男子、女子の奪い合い合戦のターゲットになってそうだよね。知らないけど。すっごいテキトーなこと言ったけど。

 はぁ、ヤだなぁ。

 男性とか女性とか関係なく、争うの好きじゃないんだけど。

 そのうえ、女性特有の身体の問題もある。女同士の諍いに巻き込まれるだけじゃなくて、月に一回くらいの頻度で生理があるみたいだしさ。

 ホルモンバランスが崩れるせいで、メンタル的にも不安定になるらしい。血が滝みたいにドバドバ出るだけじゃなくて、怒りっぽくなったり気分が落ち込みやすくなるんだって。やだぁ、怖ぁい。めっちゃ恐怖ぅ。

 わたし(オレ)にとっては、なにもかもが新しい。

 男として生きてきた自分にとって、身に起きること全てが初めての体験。これまでのことも、これから起きることも。みんな新鮮で、目新しく映る。

 女性同士のあいだで起きる争いも、男性から向けられる舐るような視線も。もう既に起きた問題も、まだ経験してない問題も。この先わたしの身に降りかかるトラブルは、女性という命に宿る『宿命』なのかもしれない。けっして、避けては通れないのかもしれない。

 でも。

 だけど、わたしは——



 それでもオレは、女の子として生きたかった。



 女性として生きることを、心の隅っこで願い続けてた。

 ひとりの女の子として生を受けて、女性としての生を全うしたかった。ずっとずっと、そう願い続けてた。

 ひそかに願っていた夢を手放したのは、たぶん小学生になって直ぐくらいの頃。

 幼稚園までは一緒におままごとをして遊んでいた子たちが、小学校にあがったとたん女子だけのグループを作り始めた。さいしょは仲間に入れてもらってたけど、そのうち集団の輪から外れるようになった。

 なにか大きなキッカケがあったわけじゃない。

 なにか大きなトラブルがあったわけじゃない。

 ただ、しぜんと輪の中に入れなくなった。色の違う魚が仲間はずれにされるみたいに、いままで所属していた集団に入れなくなった。目に見えない透明な壁が、オレと彼女たちを隔てた。

 男の子なら、外で遊びなさい。

 みんなと一緒に外に出て、野球やサッカーをやりなさい。鬼ごっこをして遊んだり、外でドッヂボールをやりなさい。

 もう、お飯事はやめなさい。

 女の子じゃないんだから、お人形遊びなんてやめなさい。

 人形の服を着せ替えて遊ぶのも、おもちゃの宝石を身につけるのも。フリルのついたワンピースに興味を持つのも、きらきらしたアクセサリーに関心を示すのも。オレがやることは、ぜんぶ男の子らしくない。

 もっと男らしくしなさい。

 もっと男の子らしい遊びをしなさい。


 もっと。


 もっと、もっと。


「……」

 ベッドに寝そべり、天井をジッと見つめた。

 日中の疲れも相まってか、だんだんと眠気が襲ってくる。閉じようとする瞼を気力で抑えながら、わたしは心溶けるような微睡みにたゆたう。

 でも、もう分かる。

 もう、いまはハッキリと分かる。ちゃんと言葉にして言える。声を枯らすほど、大きな声で叫べる。

 わたしは、かわいいものが好き。かわいいものが大好き。

 オレを構成するカラーは桜色。その次にクリーム色。

 ブルーやブラックは好みじゃない。オレには男っぽすぎるような気がするから。

 深海のように深い青も、墨汁を浸したような黒も。どちらも好きじゃない。キライじゃないけど、かといって好きでもない。

 真夜中のような濃藍も、烏の羽みたいな漆黒も。どちらも色味が強すぎる気がするから。オレには似合わないような気がするから。

 でも、空色は好き。

 さわやかで、知的な感じで。だけど、やわらかな印象もある色。

 とくに、アクアマリンのように透き通った色が好き。どこまでも澄みわたる夏の空みたいに澄んだ色。

 透明感のある色をジッと眺めていると、やさしい気持ちになれるような気がする。だから、好き。すごく好き。

 でも、やっぱりイチバン好きなのは桜色。数ある色のなかで、ピンクがイチバン好き。

 かわいいから。

 女の子って感じがするから。

 女性に許された色って感じがするから。わたしという人間を彩ってくれる色だって思うから。



 わたしは、女に生まれたかった。



 ずっとずっと、女として生きたかった。

 女として産まれて、女として死にたかった。カワイイものに囲まれて生きて、キレイなものに囲まれて死にたかった。ずっと、そう願ってた。

 野球よりも、お人形が好き。

 サッカーよりも、おままごとが好き。

 新幹線とか飛行機よりも、クマのぬいぐるみが好き。

 男の子の勇ましい冒険心を描く少年マンガよりも、女の子の繊細な心の機微を描く少女マンガが好き。かっこいいヒーローの冒険譚よりも、かわいいヒロインの青春劇に憧れた。

 男の子に混じって外で鬼ごっこするよりも、女の子と一緒に着せ替え遊びをしたかった。朋花とお医者さんごっこで遊ぶほうが楽しくて、麻衣と一緒におままごとをするほうが幸せだった。みんなが言う "普通" に合わせるよりも、わたしは自分の『好き』を追い求めたかった。

 わたしオレは、いまの命が好き。 




 いまの "わたし" を、わたしオレは愛してる。




 ふわり、部屋に遊びに来る夜風。

 ふよふよと揺れるカーテン。そよそよと吹き込む密やかな風を受けて、薄手のレースカーテンが波のように揺れる。

 肌を撫ぜる夜の風。開け放たれた窓から入り込む風が、わたしの肌を滑るように撫でていく。まるで薄い膜に包まれたかのように、身体じゅうが心地良さに包み込まれる。

 ほのかなムーンライト。

 部屋に差し込む淡い月明かり。たなびく霞のようにおぼろげな月光が、ベッドに寝そべるわたしの身体を淡く照らす。

 月の光が眠りを誘う。

 わたしはそっと目を閉じた。〇.二五lxの微かな光に照らされながら、まどろみに誘われるまま静かに目を閉じた。


 眠りに落ちる前に視界に映った夜空の星は、これまでの人生で一番キレイに輝いて見えた。

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