かわいい幼なじみ 6


 だから、間違っても石投げてこないでね。

 差別撤廃を謳う『政治的な正しさ』を盾にとって、こちらに特大の石を投げつけてくるのはご遠慮ください。のーせんきゅー。

 ヘイト表現とかジェンダー問題とかセンシティブな内容に異常なほどセンシティブで「アタシの考えはね、世界の答えなのよ!」と言わんばかりに謎の自信に満ちあふれてる歪んだ自己肯定感たっぷりな似非フェミニストよろしくな感じで、正義という名のポリコレ投石機を使って言葉という名のバイオレンスで言論弾圧じみた16ポンドのボーリングの球くらいに重い石を剛腕なピッチャーばりの豪速球ストレートで不肖・ワテクシに投げつけてくるのは止めてください。ふっつーに痛いですので。痛たたたたですので。

 まったく、だれと戦ってんだっての。

 もっと有意義な時間の使い方をしなさい。SNSに貼り付いて延々と不毛な議論を重ねる迷惑オタクじゃないんだから。

「……?」

 ふと、気づく。

 こころの独り言がひと段落したところで、ようやく話が飛びすぎてることに気づくオレ。にぶちん。

 あ、あれれ?

 だいぶ、序盤の話と関係なくなったな。

 いつのまにか『汗くさ男子の話→ポリコレ暴力反対の話』に切り替わっちゃってたな。

 ま、いっか。いいよね。

 雑談とか独り言って、そういうものだもんね。ね?

 人が行き交う渡り廊下を歩きながら、たあいのない話を交わすオレと麻衣。『渡り廊下で雑談』って、いかにも学生っぽい感じだよね。ぜんぜん関係ないけど。

 きゃっきゃと話しているうちに、やがて女子更衣室の前に着いた。

 更衣室の引き戸がひらいた。

 室内に入っていく人々。黄色い声を交わし合う数人の女の子。きゃっきゃと話す何人かの女子が、ドアの向こうへと吸い込まれていく。

 やがて扉が閉まる。そっと後ろ手にドアを引く最後尾の女子。のれんのような白いカーテンをくぐり終わったイチバン後ろの女の子が、引き戸を横にスライドさせて廊下と更衣室との間にある空間を隔てる。

 更衣室のドアの手前で、ボーッと突っ立つオレ。扉が開閉するようすを、ただボンヤリと眺める。

 つ、着いた。着いちゃった。

 オレが入っていいところなのかはともかく、ほかの女子たちも利用する更衣室に着いた。心の独りごとを呟いてるうちに、女子更衣室の前まで来てしまった。

「……」

 あいかわらず、その場でボーッと突っ立つオレ。

 着替えを終えた何人かの女の子が、更衣室の扉を開けて中から出てくる。女子特有のハイトーンで雑談を交わしながら、渡り廊下の向こうへとスタスタと歩いていく。

 着替え。

 女子に混じって、オレが着替え。

 体操服にお着替え。見知った顔のクラスの女子たちに紛れ込んで、あられもない姿で雑談を交わしつつお着替え。お着、がえ——

 で、できるかっ。

 できないよ、そんなこと。だって、戸惑うもん。

 女子に混じって着替えるとか、ふっつーに生きてたらありえない。ぜったい起きるはずないイベント(ハプニング?)じゃん。

 めっちゃ戸惑うよ。

 ふつーに激しく葛藤するっての。現行犯タイーホの案件だもん。

 理性がストップをかけようとしてきてるのが分かる。オレの前頭前野が「『覗き』とはワケが違うんだぞ!」って言ってるでしょ?

 少年マンガでのみ許される『女湯を覗く思春期男子』みたいなお色気コメディ展開じゃなくて、常識的に考えて個人間の法的な紛争に関する訴訟——民事裁判にかけられるタイプの展開だもん。知らないけど。

 ほ、ほんとに入っていいの?

 オレ、入っていいのかな。いや、ダメでしょ。絵面的にはOKでも、展開的にNGでしょーが。でも、ここ以外に着替えるとこないしぃ……。

 きっと教室には他の生徒いるもんね。

 いまから自分のクラスに戻ったら、たぶん時間が足りなくなると思う。わたし、そう思います。心からそう思います。時間は有限なのです。

 それに、オレの隣には麻衣がいる。今さら麻衣に「ほ、ほかのとこで着替えてくるっ」なんて言えないしさ。きょとんとした感じで「え、なんで?」って返されるのがオチ。ま〜た、不思議な生き物を見るような目で見られる未来が目に見えてる。天丼されるに決まってるもん。

 だ、だいじょぶ。

 オレ、女子。いまのオレ、女の子だから。

 少なくとも、中に入ったとたん「きゃー!」されることは無いはず。

 ドラ〇もんに出てくるしずかちゃんばりの勢いで「きゃー、葵さんのえっちー!」なんて言葉を浴びせられながらメジャーリーガーの強肩さながらの勢いで風呂桶を投げられて頭ゴッツン☆するエッチ・スケッチ・ワンタッチなお色気コメディ展開になるとこは避けられるはず。

