第39話 月みたいだ
本格的な冬がやってこようとしていた。
ノアはマフラーを何重にも巻いてから、外へ飛び出す。
冷たい風が吹きつけて、鼻先がじんじんする。ポケットに手を突っ込みながら、坂道を駆け下りる。
出かける前には、いつもライの墓によることにしていた。
海が見える丘の上に、ライの墓はあった。墓石の前にはすでに先客がいた。
「ルカスさん」
声をかけると、ルカスが振り返って手を振る。手には白い花束があった。
「来ていたんですね」
「訓練の前には、必ずライに挨拶するようにしているんです」
「おれもです」
花束に顔を近づけてから、ルカスはそっと墓前に置いた。冬の冷たい風が花弁を揺らして通りすぎていく。
「以前の私は、ライが生まれ変わることを許せませんでした」
ルカスが静かに言った。
「私の知らない誰かになるなんて、この身が裂けるほどつらいことだと、そう思っていました」
ノアもルカスと同じ痛みを抱えていたことを思い出す。
「おれもですよ。でも、今はちがう。――そうですよね?」
「さすがノアです。お見通しですね」
ルカスはノアの頭をなでまわす。そんなことをしてくれるのは、今はもうルカスしかいない。
「これから訓練なんですよね。引き留めてすみません」
「引き留めてくれた方が、私はうれしいですけれどね」
「教官って、そんなに大変なんですか?」
あの日、二体の虚影が中央の街に現れた後、ノアは残響師を辞めた。
ルカスは周囲の強い願いがあって、残響師に残ることになり、今は教官をやっている。
「最近の子は、みんなやんちゃがすぎます。大人しくさせるのには根気が必要です」
「まさか――殴ったりとか?」
「いいえ。これです」
ルカスは懐から数枚のカードを取り出した。そのカードにはノアも見覚えがあった。
「ポイントカードです。平均点を超えたら、スタンプ一つ。五つ貯めれば、おいしいものにありつけます」
「でもそれは――」
「大丈夫。経費で落ちますから」
涼しい顔でルカスはカードを懐に戻す。
「ノアは、これから出かけるのですか?」
「はい。北の方に行く予定です。雪が積もっているところもあるみたいですから」
「そうですか。気をつけて。戻ってきたら、中央のカフェに行きませんか? ナルシス様が行きたいとうるさいのです」
相変わらず、ナルシスはルカスと頻繁に会っているらしい。
「わかりました、行きましょう」
ルカスはうなずいて、風が吹く方向に顔を向けた。
「いい風ですね。春が来るのが楽しみです」
墓前に供えた白い花が揺れていた。
春になったら、もっと鮮やかな花を買って来よう。ライを挟んで、ルカスと一緒に懐かしい話をしよう。
「はい。おれも楽しみです」
ルカスと別れてから、ノアは待ち合わせの場所へ向かう。
「遅い」
両手に荷物を抱えたグレンが不機嫌な顔で待っていた。
「持って。重くて手首がいかれそう」
来たばかりのノアに荷物を押し付ける。
「おんっも! なにこれ」
おしゃれな柄の紙袋の中にずっしりと重たい何かが入っている。
「ヴィーナだよ」
「え」
ついに姉弟喧嘩でやってしまったのかと、ノアは青ざめる。
「馬鹿。何考えてんの。中見てよ」
袋を開けると、そこには大量の服がぎちぎちに詰め込まれている。
「どうしたの、これ……。すごく怖い」
「知らない? ヴィーナとエリーナで最近服作ってるの」
「知らない、聞いてない!」
エリーナには昨日会ったばかりなのに、そんな話一切していなかった。
「もってけって」
「くれるのか?」
「違うよ。これから行くとこの人たちにあげてって。エリーナって、もう少し素直になった方がいいよね。今度言っておいて」
「やだよ。殴られるよ」
目尻をつり上げているエリーナの姿が容易に想像できて、ノアは身震いする。
「そろそろ行こっか」
「うん」
ノアが手を差し出す。グレンはじっとノアの顔を見ている。正確には、ノアの右目を。
「……気になる?」
「そりゃあね」
ノアは右目に手をあてる。右目の視力はほとんどない。
あの日から、ノアの右目は見えなくなってしまった。虚影の塊に飛びこんだ代償なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
グレンがノアの手をつかんで、下ろす。
右目をのぞき込んだ。
「月みたいだ」
「グレンとおそろいだ」
笑いあって、二人は手を繋ぐ。行く先は、北の街。
小さな声をひろい集めにいくのだ。
了
灰を抱き、月をきく あまくに みか @amamika
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