第2話 収穫祭と満月の夜の出会い

 少年はお祭りの準備をしていた。難しいことは何一つない。ただ藁を積み上げていくだけだ。


 少年は十歳になったばかりだった。体格はいい方だったが、まだ大人には遠く及ばない。それでも一度に運べる藁の量は、村で一番多かった。


 山になった藁の周りには、村の中でも背の高い者たちが集まっている。その一人が少年の青い髪を撫でた。


「ガル。さすがだな。だが高いところはまだ積めないだろ。あとは任せな」


 少年の名はガルヴロンド=セブリスタ。村人は皆ガルと呼ぶ。


「ありがとうございます。近くまで、たくさん運びますね」


 休んでてもいいぞと言われても、ガルは働き続けた。真面目な性分だというのもあるが、ガルは村人たちが大好きなのだ。


(少しでも、役に立ちたい)


 ガルは木組みの小屋に入った。干した藁が雨で濡れないように、ここに集めてある。


 普段は人が出入りする場所ではないが、今日に限っては違う。お祭りのために大量の藁が必要で、ひっきりなしに人が出入りしている


 だが、この瞬間だけは雰囲気が違った。


 まるで御膳立てしたかのように、一人だけが中で待っていたのだ。


 さわやかなレモンのような香りが、ガルの鼻をくすぐる。ガルの好きな香りだ。


 長い髪を後ろでまとめた、頬にそばかすのある少女が、小屋の中央で振り返った。


「やっと捕まえた。ねぇガル。今日は話があるから、わたしの部屋に来てっていったよね?」


「アルスス……」


 十二歳のこの少女の名はアルスス。ガルが世話になっている農家の娘で、ガルをよく気にかけてくれる。


「すみません。お祭りの準備が忙しくて忘れていました」


 ガルは嘘をついた。本当は忘れるはずがない。話があると言われたとき、ガルは飛び上がるほど喜んだのだから。


 だがすぐに、満月の夜に行われるお祭りに関する話だと察した。だからガルは、今日だけはウルススを避けると決めたのだ。


 ウルススは深くため息をついた。


「まったく、しょうがないなぁ。ガルは真面目すぎるの。まぁでも、今日はお客様が来ていて、わたしも準備とかしなきゃいけなかったから、許してあげる」


「お客様ですか?」


「そう。なんかお祭りが好きで、色んなお祭りを見て回ってるんだって。昨日の夜に来たんだけど、そういえば今日はまだ姿を見てないや。でもお客様のことを話しにきたわけじゃないの」


 ウルススは祈るように両手を合わせ、上目遣い気味にガルを見た。


「お祭りのことは覚えてる?」


「はい。今月の満月の夜に、大きな火を焚いて収穫を神に感謝するお祭りです。その満月の夜は今夜ですね」


「そうそう。それで焚火の周りで、これは貴族の真似事なんだけど、男女ペアになって踊るの」


 それも知っていた。ガルが最も避けたかった話題だ。


 ウルススがガルに向かって手を差し出す。


「今夜、わたしと一緒に踊ってくれない? 真面目ばっかが取り柄のガルだもの。他の人を誘ってないんでしょ?」


 ウルススの頬が、ほんのり赤く染まる。


 本当は喜んで手を取りたかった。だがガルは手を強く握りしめ、決して前へと出さない。


「ウルススと踊りたい人は、他にもたくさんいるはずです。自分はお祭りには参加しないので、気にせず他の人と踊ってください」


 ウルススの口元に力が入った。大きく見開いた目は瞬きを繰り返す。


「な、なんでそんなこと言うの? わかった。この村に来たばっかだから気にしてるんでしょ? もう誰も、そんなこと気にしてないって。ガルは真面目に働いてるし、力持ちでみんなの役に立ってる」


