第38話 この世界の子どもたち

 ノアはグレンに抱えられて、教会の上へと昇っていた。

「重すぎ。羽がちぎれろう」


 片翼を大きくはばたかせて、グレンはヴィーナとエリーナの元へと舞い上がる。


「お疲れ様。わざわざ飛んでこなくたって、よかったのに」

 肩ひじをついてヴィーナがにっこりと笑った。


 ノアはうずくまって泣いているエリーナに気がついた。床には陶器の破片が散らばっていて、エリーナが苦しんだことがうかがえる。


「女皇様、大丈夫ですか?」

 エリーナの肩に手を添える。その手をエリーナは勢いよく振り払った。


「さわるな、無礼者!」

 鋭い目でエリーナはノアをにらみつけ、よろよろと立ち上がった。

「何なのよ、あんたたち! 大っ嫌い!」


 ノアはあきらめたように肩を落とす。エリーナ相手に敬語を使うのは、なんだか変な感じがした。今の彼女からは、女皇陛下という威厳が全く感じられなかった。


「声が、きこえたでしょ?」


「きこえたわよ。みんなして、わたくしを責めたてるのよ。わたくしのせいじゃないでしょ? 自業自得でしょ? なのに――」


「おれは、あなたのことかわいそうな人だと思うよ」


 エリーナが口の端をあげ、薄く笑った。


「同情してくれるっていうの、たかが残響師の分際で」


「そう。おれは、同情している。あなたは何でも手に入って、誰でも動かす力を持っているのに、上からのぞき込むことしか出来ない、籠の中の鳥みたいだ」


「なにそれ、どういう意味? 馬鹿にしているんでしょ。この国の人たちって、みんなそう。自分たちの生活が良ければ、わたくしを褒めたたえる。少しでもつらいことがあれば、わたくしのせいにする。そうやって、面倒なことはみんなわたくしに押し付けるのよ。みんなで無視して、差別してきた人たちを、わたくしが罰して何がいけないっていうの?」


「それは、本当にそうだ。おれも、つい最近までそういう人たちがいることを知らなかった。声がきこえていたのかもしれないけれど、きこえないふりをしていた。全部、えらい人にまかせればいいってね」


「ほら、みなさい。あんたも同じじゃない」


 ノアは手を開く。この手で繋いできた人たちのことを思い出す。この手だけじゃ、すべての人を救えない。すべての小さな声をひろえない。

 そのことにようやく気がついた。


 ――女皇もきっと、同じことで苦しんでいるんじゃないかな。


 ノアは肩で息をしながら青ざめた顔をしているエリーナを見つめた。

 耳をすませば、エリーナが広い部屋の真ん中で、すすり泣いている声がきこえる。



「おれが、手伝います」


「何を、言い出すのよ」


 ノアは一歩前に進み出る。踏みつけた陶器の破片が、割れた音がした。

 エリーナの手を取って、引き寄せる。


「おれが、声をひろってくる。ひろい上げてくるから、あんたは、この国の人たちを正しい方へ導け。それが、女皇エリーナの役目だろ!」


 エリーナの唇が大きくゆがむ。拳を振り上げ、何度もノアの胸を叩いた。


「むかつく! むかつく! むかつくわ!」


 泣き叫んだあと、エリーナはノアの胸の中で泣き始めた。細い肩がふるえている。


「エリーナはよくやっているわ。私は手を出す主義じゃないけれど、肩を貸すことは出来るのよ」


 立ち上がったヴィーナの隣で、グレンが険しい顔をする。


「見守るのが愛じゃなかったの?」

「気に入ったの。この子どもたちが」


 ヴィーナは欄干にもたれかかって、外の世界を眺めた。


「いい風ね。この世界も、悪くないわ」



 

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