第22話 疑念
神子達が時の街に越してきてからもう直ぐ三ヶ月になる。
彼らの殆どは時の街の人々に溶け込み、最早「神子」と言う言葉自体忘れ去られようとしていた。
「セオ、起きなさい。遅刻しますよ」
フィラはセオの寝床から布団を剥ぎ取る。
「大丈夫大丈夫、少しくらい遅れても。リーム様やさしーから」
なおも布団にしがみ付くセオの尻を、フィラはバシッと叩いた。
「全く……折角の大出世を無駄にする気ですか」
一月ほど前に突然人事異動があり、どういうわけかセオはリームの護衛に抜擢された。
セオだけではない、セオを含む元神子の数人がリームのもとで働いている。
正直、フィラはこれを余り快く思わなかった。
なんで私ではないのだろう。
生活態度も仕事への意欲も私の方が上なのにと。
みっともないかもしれないが、この時フィラはセオに強く嫉妬していた。
いろんなものをすっ飛ばしてエリートコースに乗ったというのに、この体たらくである。
フィラはヤキモキしながら作った朝食を並べた。
当のセオは……よだれを垂らしながら歯を磨いている。
「ほら、早く食べないと置いて行きますよ」
「ま、待ってくれよー」
食事が済んだ皿をさっさと洗い、身支度を済ませたフィラは玄関先に座っていた。
「フィラさ、最近なんか怒ってない?」
もたもたとご飯を頬張りながら、セオが遠慮がちに問う。
「怒っているのではなくて呆れているのです。貴方のその自己管理能力の低さに。神子の時はもっとちゃんとしていたでしょう?」
「そりゃ神子は規律に厳しかったから……」
環境が緩むと心も緩む。
出来ない人種の典型だ。
本当になぜこの男が突然出世したのか謎である。
ふと、セオを責めるような感情に支配されている自分に気づき、フィラは作業の手を止める。
私はどうして大切な友に強く当たってしまうような悲しい人になってしまったのだろう。
フィラは嫉妬と自己嫌悪の狭間で思い悩んでいた。
……数日後。
時の街での「休日」であるこの日、フィラはいつもより少し遅く起きて窓のカーテンを開けた。
部屋には彼一人。
セオは月に一度の「休日出勤」の日で、出払っていた。
フィラは眠たい目を擦りながら朝食の準備をするために冷蔵庫を開けた。
「あ、セオったら弁当忘れてますね……」
テーブルの端にぽつんと佇む可愛い柄のナフキンに包まれた弁当。
ここの昼食は基本食堂だが、今日は休日のため弁当持参になっている。
普段持ち歩かない上に煩く言う人が寝ていたら持っていくのを忘れるのも納得だ。
いつもは同じ時間に起きて手に持たせるのだが、昨晩どうにも寝つきが悪くて寝坊してしまった。
神子の頃は休みの日もしっかり管理されていたのでこういったことは一度もなかったが、環境に甘えてしまっているのはセオだけではなかったと、彼は少し反省した。
「お昼が無いと、お仕事に支障が出るかもしれませんね」
仕方がないので可愛い弟分の為に弁当を届けることにした。
自宅を出て、教会内部の通路に入ると中庭に向かって歩いた。
中庭から北のほうに進むと、そこには神族居住区へのゲートがある。
フィラは一般区民なのでこのゲートはくぐれない。
どうしようかと考えていたら、見覚えのある栗色の髪の元気なメイドが神族居住区側のゲートから出てきた。
「フィラくん……?」
「ああ、お久しぶりです」
彼女は一瞬泣いているのかと思うくらい思い悩んだ顔をしているように見えたが、次の瞬間には満面の笑みでパタパタとこちらに駆け寄ってきた。
気のせいだったかな。
「そうだ、うちのセオが弁当を忘れて行ったみたいで、渡してもらってもいいですか?」
彼女は神族居住区に勤めるメイドだ。ちょうどよかったと思い弁当を差し出そうとすると
「あー、セオくんっすね!あの子は今確定世界に降りてるから、リーム様に渡しとくといいっす!」
「えっ、あっ、ちょっと」
強引に彼の手を引いて神族居住区の中へと誘った。
「リームさまー!お客さんっすー!」
メシィが勢いよく多目的小部屋の扉を開けると、書類に囲まれたリームが驚いた顔でこちらを見ていた。
「えぇ……?何事です?」
彼が作業を止めて顔を上げると、メシィは弁当を抱えたフィラをリームの前に突き出した。
「フィラさん!」
何故かリームは少し焦った表情を見せたが
「こんなところまでいらしてどうされました?」
すぐにいつもの笑顔に戻り、予期せぬ来訪者に尋ねた。
その時、彼が目を通していた書類をそっと手元から遠ざけて裏に返したのがフィラの視界にチラッと入った。
「すいません、セオが弁当を持って行き忘れていたみたいで……ただこれを届けたかっただけなんです。大袈裟なことになってなんか申し訳ないです」
フィラは申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ、大丈夫ですよ。セオさんはお昼には戻られると思いますからお渡ししときますね」
彼はそう言って弁当を受け取ると、それをメシィに渡す。
「メシィさん、こちらを食堂の保管庫にしまっておいてもらってもよろしいですか?」
「了解っすー!」
メシィはフィラお手製の弁当を大切そうに抱えて部屋を出た。
「それでは私もこれで」
「待ってください」
用も済んだので帰ろうとしたフィラをリームが制す。
「神族居住区は出る時もチェックが必要なんです。メシィさんが戻ってから彼女と一緒に出てください」
「そ、そうなんですね」
神力居住区のゲートはパスを持つ人が隣にいれば一般人でも簡単に出入りできる。
それはセキュリティとして如何なものなんだろうかと思うが、まずこの時の街に来れる人自体が殆ど居ないので多分これでいいのだろう。
