まだ名前のない季節

奥村夏希

プロローグ

――春の風が吹くたび、胸の奥が少し痛くなる。

 あの日、まだ名前も知らなかった先輩を見上げた瞬間から、

 俺の時間は少しだけ色を変えた。


 竹刀を構える姿も、笑うときの横顔も、

 全部が新しくて、どうしようもなく眩しかった。


 勝ちたいと思ってきたはずの場所で、

 俺は初めて“誰かに追いつきたい”と思った。


 春の匂いが残る道場。

 差し込む夕陽の中で、

 心の音だけがやけに大きく響いていた。


 ――あの季節を、今も俺は忘れられない。

 まだ名前のない季節。

 すべてが始まった、春の日のことを。

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