第02話 警察到着

「現場のものには一切、手を触れないよう、お願いします。赤坂署の篠田です」

 大きな声ではないが、聞いた人に有無を言わせず従わせる威圧感がある。


『篠田』と名乗った初老のベテラン警察官の後ろから黒いスーツ姿の男たちが3人、足音をドタドタと鳴らして役員室に入って来た。


「警察ですか?ちょうどよかった」

 あおいさんが資料に伸ばしていた手を引っ込めた。何がちょうどよかったのか、ボクにはよくわからなかった。


 その直後、役員室にもうひとり、若い男性が入ってきた。長身で、髪は短く、肩幅が広い。ダークグレーのスーツに身を包んでいる。ぱっと見は若手の商社マンだが、目つきは鋭く、こちらを正面から射抜いてくる。

「赤坂署、刑事課次長代理の西岡拓馬です」

 名乗った瞬間、あおいさんが振り返る。

「……拓馬?うっそ。なんでここにおるの?」


 肩の力が抜けたような、素のトーン。あおいさんがくしゃっと笑った。ボクはその笑い方を初めて見た。ボクが知っている、業界トップの外資系コンサルティング会社に所属するキレキレのマネージャーの顔ではなく、小学生の女の子が近所の友だちに会ったような顔をしていた。


「てっきり警察庁で裏方やってるのかと思ってたけど。現場に出ることもあるの?」

「今、現場研修のために出向中なんだ。赤坂署に」

「へー、たしか3年前に一緒に飲んだときは、警察組織を支える縁の下の力持ちなんだー!って、居酒屋でクダ巻いてたのに」

「あ、う……今は“西岡警部”で頼む」

「はいはい、承知いたしました、西岡警部さま」


 あおいさんは手をひょいと上げて、軽くグータッチしようとしたが、西岡警部は苦笑してかわした。


「捜査中だ。後ほどで頼む」

 篠田刑事がふっと笑って一歩前に出た。

「西岡警部、早速で申し訳ありませんが、現場保存と初動確認の指揮をお願いします。鑑識班も作業を開始します」

「そうですね。そのように進めましょう、篠田巡査部長」


 鑑識班、と呼ばれた作業服の人たちが、役員室内で証拠保全と収集を始めた。西岡警部の言葉はきびきびしていたが、視線が再びあおいさんに向いた。あおいさんは『にっ』と笑って、手をひらひらと振っていた。


 役員室は完全に封鎖された。制服を着た警察官が、入口に立って警備している。



 ボクたちは別フロアの会議室へと案内された。別フロアに移動するためにエレベーターを待つ間、あおいさんが西岡警部との関係を教えてくれた。東京大学の同級生で、同じサークルにも入っていたそうだ。そりゃ、仲が良いわけだ。


 会議室で、簡単な事情聴取が始まった。篠田巡査部長があおいさんに、西岡警部がボクに、それぞれ対応した。

「で、その“緑色の液体”を見たとき、どう思いましたか」

「……毒、っぽいなって。いや、テレビの見過ぎかもしれませんけど」


 我ながら情けない証言だった。でも、西岡警部は顔色一つ変えずにメモを取っていた。あおいさんの大学時代の仲間であり、ボクにとっても大学の先輩である西岡警部は、今は警察官として目の前にいる。ボクも自然と背筋が伸びる。


 事情聴取が終わり、会議室を出ようとしたとき、あおいさんが西岡警部に声をかけた。

「そういえば、三枝玲子社長にも事情聴取するの?」

「その件は、こっちで検討中——」

「玲子社長、いまシンガポールにいるのよ。シンガポールにいる人に日本の警察が事情聴取するのは、さすがに国際問題になるわね。帰国してから話を聞くことになるんだろうけど、捜査は初動が肝心って、推理小説で切れ者警部サマが言ってたよ」

「そうなんだよな。実は困ってて……」

「だったら、私がZoomで聞いてあげよっか?こっちのプロジェクトを進めるためにも、早急に玲子社長と話す必要があるの。そのときに、画面の外にいて聞いてるだけけなら大丈夫なんじゃないかな」


 西岡警部がちらりと篠田巡査部長を見る。篠田刑事は、少し考えてから頷いた。

「公式な事情聴取ではなく、非公式な参考情報としてなら問題ありません。警察側では記録を取らないようにお願いします」


 あとから聞いた話だと、赤坂署の管轄には大使館もたくさんあり外国人も多いから、国際問題にならないような捜査方法のノウハウがあるようだ。


「じゃ、今からつなぐね」

 あおいさんはスマホを取り出し、玲子社長にメールを送った。玲子社長からすぐ返事があり、10分後にZoom会議が行われることになった。


 Zoom会議を待つ間、西岡警部があおいさんとボクに聞こえるように、不自然な独り言を言った。

「鑑識が簡易検視を行ったところ、高森忠雄さんの死亡が正式に確認された。死亡推定時刻はこれから解剖して詳細がわかるが、昨晩9時から深夜3時の間、ってとこらしい」


 どうやら、玲子社長への質問をボク達がする替わりに、捜査情報の一部を教えてくれているみたいだ。厳密に言えば捜査情報は秘匿すべきなんだろうけど、これぐらいはギブ・アンド・テイクってことなのかな。篠田巡査長もそっぽを向いて、聞こえないふりをしている。


 昨晩の9時から3時の間ってことは、ボク達が昨日の夜に顔合わせZoomミーティングをしたすぐ後に亡くなったということだ。


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