 ガルは三か月前に、この村の近くで行き倒れていた。それを見つけてくれたのがウルススなのだ。


 ウルススとその両親はとても優しく、行くあてのないガルの面倒を見てくれた。ガルが遠慮して馬小屋で寝泊りしていると、家畜を見守るための小屋を建てて、ガルがそこで寝れるようにまでしてくれた。


 ガルは恩を返すために、一生懸命働いた。村人たちもそれは認めていて、よそ者だと思っている人はもういない。


 それはガルもよくわかっていた。


「それでも、自分はウルススとは踊れません」


「なんでよ! もしかして、夜出かけてるのと関係あるの? わたし知ってるんだからね。たまに夜中出かけてるの」


「それは――」


 関係はあった。だがそれを、ウルススに知られるわけにはいかない。


「関係ありません。そもそも、自分は夜中に出かけたりなんてしていません。家畜の見回りをしていたのを、勘違いしてるんですよ」


「勘違いなんかじゃない。うちの敷地内じゃなくて、森の中に入っていくのを見たんだから。満月で明るかったから、よく見えたの」


 ウルススは引くことなく詰め寄ってくる。愛嬌のある顔が目の前まで来て、平静を装えないほど、ガルの心臓が高鳴る。


 何も考えずに抱きしめて、踊ろうと言えればどんなに楽だろう。


 祭りを満月の夜にやると決めた神様を、本気で憎んだ。


「ダメなんです。自分は、お祭りには参加できない」


 ガルは顔を逸らして、藁を両手いっぱいに抱えた。そして逃げるように小屋から出ていく。


「どうしてダメなの? ねぇ! わたしに言えないことなの? どんなことでもわたし怒らないから、教えてよ。ねぇってば!」


 追ってくるウルススを、ガルは早足で引き離した。


 言えるわけがなかった。


 ガルは狼男で、満月の夜になると人を無差別に襲ってしまうのだ。



~~~~~~~~~~~~~~~



 ガルが藁を運び終え、寝床にしている小屋にいても、ウルススは尋ねてこなかった。


 詮索されないのはいいことのはずなのに、嫌われてしまったのではないかという不安が、どうしてもガルの頭をよぎる。


(たとえ嫌われてしまったとしても、彼女を傷つけてしまうのよりは、ずっといいはずです)


 ガルは自分に言い聞かせ、小屋の外に出た。


 空は赤らみ、夜の帳は目前まで迫っている。ガルは森に向かった。


 満月が出てガルが自我を失う前に、村から離れなければならない。そして朝になって、体が元に戻ったら村に帰るのだ。


 ガルはこの村に来てから、満月の夜が来るたびにそれを繰り返していた。


 本当はもっと早い時間から動いて、より遠くまで移動するべきなのだろう。しかし満月の日に姿を消していると知られたくなかったガルは、いつも日が沈む少し前から動くようにしていた。


 それは今回も同じだ。


(ウルススには気づかれてしまったようなので、他の人に知られるのも時間の問題かもしれませんね)


 ガルの頭に、自身が生まれ育ったセブリスタ家のことが頭に浮かんだ。


 セブリスタ家は豪族で、貴族を支える役割を持っていた。年齢不相応に丁寧な言葉遣いは、家柄ゆえのものなのだ。


 控え目ながらも栄えていたセブリスタ家だったが、ある満月の夜。屋敷が血で染まった。


 ある日突然、なぜか狼男となったガルが、父や母。兄も妹も使用人も全て食い殺してしまったのだ。


 抗えない衝動に自我を失っているにも関わらず、記憶は完全に残っていた。


 自分の手が、肉親の血で汚れていくのだ。それは何度も夢に見た。


(もうあんな思いはしたくないです)


 ふと、そばかすが特徴的な愛嬌のある顔が頭に浮かんだ。


(村の人はみんな大好きです。特にウルススだけは絶対に傷つけな――)


 心臓が大きく脈打った。顔を上げると、木立の隙間に満月が見える。


 ガルは上着を脱ぎ捨てた。それを合図にしたように、ガルの体が肥大化していく。その様子はまるで、オーブンで焼かれる焼き菓子のようだ。