 いや、更衣室だぞ。

 なんで風呂桶があるんだよ。置いてあるわけないでしょ。

 じょ、女子更衣室に入るのは普通。いまのオレが女子たちに混じって着替えるのは当然のこと。

 だって、女の子だもん。いまのオレ、女の子なんだもん。

 もし反対意見を述べる御仁がいたら、逆に「何故そう思うのか?」を問いたい。弁護士ばりに詰め寄って、問い詰めて差し上げたい。

「貴殿が『ひとりの女の子が女子更衣室を利用し、ほかの女子に混じって着替えることは倫理的に不適切である』と考える法的根拠を提示していただけますか?」と。

 きっと、ダンマリを決め込むはず。

 なぜならば、世間一般では「一般女性が女子更衣室で着替えるのは当然のごとくおこなわれる一般的な行為」とされているのだからして。だからして、だからして。

 はい、論破。

 オレ、勝ちました。勝訴です。わたくしめの完璧な論理にひれ伏し——

 ほんのちょっと長めの心の葛藤をさえぎるように、オレの隣に立つ麻衣が「葵?」と声をかけてきた。

「どうかした? はやく着替えよ?」

「ふ、ふぇい……」

「ふぇい?」

 オレの曖昧な返事を受けて、ちょこんと首をかしげる麻衣。

 う、うぐ。

 新種の生き物すぎる。

 こころの動揺が言葉に反映されて、未確認生物の鳴き声みたくなった。

 ついぞ聞いたことない返事。どこの世界に「ふぇい」なんて口にするサピエンスがいるんだっての。

 落ち着け、オレ。

 ただ着替えるだけだから。さっと体操服を着ればいいから。

 そう、無心で。ブッダを見習って、無心で着替えればOK。欲望を打ち破る無我の境地で乗り越えられるはず。

 すっごいグラマーな美人さんに声をかけられたときも、無我の境地に至った仏陀は丁重にお断りしたらしいから。「しょせん、女も肉塊に過ぎない」的なことを言って、己が色欲を乗り越えたらしいから。いや、断り方さすがに失礼すぎん?

「あ、開けます……っ!」

 なぜか敬語になるオレ。

 われながら「そんな意気込まなくてもいいのに」と思う。ほっといておくんなまし。あたしゃ緊張しとるさかいに。

「う、うん……」

 麻衣が戸惑ったような声をもらした。でも、気にしない。気にしたら負け。なにかに負ける気がする。

 更衣室の引き戸に、そっと手をかけた。

 オレの視界の端に映るのは、きょとんとする麻衣の横顔。針みたいな罪悪感に駆られることを恐れて、幼なじみの顔を正面から見ないよう努めた。

 見ちゃダメ、見ちゃダメ。

 見たら有罪。現行犯で逮捕。手錠がちゃんこ……。

 特大サイズの罪の意識に押しつぶされそうになりながらも、ゆっくりとオレは女子更衣室のドアを横にスライドさせる。

 コロコロと鳴りひびく戸車の音。

 レールの上を走る小さい車輪が、辺りに軽やかな音をひびかせる。

 そっと顔面に伝う柔らかな布の感触。オレの顔にカーテンがのれんのように引っついた。ふぁさっ。

「……」

 視界は真っ暗。

 暗闇の世界。まぶたの裏に見える世界。寝る前の部屋のような暗さが、オレの目の前に広がっている。

 まだセーフ。

 目ぇつむってるからセーフ。

 まだ女子の姿は見えてない。オレの視界に入ってない。だから、セーフ。ぎりぎりセーフ。せ、セーフだよね?

 更衣室に入ろうと、足を踏み出すオレ。

 ぎゅっと目をつむっていたせいで、足元にある段差に気が付かなかった。足の先が段差に当たり、よろりと身体がよろける。

 直後、ズデッと盛大にコケた。

「いったぁ……」

 痛い。

 おでこ打った。ほくろ凹みそう。そんなわけない。

「だ、大丈夫っ?」

 心配そうな声をもらす麻衣に、おでこを押さえつつ答えるオレ。

「だ、だいじょ、ばん……」

「え、どっち?」と返す麻衣。

「あ、いや……だ、だいじょぶ」

 目をあけて、顔をあげる。

 ズキズキと痛む額を押さえながら、視界に光を取り込みつつ話すオレ。あとに続く自分の言葉も、やはり動揺を湛えていた。

「大丈夫、だか、ら……?」

 額を手で押さえながら顔を上げた直後、およそ目に毒な景色が飛び込んできた。

 目の前に広がる景色。

 オレの視界に映り込む女の園。女子だけの空間。

 肌の色と下着の色。たくさんの肌色が目に飛び込んできた直後、さまざまなカラフルな色を視神経が知覚した。

 そして、丸い瞳。

 驚いたようにコチラを見つめるガラス玉。

 たくさんの視線を一身に浴びて、試験の前さながらに心がこわばる。紫外線照射を受けて硬化するエポキシ樹脂のように固まるオレの心。

 やべ。

 刺激、強すぎ。頭クラクラしそう。

 こんな景色、スマホの向こうでしか見ない。ディスプレイの向こう側にしかない景色でしょ。

 こんなん、R指定されたアレでしか拝めない。思春期男子のアレには刺激が強すぎるアレです。普通に考えて「きゃー!」案件のアレでしょ。ケーサツ呼ばれちゃうアレ。

 つ、捕まるっ。

「立てる、葵?」

 ずっこけたままの状態のオレに、そっと手を差し伸べてくれる麻衣。あれれ、天使かな?