フィラはリームの邪魔になるまいと部屋の端に避け、静かにメシィの帰りを待っていた。
しばらくの沈黙。
以前確定世界で会った時のあの感じだと、こんな時気の利いた話の一つや二つは持ち合わせてそうなリームだが、立場が変わったからなのか彼は俯いて机上の書類と睨めっこしていた。
なんだか気まずい。
「リーム様」
先に口を開いたのはフィラだった。
「セオは……上手くやれてますか? 仕事出来なくて泣いたりしてませんか?」
セオのことを羨む反面、彼が何かしでかしてないか心配でもあった。
なんだかんだで彼のことが大切で心配だ。
こう言うのをツンデレというのかな?フィラは内心ふふっと笑った。
「ええ、彼は上手くやれてますよ。ご安心ください」
リームは書類に目線を下ろしたままフィラの問いに答える。
「そうですか、よかったです」
フィラは内心不安に思っていたことを直接聞けて、胸を撫で下ろした。
「彼は幼い頃に両親を亡くしてから私の家で共に育ったんです。血は繋がってないけれど弟のようなもので……こうして立派な職を貰って働けるようになって嬉しいような羨ましいような……あはは、何言ってるんでしょうね、私」
フィラは照れ臭そうに頭をかく。
ふと目線を椅子に座るリーム落とした時、一瞬……ほんの一瞬だけ彼がとても悲しそうな顔をした気がした。
悲しいというか、例える言葉があるなら……絶望。
「あなた方は本当に仲がいいんですね、羨ましいです」
そう言ってふふっと笑うリームには先程の悲観的な表情は無かった。
気のせいだったかな? そう思って話を続けようとしたその時。
「失礼します」
現れたのはメシィ……ではなく、別のメイドだった。
彼女はメシィとは正反対の雰囲気で、時の街の正装ではなくクラシックなメイド服にその身を包んでいる。
美しい漆黒の髪を背中に散らし深々と会釈を済ますと、太めの眼鏡フレームを直しながらきびきびした口調で言った。
「リーム様、クロノス様がお呼びです」
リームは困った表情でちらりとフィラを見ては彼女に視線を戻す。
「……あと五分ほど待ってもらえませんか?」
「貴方がクロノス様にアポイントメントを取られたのでしょう。待たせるおつもりですか?」
彼女は厳しい口調でそう言うと、再び会釈をして部屋を去った。
「すいません。僕は席を外しますが、メシィさんが戻ったら一緒に外に出てくださいね」
彼は困ったように微笑むと、そのまま立ち上がり部屋を去った。
……メシィはまだ戻らない。
食堂とはそんなに遠いのだろうか。
フィラが時間を持て余していると、不意に先程リームがそっと隠した書類が目に留まる。
いや、ダメだ。
どう考えても犯罪行為だ。
わざわざ私に見られないように隔離した書類だ。
機密事項とか外部に漏らしたらいけない重要書類に違いない。
……でも、もし私だけに見られたくない書類だったら? フィラはこの部屋に最初に入ったときに見せたリームの慌てた表情を思い出す。
彼はそっと書類に手を伸ばした。
鼓動が高鳴り、手が震える。
いつメシィが、リームが帰ってくるかも分からない。
でも、どうしてもこの書類が気になって仕方無い。
フィラはその羊皮紙を掴み、そっと表にする。
「これは……?」
それは、元神子達の一覧のようだった。
名前と出身と家族構成と……そんなに大した情報でもない。
フィラは少し安堵した。
しかし次の瞬間、彼の鼓動は跳ね上がるように高鳴った。
数名の神子の名の上にピンクのラインが引いてある。
それはセオの名の上にもあり、奇妙なことにこの間の人事異動でここに配属になった全員と一致した。
「いや、神子のリストから護衛に欲しい人をピックアップしただけの資料かもしれないし……」
じゃあ何故隠す必要あるのだろうか。
これ以上真実を知るのが怖くなったフィラは、資料をそっと元あった場所に戻そうとした。
その時、彼は決定的な「クロ」を目にしてしまう。
リストの隅にこう走り書きがあった。
『色付き=人工神力被験者』
何度も見てきたあのヴィードの筆跡で。
人工神力とは何だろうか?
何でヴィードの筆跡の付いた書類が時の街にあるのだろうか?
セオはどうなってしまうのか?
今、冷静に考えてみるとセオ達元神子が突然リームの護衛などという大役を与えられること自体がおかしかった。
神族居住区内に勤める人々は皆「時の街御三家」と呼ばれるクロノスの遠い親戚で構成されている。
由緒正しき時の街の家系でないと、この内部には入れないのだ。
こんなに分かりやすい矛盾を残しているのに、疑念すら感じなかった。
信じる心は時に人を盲目にする。
セオ達を内部に招き入れたのは何らかの実験のため?
実は時の街とカルディア教団はグルで、最初からこうなるように仕組まれていた? 恐ろしい仮定が組み立てられていく。
「フィラくんお待たせっすー! いや~途中で壁に挟まれたにゃーこちゃんを救出することになっちゃってー」
ようやくメシィがへらへらしながら部屋に入ってきた。
「ああ、お待ちしてました。帰りましょう」
フィラは無表情で足早にゲートへ向かった。
「わー、待って下さいっす! そんなに怒んないで下さいっす~」
長々と待たせた所為で怒らせたと勘違いしているメシィは早足のフィラに謝りながらついて行った。
それからしばらくして部屋に戻ったリームは、例の書類の位置が微妙に変わっていることに気づいた。
「見られちゃったなあ……」
彼は深いため息をついた。
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