 ガルの狼化が始まったのだ。


 すでにガルは森の奥深くまで来ていた。村に被害が出ることはないだろう。


(今夜もうまくいったみたいですね。しかし、もう潮時かもしれません。いずれまた、自分は大切な場所を壊してしまう)


 ふと、さわやかなレモンのような香りがした。ガルが好きな香りだ。


 狼化の影響で冴えわたった五感は、暗い森でも昼間のように見渡せる。森の中にランタンの灯りを見つけるのは、そう難しくなかった。


 畑一枚分離れたところで、ウルススがランタンを持って、森の中を歩いている。


(まさか、自分を探しに来たのですか? ダメです……! 逃げてください!)


 ガルはもう、言葉を発することができなかった。


「ガル? どこにいるの?」


 ウルススの声は、鋭敏になったガルの耳によく届いた。まだ距離はあったので、ウルススはガルに気付いていないようだ。


 ガルはウルススとは逆の方向に走りだそうとした。だが、体はもう言うことを聞かない。


 狼化したガルの体は、ウルススに向かって走り出した。


(やめてください! もう自分は、大切なものを壊したくないんです!)


 ガルの願いも虚しく、ウルススとの距離はあっという間になくなる。手を伸ばせば届く距離にあるウルススの体は、とても小さく見えた。


「え? な、なに……?」


 ガルを見上げるウルススの表情は、一気に恐怖の色へと染まった。


 ガルの体は、大きな右腕をウルススに向かって振り下ろす。その一撃は、大人の男でもぺしゃんこにする。


 少女のウルススがそれを受けたらどうなるか。想像するのは容易だった。


 ガルは目を閉じたかったが、体がそれを許さない。ガルの右腕はウルススに――


 触れることはなかった。


「せっかくのお祭りだったけれど、この子の依頼を受けて正解だったわ」


 長い銀髪が、暗い森の中で際立っていた。若く美しい女性だ。白すぎる女の肌のせいか、真っ赤な瞳は光っているように見える。


 見たことのない女だった。村ではまず見ない、黒いドレスをまとっている。背中から左側にだけ、カラスの羽のような物が伸びていた。


 その女が、華奢な体から伸びる細い腕一本で、ガルの右腕を受け止めていた。


 その背後でウルススが倒れている。傷がないのがわかると、ガルは心の中で胸を撫でおろした。


「そこの女の子と踊るには、あなたは未熟すぎるわ。今日のところはわたしで我慢しなさい」


 女の手に力が入る。その感覚だけで、ガルはこの女には敵わないとわかった。


(きっとこの人は、ウルススを自分から守ってくれます。自分は殺されてしまうかもしれませんが、本当はもっと早く、そうなるべきでした)


 勝手に繰り出された左腕が女に届く前に、ガルの体は宙を舞う。


 背中を地面に打ち付けると、両腕に力が入らなくなった。何かが両手両足を地面に縫い付けている。その何かは、狼化したガルの目でも闇にしか見えない。


 女が頭の近くに立った。


「ちょうど従者を探していたの。お祭りを回るのに、この身一つだと不便でね。安心して。何も死ぬまで仕えろだなんて言わないわ」


 少し離れたところで起き上がるウルススを、女は見た。ランタンが無くなって、こちらを見失っている。ひどく怯えているようだ。


「あなたがあの子と踊れるような、大人の紳士になるまででいいわ」


 女は倒れているガルの肩に腰を下ろした。


「満月の夜にはいいお祭りがたくさんあるのよ? そんな呪いに負けていたらもったいないと思わない? わたしはオクリマ=エイマス=ヘラバルディ。クリムと呼ぶ人が多いわ。あなたは……」


 クリムは小さなメモを取り出した。


「ガルヴロンド=セブリスタ。ガロードでいいわね」


 これが従者の狼男と、お祭り好きの吸血鬼との出会いだった。

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