「う、うん……」

 麻衣に支えられながら、ゆっくりと立ち上がった。

 目を開けたまま歩き出すオレ。

 視覚情報を取り込む。すっ転びアゲインしないよう、ちゃんと目をあけて情報を得る。転ばないために、ズッコケないために。た、他意はないからね?

 脳が悦んでる気がする。

 大脳皮質の後頭葉に位置する視覚連合野が、思春期まっただなかのエロ男子さながらに飛び跳ねる勢いで喜んでる気がするのは気のせい。「気がする」ってだけで、ぜったいに気のせい。『気』が悪い。悪者。処す。

 羨まシチュエーション。

 世の男性たちに、こぞって妬まれそう。色欲に囚われた♂どもに嫉視を向けられそう。

 嫉妬もとい羨望の眼差しを向けてくるクラスの男子たちから「ズルいぞ、お前だけ良い思いして!」みたいなこと言われそうなシチュエーションなんですけど。

 きょろきょろと辺りを見回す麻衣。なにかを探すような動き。索敵中のハムスターさながらの動作。きょろきょろ。

 やがて、なにか見つけたかのように麻衣が「あっ」と声をもらす。

「向こうで着替えよっかぁ」

 麻衣が指差す先を目で辿る。

 指の先には空いたスペースがある。二人くらいなら充分に着替えられそうなスペース。

「う、うん……」

 先を行く麻衣にならい、後ろをついて歩くオレ。

 ピクミンになったかのような気分。個人的には紫ピクミンが好き。てふてふ走る姿が『がんばってる感』あってカワイイ。今まったく関係ないけど。

 歩いている途中、オレはふと気づいた。

 甘い香りがする。部屋の奥に行くほど、より強くなる甘い匂い。

 ピーチのように甘やかな香りが、室内に充満していることに気づく。もっと早めに気づいてもよさそうだったけど、きっと他のことに気を取られて嗅覚野が正常に機能してなかったのだと推測。

 すれ違いざまに、香りが鼻先をかすめた。

 バニラのような甘い匂いが、ふがふがと鼻腔をくすぐる。とたん、くしゃみが出そうになる。ふがふが、はっくしゅん。

 視界いっぱいに広がる花。

 肌色と色とりどりの鮮やかな色が咲き広がる。部屋いっぱいに漂う甘い花の香りが、罪悪感に濡れるオレの心を戸惑わせる。花香り、心惑う。

 ど、ドキドキする。

 正直、めっちゃドキドキする。

 心臓、うるさい。めっちゃドックンドックンいってる。

 胸の奥で大太鼓みたいな音ドンドコドンドコ鳴ってる。心臓が太鼓の達人(難易度☆10)みたいな音立ててるんだけど。フルコンボだドン!

 や、やば。

 完全に場違い。場違いさが際立つ。

 女子の香りが部屋に充満してて、オレの場違いさが際立つんだけど。この場に居ちゃいけない人間その二みたいになってるんだけど。『その一』は誰だろう?

「あわゎ……」

 思わずオレの口から、困惑めいた声がもれる。

 お、落ちつつ、

 つつっ、つ着けけけっけけけ、

 う、うろたえるな。だいじょぶ、大丈夫だからっ。

 この甘い香りは、ただの化学物質。あまたの化学反応と信号伝達のすえに生じた嗅覚刺激——。

 ら、ラクトン。

 ただのラクトンとエステルだから。

 γ-デカラクトンやγ-ウンデカラクトン、それと酪酸メチルやエチルマルトールとか。

 匂い分子をキャッチした嗅細胞が生み出す知覚作用。人間の鼻が感じ取る匂いなんて、しょせん脳の錯覚に過ぎないから。

 リガンドとして機能する匂い物質と分子結合した嗅上皮の嗅覚受容体——Gタンパク共役受容体が電気信号を発生させて神経科学的なシグナル伝達によって嗅神経を伝い匂いの一次中枢たる嗅球を通じて扁桃体や視床下部そして大脳皮質ならびに眼窩前頭前野へと送られた信号が巡りめぐって脳内麻薬の一種とされるドーパミンやβ-エンドルフィンそれからメチオニン・エンケファリンなどを分泌させて快感もとい多幸感や鎮痛作用を云々かんぬん以下略。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る